2018年10月14日 (日)

2018年松戸神社連合渡御

10月14日松戸神社の祭りが有った。今年は連合渡御の年だ。

何年ぶりかで神輿を追った。

本町の神酒所前で。渡御に力を貸してくれる神輿会の方々が酒をもって助っ人に来てくれる。長時間渡御をした後神輿会にお返しをする。
301014matsuri00_2

神輿渡御に当たり自治会長の挨拶。
301014matsuri01

渡御の責任者の拍子木で渡御の始まり。
301014matsuri02

301014matsuri03

集合場所に各町会の神輿が集まる。伊勢丹が閉店した為近くの歩道に集合する。
301014matsuri04

神輿が待機する。
301014matsuri34

宮司を先頭に神社に向かう。
301014matsuri06

先頭は2丁目山下町会。
301014matsuri07_2

2丁目町会 常磐線が出来た時線路で分断した町会。
301014matsuri08

3丁目東町会
301014matsuri09

3丁目町会 ここも線路で別れた。
301014matsuri11

角町 昔は材木屋さんや職人が多く威勢の良い町会。
301014matsuri10

我が本町。
301014matsuri33

郵便局、証券会社と銀行が並ぶ松戸のウォール街を神輿が行く。

301014matsuri12

301014matsuri13

デッキの上から写すが警備の人が神様を跨がないようにと神輿の真上に立つのを注意して回る。
301014matsuri15_2

外人さんも担ぐ。
301014matsuri16

301014matsuri31

各町会の女性が張り切る。
301014matsuri17

301014matsuri18_2

Dsc_1931


301014matsuri18

301014matsuri19

男も頑張る。
301014matsuri20

夕方から神輿に火が点る。神輿の進行を制御する人が花棒を抑える。
301014matsuri26_2

301014matsuri27

最後に差して最高潮に達する。
301014matsuri28

木の音で終了。チョンチョンチョンチョチョン ノ チョン。
301014matsuri30

自治会が神輿会の面々にお礼を述べ挨拶に持参した清酒を、お返しお弁当をお礼とし手締めで終了となる。

昔は神輿会の人がどんぶりを貸してくださいと言って酒をなみなみと注いでサセサセと音頭を取りながらグビグビやり5分位で2升をその場で回し呑んでいった。


過去の連合渡御

2018年10月 7日 (日)

秋の日暮れ前

季節外れの真夏日に3時45分頃散歩に出た。日差しが強かったが土手を降りススキの蔭で西日を避けた。

モズの声が頻繁に聞こえる。

松戸川の対岸の梢に飛んでいくのが見えた。ススキの穂越しに
301007edo01

鳴きながら此岸に・・。ベビー猛禽の面影が見える。
301007edo02

土手外の田圃で沢山見たイナゴは彼方此方で単独行動をする。
301007edo04

縁遠くなったチョウゲンボウが遠くに飛んでいる。しなやかな羽が懐かしい。
301007edo05

川岸近くのススキ。西日に輝く。
301007edo07

土手外の農家の柿。ムクドリ、オナガ、カラスに食べられる。子供の頃は土手外は一面の田圃だった。農家は2mくらい土盛をし水屋造りの建て方をした。米どころは水害を受けやすかった。
301007edo06

夏前の半分の距離を足慣らしに歩く。軽く汗するのが気持ちよい。土手の降り際でビルの避雷針にチョウゲンボウが止まる。昔チョウゲンボウvsカラスを1ヶ月に渡り撮ったビルの近くだ。
301007edo08

モズの狩り

2018年10月 3日 (水)

久しぶりの散歩

毎日歩いていた川も猛暑で休んだらすっかり行かなくなった。

2ヶ月半ぶりにそろそろノビタキが来る頃だと花畑に行ってみた。ノビタキはいなかったがカメラマンは沢山いた。根気の良いことで一日中いる人もいる。
30010103

チョット先のグランドゴルフ場では老人達が腕を競っている。鍬をクラブに持ち替えても丈夫な足腰でナイススウィング。
301001

梢ではモズがキィキィ鳴き縄張りを主張する。
20010104

日当たりに飛ぶ羽虫。
30100108

止まっては飛び上がり羽虫を食べるアキアカネ。
30100106

トノサマバッタ
30100105

何時もの植物たち。ウンラン。
30100102

メドハギ
30100107

彼岸花 盛りは過ぎた。
30100109

何時もと変わらぬ鳥、昆虫と植物だがカメラが重くノビタキを待てなかった短気さに年齢を感じ取った。

2018/09/28




2018年9月19日 (水)

