2017年5月24日 (水)

江田島・呉

足の具合により岩国に行くか江田島に行くか二コース用意した。足は芳しくないので歩く距離の短い江田島にした。宇品港。
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途中潜水艦が見える。
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江田島が見えてきた。宇品から小用は高速艇で海上をバウンドするように20分の航海だ。
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旧海軍兵学校で現在海上自衛隊幹部候補学校の内覧時間を調べこの時間だと一か所で旅も終了と予定した。説明は10時から90分だが早く行って海岸でゆっくりしよう考えた。

朝6時に八丁堀から広島駅に行く。宇品から高速船で江田島小用港に行く。小用発7時40分のバスで第一術科学校(海軍兵学校跡)に行き内覧し小用に戻るバスを調べたらバスは11時50分があるが11時半に説明が終わると間に合わないだろう次はと見ると12時台はバスがない。となると内部の見学は無理だと判断した。
全国から文武両道の秀才が集まった海軍兵学校跡(現海上自衛隊・幹部候補生学校、第一術科学校)
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江田島の観光図を見ると中央が大きな入り江になっておりそこまで歩いてバスで港に帰ることにした。
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カッターを漕いたり猛訓練をしたのだろう。
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9時のフェリーに乗って呉に行く。江田島を後にする。
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呉には海上自衛隊の護衛艦が停泊している。
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呉は小学校の頃はタイガースの藤村冨美男のファンで彼の出身校の呉港中学の在るところと知っていた。シャツに炭で背番号10番を書いた。

大和ミュージアムに入る。軍港、海軍工廠の在った処として軍艦造船の歴史の街だ。それだけに空襲の被害も大きかった。
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呉市による戦艦大和潜水調査の様子が放映されている。火薬庫に引火し大爆発を起こし船は三分裂し46センチ砲の砲塔は天地逆さになり砲身は別のところにある。大和も陸に乗り上げ砲台として戦う特攻として出撃した。
海底の大和艦首の模型
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隣の部屋に特攻兵器の展示がある。写真の他に海龍が展示されていた。
人間魚雷回転
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ゼロ戦
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生還の望みの無い作戦を勝つために早い時期から検討していた海軍も子供のころに聞いたスマートさは無かったようだ。

戦争の反省と造船技術の優秀さを生かせるよう念じた。

隣に海上自衛隊呉資料館がある。
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機雷掃蕩の様子が展示されており戦後は多数の機雷が港の内外にあり除去に苦労した。朝鮮戦争の折も機雷除去に日本人の死者もあったと記憶している。

写真の退役潜水艦の艇内を見学できるが狭い段々ベットの部屋に何か月が閉じ込められ航海するのも気が晴れることもないだろう。高1の時今の浅草演芸場で見た映画「眼下の敵」で潜水艦の艦長クルト・ユルゲンスが海底で爆雷攻撃に耐える水兵の士気をコントロールする巧みさを思い出した。

次は五体丈夫で歩きを主にした旅に戻そう。

2017年5月23日 (火)

福山、尾道

朝4時50分起で6時36分山陽本線和気行で福山に行く。宿と交通費の安いツアーを見つけたのに広島、福山間の交通費に金をかけるわけにはいかぬ。新幹線では往復9000円近くかかる。在来線では120分掛かるが未知の処は鈍行でのんびり景色を楽しみたい。午前中鞆の浦を見学し、午後は尾道を歩くことにした。

福山駅の山側は福山城がでんと構えている。近くのバラ園で催しがあるらしく大勢がバスへと誘導されている。

鞆港行のバスが待っていたので其の儘終点まで行く。バス停の周りに見学場所は散在して在るが方角までは分からないのでバスの運転手に先ず対潮楼の場所を聞き出発する。福善寺の客殿で素晴らしく景色が良い。
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座敷に座り窓越しに一枚。
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遠くが蒸気で霞、島並が美しい。朝鮮通信使が休んだ折、朝鮮より東で最も美しい景色と言ったという。
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案内書の順に細い路地を歩く。酒屋の標の杉玉が架かっている。保命酒という薬用酒が名物の様だ。
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手前が大田家住宅 幕末の七卿落の公家が立ち寄った。
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沿岸を船が行き来した時代満潮と干潮で潮流が激しく変わり汐待が必要で鞆の浦で待機した。繁栄を極めた。

常夜灯、雁木、焚場、船番所が残っているのも日本ただ一つという。
常夜灯
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雁木 階段の船着き場。
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平安時代から続く医王寺は山の中腹にある。急坂を明王寺を越え更に登。女房は杖を突きながら付いてくる。医王寺からの景色。
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2,3行きたい所はカットして鞆港からバスに乗る。八坂神社の本社の沼名前神社へは行きたかったが昨日より足の具合が悪いらしいので寄らなかった。
電車で尾道に移動する。尾道駅の裏山にも天守が建つ。
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平地部が少なく山が海岸線に迫る地形が続く。駅から古寺巡りの標識に従い歩く。持光寺。
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坂道を登ったり、横切ったり、下ったり行き届いた標識通りに歩く。
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高度が上がると尾道水道が見える。
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四つの寺と一宮の吉備津彦神社を通り越し天寧寺の三重塔に着く。千光寺から下ってきた人で石段は混む。
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天寧寺の五百羅漢様
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天寧寺の先には千光寺ロープウェイが有り利用し展望台まで行く。ロープウェイから千光寺本堂を望む。
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山頂駅から尾道水道を見る。向島から因島さらに四国の石鎚山が見えるらしい。
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千光寺まで下る。境内には巨岩がたくさんあり御船岩、鏡岩や玉岩がある。
岩の上のボールに玉が嵌め込んで在り尾道の街を照らしていたが盗まれたという。
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山頂駅に戻り尾道水道を見納め終了とする。晴れて明るく景色が綺麗で良かった。
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東京物語で見た尾道水道だが主人公の年齢になり寂しく共感する部分もあった。

2017年5月22日 (月)

宮島急ぎ周り

瀬戸内海は神武天皇もその前は航海の神様須佐能の命も通り、防人も往復し清盛も尊氏も通ったろう。古代から水運の幹線だった。

米どころで有名でその昔鑑真も聖武天皇から広島に領地を賜った。
清盛が安芸守に任ぜられ厳島神社を作ったという。

ネットでホテルを予約するにツインが当たり前だと思っていた。翌日確認したらセミダブルとある。取り消して予約を取り直そうとしたらキャンセル料が掛かる。それならと其の儘にした。

女房が20日前に洗濯物を採ろうとして30cmの高さから落ち腰を強打し痛みは前面の股関節から腿にかけ残り歩くに難儀している。年寄りは十分気を付けなければ何が起こるかわからない。

骨折は無い、筋肉痛だから1週間薬を飲んで痛みが取れたら来なくてよいと言われた。だが痛みは軽くなったが治らない。再診したが薬は飲んでもらうがもう来なくてよいとの診断だった。楽にはなった様だが痛い痛いと言いながら付いてきた。