ちゃんこ鍋

友綱親方が来日以来お母さんと慕っている友から相撲部屋での食事に誘われた。滅多に経験できない事なので二つ返事で参加の返事をした。

数年前1年遅れの旭天鵬関の優勝祝いをその友の仕事場であった時も呼んでもらった。今年の1月にも友綱親方との飲み会に誘ってもらったが所用で参加できなかった。

 

錦糸町北口に18時集合で待ち合わせた。総武線しか知らなかったが7月に国立演芸場に行く途中スカイツリーラインで北千住から3つ目の駅が錦糸町であることを知り早速利用した。30分で行ける。この国立演芸場は小はん師匠からの招待だった。今日のメンバーはその時の二人を含め高校入学以来60年強の付き合いだ。

友綱部屋と云えば昭和時代夜の銀座で陸奥嵐を見かけたことがあった。荒業で相手を投げ飛ばした派手な力士だったが男の色気を感じさた。青森から中卒で入門し勝負の世界で心身を磨き肉体の特に肌の美しさと目の美しさが魅力だった。



最初は親方が隣に来てくれた。

Dscn0543

今日は時計係を務め帰宅したばかりで疲れたと言っていた。18時2分前に取り組みを終了できるとグッドタイミングでそうなる様に算段に気を使って疲れたということだ。部屋を独立し仕事が多く忙しいがやりがいがあり楽しいと言っていた。

稽古場に接し親方が腰かけて指導する部屋に脚を畳んだテーブルを並べ車座でちゃんこを囲む。

Dscn0536

鍋、スパゲティー、トンカツ、ステーキ、もつ煮込みとキムチだが老人9人は美味しいのだけど意気地がなかった。ちゃんこ鍋は特別美味しかった。力士達も同時に隣のテーブルで番付け順に食事をし終わるとファンの接待をしてくれる。

 

旭秀鵬関が隣に来てくれ真近で見ると美しい肌と涼しげな眼もとに惚れ惚れするほどだった。

Dscn0566

長女が相撲取りの魅力は鬢付け油の匂いだと言っていたがそれは嗅ぎ取れなかった。贅肉の無い弾力のある四肢分厚く固い足の裏、肉の着いた逞しい母指球と丈夫な体に羨望の眼を送る。左膝の靭帯を損傷し十両にいるが場所数が多く巡業も忙しく怪我を完治する暇がないと言っていた。現在も膝は痛いと言っている。TV観戦でも膝にサポーターをし痛々しい力士は多い。解説で土俵の怪我は土俵で治すと言っているからその風習が受け継がれるのだろう。完治することは無いがより良い状態を維持する方法を見出すと云う事だろう。

照ノ富士の話が出、順調だったのに稀勢の里に浴びせられ膝をやってから可哀そうですねと云ったら詳しいですねと持ち上げられた。今場所も幕下で全休とのことだ。復活を祈る。



写真を撮ったり用を足すにも胡坐からやっとの思いで立ち上がり足踏みをして足元を安定しそろそろ歩き出す老人達は転んだり手を着くと負けになる相撲には似つかわしくない団体だ。全員がそのしぐさをして動き出すのを見て小生だけが弱っているのではないと安心した。

稽古場の屋根を打つゲリラ雷雨の雨音が響いたが60年前のヒット「悲しき雨音」を思い出した。60年間誰かの号令にその都度良く集合したものだ、Rhythm of the Rain(悲しき雨音)も未だ折に触れ耳にする。

友綱親方断髪式

2018年9月 5日 (水)

偲ぶ会

昭和年代皮膚病治療は医療の隙間で薬局は勉強すれば皮膚病で評判を取れた。平成に入ると皮膚科医が街にあふれるようになった。

薬局の講習会に皮膚科の名医が講演してくださり、レベルに合わせ豊富なスライドを見せてくれながらやさしく解説してくれた。薬剤師でも懸命に勉強し豊富な治験から講師の皮膚科のドクターも認める程知識と経験を積んだ人もいた。

我々を指導してくれた薬剤師(以後先生と呼ぶ)の学んでいた「皮膚科診療の実際」という学術書を見た時に本はこんなにすり減るものかと思った。厚紙の固い表紙にクロス張りをして有るのだがクロスは薄くなりささくれ立ち良く指の当たる個所は厚紙が穿れていた。この熱中具合だ、人知れず努力をしていなければ知識知恵は生まれない。皮膚科のドクターと数年寝食を共にし基礎を学んだと聞いたことも有る。

私たちが所属した組織は当時、少数の明治生まれと大半の大正生まれが指導していたが私たちの心酔した先生は規律の基本を守ればうるさいことは言わなかった。執行部の先輩は学力よりは規律遵守を強いしっくりいかなかった。