今回も友に予備知識を貰い予定を組んだ。

6時30分東京駅発の新幹線で広島に行き先ずは宮島に行くことにした。山陽本線は満員で外人さんが多い。宮島口からフェリーで向かう。

大鳥居と本殿を正面から見る。
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千畳閣と五重塔をフェリーから望む。
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お土産屋と飲食店の並んだ通りを抜け大鳥居の横を通り厳島神社の見学となる。
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海風に御幣が吹かれる。
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客神社 拝殿と本殿 
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枡形 干潮からやや満ちてきた。
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回廊
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鏡の池
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客神社
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大国主神社
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厳島神社拝殿では結婚式が行われていた。
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厳島神社払殿(人々は結婚式を見ている
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高舞台
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能舞台 学校の近くの大黒天に大きく松の描かれた舞台が有ったのを思い出す。
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反橋
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外に出て清盛神社へ。清盛は大陸と交易し富を蓄えていたのだろう。虐げられた身分から海中にこれだけのものを作るとは才能が凄い。
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丘を登り大巌寺の多宝塔
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丘続きに歩くと大聖寺に行く。こちらは山間部に大伽藍が並んでいる。本堂
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境内から海、千畳閣を見る。島全体が神聖な場所として崇められていた貴重な処だ。
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魔尼殿 弥山の守護神・三鬼大権現の本坊御祈祷所。三鬼大権現は大小の天狗を従え、強大な神通力で衆生を救うとされる全国唯一の鬼神です。
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遍照屈 国八十八ヶ所の本尊を安置していて本尊前には各四国八十八ヶ所霊場の砂が埋めてあり、お砂踏みをすると四国霊場巡りと同じだけのご利益があると言われます。
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仁王門 大聖院を上から降りてきた。立派なお寺だ。
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千畳閣 秀吉が豊国神社を建立するが途中で亡くなり千畳閣として残る。
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臥龍の松 枝が低い位置を這う。今回は弥山を歩こうと思っていたがこれだけでもやっとの思いで回れて良かった。
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広電の4つ広島駅寄り「地御前駅」近くに海を隔てて厳島神社の外宮が鎮座してると言うので見に行く。女房は歩きとおした。拝殿の前にサリーを頭に巻いた外人さんが写っているが彼女が電車を降りるとき車掌さんと私の会話を聞き案内してくれた。「ありがとう」
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広大な領地が有ったのだろうが今は山陽本線と広電の間の狭いところに鎮座している。
JRで広島に戻り路面電車で八丁堀下車歩いて8分で宿へ。暑くて疲れた。

2017年5月 4日 (木)

長女次女孫と散歩

法事の後泊まっている長女次女孫と散歩する。

16代将軍を約束されていた水戸徳川から分家した松戸徳川の徳川昭武の居所戸定邸と徳川邸の一部が千葉大園芸学部となった一画を歩いた。

戸定邸は鹿児島の磯御殿と佐倉の堀田邸と共に木造の三大建築と言われている。
茅葺の門を入る。
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庭に鉢植えの藤が満開を迎えている。
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日差しに映え紫が綺麗だ。
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園芸学部の正門から坂を上る。江戸時代からの大木があちらこちらにある。
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私が少年時代の昭和20年代は松戸で一番の憩いの場であった。フランス庭園(ヴェルサイユ宮殿の庭園を模した)。
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ツツジ園
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坂を下り谷津を通り抜け次に丘を登ると中央公園だ。陸軍工兵学校があった処だ。当時の校門の支柱と哨戒舎(歩哨のいる小屋)がある。ヨーカ堂の4階に入り駅へのデッキと繋がる。
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昭和20年代からの遊び場を娘と孫と歩いた。

2017年4月30日 (日)

義母13回忌

妻は二人姉妹の妹だ。義母は義姉夫婦と同居していたが13年前に身罷った。

七回忌は義姉が行ったが義姉も4年前に亡くなった。義兄は認知症の介護4で施設に入っている。義姉が亡くなったとき義理の両親の位牌を預かりたいと申し出たが義兄が施設から帰った時に家の中が変わっていると余計に感覚が狂うといけないからと位牌はその儘にして貰いたいと義兄の親族の希望でそうしていた。法事では位牌を持参するように寺から言われるので親族に伝えたところ快く渡してくれた。我が家は仏壇を置くスペースが無いので位牌は我が家の仏壇の隣に置かせて貰っている。我が家の寺の住職に二家族の位牌を同じ部屋でお守りするのに不都合は無いか聞いたが不明だった。

神戸から長女が酒を前もって自分の荷物と一緒に送ってきた。
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北千住のお寺で家族五人で感慨深く法事を行った。義父は五十歳代で亡くなり義母は一人で四十年間過ごした。亡くなる前には「お父さん」と口にしていた。義姉には子供がなかったので我が家の子供達もいくらか慰めになっただろう。

彼岸、盆の墓参の帰りに北千住のショッピングセンターの鮮魚が新鮮で良く買ってきていた。家族だけの話もあり酒も待っているので刺身を五種類と煮物を買って家でお斎をした。長男は口を潤すには先ずはビールでとコンビニで買ってきた。義母の天国での健やかを祈って献杯をした。

良い色合いのマグロ、ブリ、鯛、ヒラメと鰺の刺身が大皿二皿に立派に盛られた。

妻と次女は八ヶ月の孫と食事となり長男、長女と一杯始めた。小生は二合と決めているのでそれより内輪で切り上げたが中学受験生を抱えた二人は情報交換をしていたが次第に饒舌になり、小生は昼間の酒には直ぐ酔って別室に逃れた。

五本口を開けてしまったが三人が一致して旨いと評価した「浜福鶴限定しぼりたて」
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長女が滞在している内に全部空になるだろう。
義母の法事に便乗したが義母も連れ合いが存命中は少量の酒を稀に楽しんでいたという。不詳の孫達は大いに便乗した。これからは少なくしろと注意をしよう。

2017年4月10日 (月)

今年は時間が取れなかった花見。

毎年体力のバロメーターとして行っている6時間桜散歩の時間が取れなかった。

今日10日の午前に急いで恒例の桜散歩の触りの日暮里、上野を回ってきた。

出雲の疲れが残っていて足が重い。

日暮里で降り階段を上り谷中の墓地に入ると白人さんが目立つ。去年までとは違う。人がまばらだが白人が多い。
花見にはやや遅いが晴れて暖かいので気持ちが良い。
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雨と強風が続き散った花弁も多い。
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天王寺の境内は手入れが行き届いた庭園だ。
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此処から墓地の中央の道が通る。
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葉が出ている枝もある。
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芸大前の道。
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上野公園へ
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上野の清水さんの前のメインストリート。
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東照宮 参道にワゴン車が入り後片付けで忙しそうだった。雨が多かったか?
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動物園の中にある五重塔。
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お化け灯籠。巨大だ。東照宮と精養軒の間にある。
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良い場所で露店が開けた。
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メインストリートの中間点。国立博物館方面を望む。
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通りの裏では清掃車が待機。
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不忍池弁天堂は月曜日の10時半でもこの通りの混みよう。ここは東洋人が多い。
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不忍池中道。所々の柳が良い。
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緑と良く合う桜。
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中道の景観。左端に僅かに見える東天紅。
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約一時間で急いで回り帰宅した。恒例の一部分でも歩き数十年続けている行事を中断させなくて来年こそは全コース踏破と行きたい。

去年の桜散歩

2017年4月 5日 (水)

美保神社と佐太神社

少しでも名を知っている神社を巡ってきた。14時の松江発の列車に乗らなければならないので今日は美保神社と佐太神社とした。3日間有効な周遊券が役立つ。今日も早起きし6時50分のバスで美保に向かう。

中海沿いを走り鳥取の境港を望める。海上自衛隊の艦船と工業地帯が見える。

美穂神社はバス停の近くにあり参道は漁業関係者の幟がはためく。

大物主と国譲りを話し合った建御雷神は美保で漁をして大物主の長男事代主命を呼んで来て了承を得る。(次男の建御名方命は反対するが力比べで負けてしまう。命からがら長野まで逃げその土地から出ぬと諏訪大社の祭神になる。)

三保津媛は大物主の后で事代主命の母。三保津媛と事代主命を祭る美保神社。国譲り物語の完了したところだ。
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鳥居の外は港。
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左に事代主、右に三保津媛を祭る。本殿が二つあり美保造りと言われる。
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鳥居前の青石畳通り。
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通りを通り過ぎると仏谷寺。後醍醐天皇、後鳥羽上皇が隠岐に流された時の行在所になった。南北朝時代後醍醐天皇と同時期北朝の天皇だった光厳天皇の生き方に興味を持つ。
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朝5時には水揚げは終わり我々がバスを待った9時ごろはトンビが船に残った小魚を採っていた。
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漁の小舟にカモメが集まる。
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中海の岩礁の灯篭にウミウが憩う。
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境港と結ぶ橋。
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松江で昼食をとり周遊券を有効に使うため佐太神社に向かう。ここは神在月に八百万神が集まる。本殿と南北殿に猿田彦と伊弉諾、伊弉冉、天照大神、瓊瓊杵尊、素戔嗚尊神話の創成期の神々を祭る。
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此処の狛犬は座っている。桜はやっと開花した。
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乗り物に乗った時間は長かった。余り歩かなかったが疲れた。