その先生の学術に対する努力の過程で頭脳は柔軟でなければならい、万が一失敗してもリカバリーできる多様性も持たなければならない。基本は初見の確かさを一番に磨かなければならないという厳しい勉学と実践の積み重ねからくる人格が権威主義の執行部の感覚より許容範囲は広く心を開いて学べた。

程度の低い質問にも丁寧に教えてくれ偶には礼儀を失した行為にも腹を立てずに応対してくれ知らず知らずに尊敬していた。

勉強は五時迄で五時を過ぎるとドリンクタイムで滅茶苦茶飲んだ。金が足りなくなったこともしばしばあった。全力で学び全力で遊んだ時期だった。生徒の親たちは五時以降の事しか目に着かず苦々しく見ていた。

生徒たちも年齢を重ねると皮膚病薬の販売にも他の病気に対する考察でもしっかりした理論を持ち楽しく接客した。先生からは勉強はエンドレスの繰り返しだと云われながら10年もたつとそれぞれの興味に歩き出した。我々の他にも生徒は先生の学問を慕って二期生三期生と区切りを付けて増えてきた。

それに反し一期生は心ならずもそれぞれ歩みだした。多店化する者、地方議員になる者、在宅医療に打ち込む者調剤を先取りする者漢方に打ち込む者とバラバラになったが理由を作っては先生の下に集まった。私は最後まで組織の委員として先生をサポートしていた。組織の皮膚病部会を存続させるのに責任者にならなければならい状況になったが私の興味は漢方に移り古代の東洋思想に弄ばれ全力で打ち込まなければならなかった。60歳を過ぎ二股は掛けられない体力になって責任者として部会をリードすることは出来ないと断ってしまった。これが何時までも申し訳なさとして残る。

体調不良を理由に先生に断った。先生は寂しそうだったが許してくれた。それまでも無理強いは決してなかっただけに先生の寛容さに手を合わせた。三期生が熱心に学び先生を盛り上げてくれた。ありがとう。

私は店を止め皆とは薬局のチェーンの繋がりだったので情報は少なくなり先生が90歳を過ぎる頃から音信が無くなった。連絡を取っていた仲間にも風聞も無かったようだ。

八月の下旬に突如先生が今年一月に亡くなったと連絡が入った。皮膚病の勉強は全うしなかったが夫々の方向で活躍している面々は電光石火の速さで偲ぶ会を9月2日に開いた。皮膚病の勉強は頓挫したが教えの一つである5時からの行動計画は素早い。一部分でも教えを継続していることは良いことだ。

先生の先祖は幕府の御殿医だったと云うだけあってダンディーな品のある遺影が組織から届いて皆の脳裏に先生の姿が夫々に浮かんだ。

八方破れの様で規則は守った先生に似つかわしいように般若心経の読経をプログラムに入れるから読めと年長の議員さんから至上命令(組織の金言で絶対服従の意)があり、折に触れ仏壇で上げているお経を精一杯唱えさせてもらった。カウベルの木魚も雰囲気を高めてくれた。

先生の徳を偲び皆の人生と店に恩恵を授けてくれた御恩に話は尽きなかった。

 

2018年8月19日 (日)

素人の感想

甲子園の接戦は続く。

千葉県東代表の快進撃は続いた。2回戦のホームベース上のクロスプレイを2度刺したのは興奮した。僅かでも投球がそれればセーフとなるのをホームプレートに好返球しジャストアウトは見事だった。さらなる進軍を期待した。

1,2回戦を破竹の勢いで突破し3回戦に進んだ。県予選では背番号5を付けていたが主戦投手として活躍した大黒柱が背番号1番になって勝ち上がった。しかし十分なピッチャーの地肩になっておらず休養となったと推測する。野手だったのでテークバックが小さいが球勢が強く打ちずらいピッチャーだ。3回戦に先発した11番は良い出来で2回のサード、ファーストの何でもないゴロの処理ミスがもったいなかった。

1,2回戦の終盤11番がリリーフした時は1番がファーストに入ったのだが3回戦の先発メンバーでは背番号1番は3塁に入り甲子園で初めて守るようになった。素人の小生はやや不安に思えた。イニングの二回にサードの暴投、ファーストのジャックルが出て2点を取られ致命傷になった。
トーナメントの怖さだ。