松江で特急八雲を待つ間に販売機でお茶を買い2本目のボタンを押したら大音響で3本ペットボトルが出てきた。怪談だ。

来るときは吹雪いていた処で大山も見え嬉しい旅だった。
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神話の神様の鎮座する地を一つ一つ時間をかけて回れて残り少ない人生を
安泰に過ごそうと感じた。

八重垣神社から熊野大社と揖屋

今日も晴れたが寒い。7時57分松江発の一畑バスに乗る。周遊券があると楽だ。観光地のバスにしては懸命に唸りギシギシ軋む。

八岐大蛇伝説で三種神器の一つ天叢雲剣が出てくるが天岩戸の事変で三つは揃っていたという。後年素戔嗚命英雄伝説が作られた折に書き直したという。鉄器も島根に伝わったが工房は吉備に多く生産は吉備が圧倒的だったという。

8時15分には着いたが巫覡、神主さんやボランティアの人たちが清掃をしていて挨拶をしてくれる。すがすがしく気持ちよい。
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夫婦椿、夫婦杉。縁結びの神で夫婦云々が多い。鏡池が道路向かいにあり鬱蒼とした林で神々しい。
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コイン占いが有名な鏡の池。クシナダヒメが鏡代わりにしていた。
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素戔嗚尊、櫛名田比売、アマテラス大御神の壁画が宝物殿にあり9時から拝観できるとあるが8時半に巫女さんに見られますか聞いたところ良いですよと答えがあり時間の節約ができた。埴輪ロードの道を聞き歩き出す。田園地帯を歩くのが何よりの楽しみだ。
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桃が咲き桜は一輪もなく陽があるが寒い。それでも気持ちが良い。
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大社造りの日本最古の神社、神魂(カモス)神社に向かう。天穂日命(天照大御神の第二御子)が降臨したところだ。天穂日命は建御雷神の前に葦原の中つ国を貰い受けに来たのだが3年間何もせず建御雷神が国譲りを実行した。天穂日命は情報を高天原に送り続けていたので尊ばれていて出雲氏の祖先となる。出雲氏は政治と司祭の両権限を持ち権勢をふるったが司祭権を朝廷に取り上げられる。天皇が変わると神賀詞(カムヨゴト)を奏上した。天皇家が何時までも続くよう詞と伴に莫大な貢物を持って2年間にわたり奈良に上ったという。出雲大社の建立維持に朝廷が援助し出雲氏が神賀詞を奏上するのは国譲りに絡む特別な関係があった様だ。
神魂神社 国宝 立派で神々しい。
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神戸の里、風土記の丘を通りバス停風土記の丘入口に予定より早く着き寒風の中バスを待つ。予定より一本前のバスだが30分待った。八雲バスターミナル迄乗車者は無く貸し切りで行った。ターミナルからは最初の予定のバスしかなく30分待ったが部屋が有ったので助かった。熊野大社に行く。出雲一宮という。出雲氏が意宇地方に本拠があった時の大社で一番の格式の神社だった。近年まで火鑽神事は此処で行われ起きた火を出雲大社に運んだという。
川の両岸には桜が並ぶが開花前だ。残念。
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熊野大社拝殿
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鑽火殿 燧臼(檜製)と燧杵(宇津木製)で火を起こす。明かりと調理の元になる貴重なものだ。
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伊弉冉社 イザナミ命を祭る。
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熊野大社境内全景
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出雲の狛犬は憤怒の像 前足を折り腰高に睨む。
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八雲ターミナルでバス停以外から乗った老婆と時間まで歓談する。運転手さんと顔見知りで家の近くで乗せてくれる。
松江に戻りJRで二つ米子寄りの揖屋に行く。駅を降り駅前通りに出たが人一人通らない。20分くらい歩いて車に乗ろうと出てきた人に聞いて揖屋神社黄泉比良坂の道が分かって一安心した。

伊弉冉を主祭する。意宇六社の一つ。大己貴、少彦名も副祭する。
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黄泉比良坂 伊弉冉は火の子カグツチを生み産道を火傷をし死んでしまう。伊弉諾は寂しくて黄泉の国に伊弉冉に会いに行く。伊弉冉は黄泉の国の食べ物を食べたから帰れないという。せっかく来てくれたので黄泉の国の王様に聞いてくるが決して付いて来てはいけないと言い残す。この約束を破って伊弉諾が伊弉冉の蛆だらけの姿を見て逃げるが伊弉冉が黄泉軍を連れ追い駆けてくる。髪に差した櫛の歯を折るとブドウになりこれを投げつけると黄泉軍は群がって食べ伊弉冉と他の軍が未だ追い駆けてくる。山桃を見つけ投げつけると黄泉軍は居なくなったが伊弉冉はさらに追いかけてくる。伊弉諾は大きな石で黄泉の国への道を塞いでしまう。

黄泉比良坂入口
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道を塞いだ大石
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黄泉比良坂への道。
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大物主命が根の国から逃れてきたのも黄泉比良坂という。伊弉諾が塞いだ道に如何入り、如何に出てきたのだろう。神話は古事記、日本書紀で皇室の都合で書き換えたところもある様だ。そのうえ解り難いがゆっくり読んでみたい。

出雲大社と宍道湖の夕日

晴れたが寒い。旅のうららをのんびりは今回は空振りの様だ。

朝一番の6時47分松江発宍道湖温泉駅行のバスで向かう。一畑電車は宍道湖温泉駅からになる。市営バスと一畑電車、バスで観光地巡りとなる。3日間乗り放題のパスを求め有効に使う。
宍道湖温泉駅の一畑電車。
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出雲氏は島根東部を本拠にしていたが大和朝廷の援助の下、勢力を伸ばし宍道湖西の出雲平野に進出した。杵築の地に大社を築いた。

出雲風土記は唯一完全本として残っている。古事記、日本書紀から遅れ朝廷は各国に地方史の編纂を命じた。出雲の国司は唯一その地方の豪族で詳細な風土記を編纂し大切に保管した。他国は現在知事のほとんどが自治省から派遣されその後知事となっている人が多いのと同じく中央から派遣された国司だった。熱の入り具合が違う。出雲果安、広島親子が指揮に当たった。

国引き物語がある。島根半島部分は新羅や高志(越)から八束水臣津野命が島を引っ張り陸地としたという。右に見える三瓶山を杭に稲佐の浜を綱として新羅から余った島を「オソロ、オソロ国来(くにこ)」と引っ張った。3回繰り返し島根半島が平和に領土となった。
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川跡で乗り換え出雲大社前駅から出雲大社に向かう。
参道に大物主命が葦原の中つ国を殆ど統治したがあと一歩のところで同僚の少彦名命が常世の国に帰ってしまい困っていると海上から光る玉が渡ってきた。黄金の玉は「我は汝の幸魂、奇魂である。力を貸すから国を完成させよう」と力を授けた場面の像がある。
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銅の鳥居から拝殿と奥の本殿屋根を望む。
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名所の見学は緊張し其処で大きな日の丸を仰ぐと神聖な気持ちになる。
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お勤めを終えた神主さんの列に出会う。
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十九社神在月に全国の八百万神が集うところ。
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祭神の大物主が修行中兄弟神の八十神達に試練を受け赤猪を捕まえろ命じられ捉えたら真っ赤に焼かれた大岩で大物主は死んでしまう。大物主の母が
カミムスビ神に頼むとキサガイ媛とウムガイ媛を遣わし貝殻の粉末で全身を覆い命を救ってくれた。後大物主は根の国に遣わされ素戔嗚尊に数々の難題を降りかけられるが娘のスセリ媛に知恵をもらい困難に打ち勝ち呪術を身に着け生還し大神となる。
大社内の本殿とキサガイヒメ、ウムガイヒメ、スセリ媛を祭る社。反対側に九州宗像三女の一女タキリ媛の社、筑紫社がある。
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本殿の真後ろに素戔嗚尊社がある。
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社家通りに出る。千家国造家とともに大社の宮司を務めた北島国造家にある少彦名命を祭る天神社。少彦名は一寸法師と同じくらいの小人だった。
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北島家門の竜の彫刻。
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その先に命主社があり大物主の命の恩人である神産巣日神(カミムスビ)を祭る。少彦名命の父でもある。手前の木は樹齢千年の椋木。
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歩いて1.3km先の稲佐浜に向かう。国引きで増えた領地だが国譲りで建御雷神が大物主に日本を譲ってくれと頼むところ。
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バスが2時間に一本しかなく一時間海風に吹かれ冷え切った。日御碕神社に行く。朱色の神殿で雰囲気が違う。アマテラス大御神、素戔嗚尊を祭る。伊勢神宮が日の出るを拝み日御碕神社は日の入るを参るという。アマテラス大御神の弟で三貴子の一人、月読命がいるが影が薄い。日の入りから夜を守るなら主役のはずだが?。
バスから写す。
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素戔嗚尊社
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灯台のほうに登と経島(フミジマ)が見える。アマテラス大御神を祭る。現在はウミネコの繁殖地になっている。
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バスの都合で20分の滞在で一畑電車宍道湖温泉駅に帰り5時で食堂が開くのを待って白魚のお造りと天ぷら、焼き魚を美味しく食べ宍道湖の夕日を見に腰を上げた。
白鳥が居る。県立美術館から嫁が島まで夕日が沈むのと競走した。
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寒かったが満足な行程だ。