強力打線も相手のピッチャーの右打者の外角を突くスライダーと内角の直球にてこずった。さすがに強力打線良い当たりをしたが野手の正面を衝いたのが残念だった。

友人の孫が9回2死からそれまでのフォアザチームに徹した態度を認められ代打で出場しお手本の打撃を見せた。ピッチャーの足元を抜くセンター返しのナイスバッティングだった。地に足のしっかり着いた地道な努力の結果を出せたのは俄かファンには嬉しかった。力強く成長してもらいたい。

素人のめちゃくちゃなTV観戦記で失礼が有ったらお詫びします。

2018年8月17日 (金)

木魚カウベル

去年ビッグ・バンド オブ ローグスのクリスマスコンサートで当たったカウベルを使用する時が来た。

盆となり父母を仏壇に迎えた。カウベルをどう置いたら木魚に近い音が出るかズーット研究していたが床に横たえ縦に一番膨らんだ所をたたくのが良いと分かった。ポクポクポクに近い音がする。

ポクポク 我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 ・・・・・・・

ぽくぽく 弟子某甲 盡未来際 帰依佛 帰依法 帰依僧 

ポクポク おん ぼうじしった ぼだはだやみ

ぽくぽく かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー                             しょうけんごーうんかいくどーいっさいくーやくしゃーりーしきふーいーくう・・・
はらそうぎゃーてい ぼーじそわか はんにゃーしんぎょう。

ポクポク おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じん  ばら はらばりたや うん

年を経るごとに父母の恩を感じる。

声に出し斉唱するのは気持ちよい。

今年は小生より数歳年下の和尚さんが数珠を前の家に忘れ取りに行くハプニングが「命に危険をお及ぼす暑さ」のせいであったが和尚さんのお経とともに父母に感謝と子達、孫達の無病息災を念じた。

2018年8月 6日 (月)

竿灯祭見学2018年

ねぶた祭と共に是非見学してみたいと思っていた竿灯祭を引き続いて見学した。盛岡10時出発で田沢湖、角館を経由し秋田市に入った。

18時半に観覧席に入場であったが17時には会場近くに到着。1時間半後各自観覧席に着いてくださいとに自由行動になった。観覧席近くのビルの蔭で待ち晩飯の弁当も路上で食べた。交通量の激しい官庁街から駅に続く道が会場になる。18時20分交通規制が始まり中央分離帯両側に瞬く間に背の低い長テーブルがベンチとして2列ずつ4列数100mに渡り設置された。手際が良い。
2018kantou00

270基」を越える竿灯が参加しお客さんも世界中から見学に来るという。ねぶたと同じく七夕と灯篭流しの意をくむ祭りの様だ。ねぶたの代わりに竿灯が会場を巡回し3回場所を変え演技をする。

竿灯と伴に大太鼓と笛の囃子も賑やかに入場する。後継者になる小学生達も囃子にも担い手にも誇り高く行進する。
2018kantou01

ミスも愛嬌を振りまく。
2018kantou_2

いよいよ竿灯の入場。提灯の中は本物の蝋燭。
2018kantou03

2018kantou30

お囃子
2018kantou04_2

2018kantou21

定位置に着いたら竿灯を立てる。
2018kantou05

2018kantou06

2018kantou07

子供も稽古十分の技を披露する。持つのがやっとの子も居るがこの子は腰で支える。
2018kantou29_3

眼を上げると多数の竿灯が林立している。どっこいしょどっこいしょの掛け声で平均を取り竿灯が立ち上がる。壮観だ。
2018kantou08

目の前では
2018kantou09

2018kantou10

消えた蝋燭に火を点す。
2018kantou29

2018kantou11

妙技の数々 三人が至近距離でぶつからずに竿灯を操る。
2018kantou23_2

2018kantou23

2018kantou24

2018kantou25

2018kantou26_2

2018kantou26

2018kantou27_2

2018kantou27

2018kantou28

2018kantou14

2018kantou31

2018kantou32

2018kantou19

夜空に無数に輝く提灯に祖先の霊魂を勝手に感じた。

24時過ぎに水沢に着き一泊し、翌朝10時出発で一ヶ所平泉に寄り昼、夜車中で弁当で過ごし19時40分頃帰宅した。昼夜の食事が3日間弁当の強行旅行だが感動の旅だった。

2018年8月 5日 (日)

ねぶた祭見物2018年

避暑を兼ね「ねぶた祭」に行ってきた。8時にバスで出発し青森のアスパムの駐車場に着いたのは17時半頃だ。更に終了後盛岡のビジネスホテルで泊まる強行軍だ。宿入りは24時半の予定だがそれよりは前に着いた。見学と移動の時間以外の無駄のないツアーで強行スケジュールだが楽しかった。

ねぶた祭は七夕と地方の灯篭流しの習慣が合体したものだという。灯篭に穢れを託し練り歩いた後川、海に灯篭(ねぶた)を流し無病息災を願う行事という。

駐車場から観覧席には20分位かかったが居住地に比べれば格段に涼しく会場に運ばれる巨大な人形を見ながら歩いた。

ねぶたの薄暮からの見え具合。鍾馗像の例。
2018nebuta00

段々鮮やかになる
2018nebuta01

2018nebuta02

跳人、「ねぶた」そして囃子の順に歩いてくるが次々に来るので解らなくなってしまう。

ミスが行く。
2018nebuta03_2

提灯を持った人が先導し
2018nebuta18
老若男女が続く

2018nebuta10

元気にはねてくれる。ラッセラーラッセラー。
2018nebuta08

男子が女装しているのも多い。
2018nebuta07

御所の右近の橘、左近の桜の周りを切りあいで追いつ追われつした平重盛と源義平。正面を反転させ観覧席に見えを張る。
2018nebuta09

次いで太鼓のリズムが重々しく笛の音、鉦が賑やかに悪魔祓いを願う。

2018nebuta05

2018nebuta05_2

以上をチームとした行列が数多く行進する。

丸尾狐 玉藻前
2018nebuta12

児雷也
2018nebuta13_2
西王母の祝福

2018nebuta13

天竺への道
2018nebuta14

天竺への道裏
2018nebuta15

花和尚魯智深  ねぶたの題材は知らないものが多い。歴史が長いと日本の武者では限りが有るか?中国の題材が多くなるか?江戸時代明治では民衆は知っていたのか?無知な我々は案内書を見て出し物に少しでも馴染もう。
2018nebuta17

入雲竜公孫勝
2018nebuta18_2

幼稚園生の行列
2018nebuta19_2

園児のお囃子
2018nebuta21

大きなねぶたは企業の協賛による。同士、町内会のねぶたも有る。
2018nebuta22

江戸時代武士だけが飼うことが許された津軽錦という金魚のねぷた。
2018nebuta1

元禄水滸伝
2018nebuta19_3

金毘羅大権現
2018nebuta23

信仰心の強さと祭りを継続するエネルギーの盛り上げによる魂が揺さぶられる行事であった。

2018年7月25日 (水)

背番号を勝ち取った。

去年高校野球の素晴らしさを熱く説いてくれたT君がメールをくれた。彼も運動部部活に打ち込んだわけではないがお孫さんが猛練習に意識がなくなる程打ち込んだ姿に感動して話してくれた。去年は2年生で20人枠には惜しくも入れなかった。

去年のチームは絶対的なエースがいて県予選5試合すべてをエースが投げぬいて甲子園に行った。友の孫は観覧席でユニホームを着て応援をリードした。友も甲子園までは行かなかったが予選は毎試合球場に足を運んだ。

秋の大会以降は新聞にその学校の名が無かったので高校野球も気にしてなかったが県予選の準決勝の日に今日千葉TVで放映が有るからとメールがあった。背番号19だがメンバーとなったとある。念願のベンチ入りだ。チームは去年秋の大会は芳しくなかったようだが冬を越し春季大会を打ち勝ち関東大会も好成績だったようだ。

早速TVを見た。技術もしっかりし動きもシャープで勝つのではと予感させた。何よりも体つきが相手に比べしっかりしている。フィジカルが違う。大きくがっちりした背番号5の選手が先発で試合を作る。お孫さんは試合には出なかったがファーストコーチとして画面に写った。臀部にしっかり肉の着いた運動選手らしい逞しい体をしていた。圧勝だったのでコーチの動きはあまり写らなかった。

決勝も背番号5の選手の好投と打ち勝ち圧勝だったが二回のピンチに伝令として背番号19が大きく画面に写りアナウンサーにも名前を呼ばれた。マウンドに走り手ぶりを加え投手をはじめ集まった内野手に監督の言を伝えて大活躍だった。

試合直後のホームベース付近で勝者の校歌斉唱だが学校特有の上半身を後ろに反らし臍を突き出し校歌をがなり立てる。息継ぎの度に臍を空に向けバックに流れる滑らかな校歌と違って聞こえる校歌が終わった。先攻だったので守り切った選手はグラブを付けている。グラブを付けていない選手をこの子ではないかとお爺ちゃんの顔を思いながら探したが会ったこともないので解らなかった。

背番号5の選手が投手とし更に成長し1番も力を発揮し勝ち進んで県民を楽しませてもらいたい。全力で取った19番力いっぱい勤めよう。

«北海道東部旅行4(釧路)

フォト
無料ブログはココログ