2017年4月 4日 (火)

出雲の旅

去年吉備を歩いて次は出雲と決めていた。出雲についてはまとまった知識は無く神話の一部を微かに知っているのと大社の名を聞いている程度だ。

一昨年に山の辺の道を歩いて以来古事記を部分的に追いかけ神様の名がごちゃごちゃに混乱している。出雲ではそれらの神様が大勢出てきて余計混乱している。

地の神様の大物主命とマレビトの素戔嗚尊のことを知ればいくらか見学も興味を持つかと割り切ったが荒神谷遺跡だの四隅突出型古墳だの迷わせる。推理作家の松本清張が古代出雲史に一家言あり学会の司会もしている。遺跡が近くに集まって居なくどこに行くかも一筋縄ではいかない。困って大磯にいる友の奥方が島根の浜田出身だと思い出し尋ねたら資料をたくさん送ってくれた。三越前の島根のサテライトも訪ねた。神社を中心にめぐることにした。

大物主命(大黒様と同じ人らしい)が地の神様で農耕、医薬、気象、呪術に通じ住民に慕われたようだ。

素戔嗚尊は本拠は和歌山県須佐郷の海人の神様ということだ。航海に通じ漁業の神様でもあり海を自由に往来していた一面と天皇家の系図を確立させる古事記、日本書紀の編纂のために英雄とされた一面がある様だ。

例えば八岐大蛇の話は水神様は大切な神様で怒らしてはいけなく村の娘を斎女とし身の回りの世話を順番でしていた。大過は洪水で不及は干ばつだ。水神様を怒らせると大過不及が起こるので献身的に世話をしていた話が素戔嗚尊の英雄譚に作り替えられたと言う。

新幹線と特急で松江に行き松江のホテルを根拠に彼方此方見学することにした。寒い間蟄居していたが春のうららの中桜を愛でながら楽しく歩こうと出かけた。なんということだ伯備線では吹雪となり沿線の桜は開花もしていない。

予定を変更し松江市内をバスで巡ることにする。市内観光はJRの乗車券のおまけのレイクライン周遊券で回れるのが有難い。12在る現存天守の11番目に訪れる松江城を目指す。
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立派なものだ。写真は自由にお撮りくださいのポスターも嬉しい。
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柱は表面は虫食いでボロボロだが補強して古材を使用している。心柱は無く多くの太い柱で重量を分散して支えている。
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宍道湖方面を望む。
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15分ほど歩き武家屋敷八雲邸へ向かう。ギリシャ生まれのアメリカ人新聞記者には日本人の情感は珍しく感じたらしい。3冊ばかりある文庫本を読み返そう。現在もオバマケアーを受け付けない国民には五人組で助け合う人情に感激したのだろう。
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5時前には松江駅に帰ったが早めの晩御飯を食べ宿に下がろうと旅行案内所に相談したら安くて美味い食堂を紹介され満足して投宿した。

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