2017年1月14日 (土)

冬の鳥達

今年はカモが少ない。何処に行ったんだろう?

ベニマシコの声がする。一ヶ所で飽くまで餌を食べている姿はなく飛び回っている。声を頼りに追った。
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木の下で又現れるのを待ったが飛んで行ってしまった。代わりにドラミングのリズムが木を伝わってくる。おいらはドラマー。
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シジュウカラの小群も目立つ。
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アトリ。川辺に群れる。
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カワウ。無敵で増えるばかりだ。グリーンアイだ。
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日陰で餌を食む地味なアオジ。
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目立つのはツグミ。
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コロコロとカワラヒワも目立って多くなる。
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ノスリ(上)も寒い間だけ来てカラスにモビングされるのを楽しみにしてるみたい。
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中がノスリ。カラスは何処からともなく仲間が増える。
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2017年1月 1日 (日)

家族の新年会

元旦は子供たちの一家が集まってくれる。

私達を含め4家族12人が集まる。大晦日は倅は当番医で昼も食べられなかった。次女は万が一定時に終われなかった時の受付予備に待機していた。長女は例の如く酒を持参で神戸から暮れの内から助っ人に来てくれる。

雑煮とオセチを旨いうまいと良く食べてくれた。

例年の通り江戸川でソリ遊びと凧揚げをしたが土手の草が刈り込めておらずソリは短い距離しか滑らず、凧は風がないので上がらず楽しめなかったが孫達ははしゃいで喜んでいた。

昔取った杵柄で一時凧を結構上げたが落下を恐れて糸をあまり繰り出さなかったら風に乗り損ね落下してしまった。今年は糸を五倍に増やし孫を楽しませようと準備したが残念だった。それでも凧が上がったときは去年の糸の3倍は繰出した。

孫達

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楽しんでいるのは小生と赤ん坊を抱いた次女。右は長男。

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今日は長女の持参した酒に朝食時から誘惑されチビリチビリ始めた。朝は奈良御所の櫛羅(くじら)を舐めだした。冷酒だが旨い。オセチに合う。内輪に切り上げた。

外から帰宅しすき焼きをつつき乍ら高山の味比セットを始めた。30年位前業界の会が名古屋で有ったとき一日高山に遊び蔵で飲んだ酒が旨かったのが忘れられないでいた。その後高山には二回ほど行ったが蔵の売店で目当ての酒を飲み満足した。

味比セットは同じ銘柄の五種の酒が入っていて胴元の長女、長男と小生で他の者が結構な勢いですき焼きを食べているを横目で見ながらチビチビ始めたが味もアルコールの度数も違う真にうまい酒をどれが好きだ何に似ているとか酒場放浪記の話題を混ぜながら楽しく飲んだ。どれも美味い酒でしばらく鳴りを潜めていた小生の胃袋が鬨の声を上げた。娘は二年は関西に住んでいるので饒舌に成ると関西のおばちゃんという感じで楽しい。長女の子供はもっと自然な関西弁で子供は流石だと思えた。
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しばらく飲まなかった小生も美味い酒を楽しく飲めた。長女に普段も美味い酒を少量にしたらと指南された。そうしようと思う。

2016年12月31日 (土)

新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

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2016年12月24日 (土)

冬の鳥たち。

右肩が突然痛くなり温まると楽だ。歩くと鋭い痛みが筋肉から骨にズンと来る。

気温も緩んだので川を歩てみた。歩くと痛いし首にカメラをかけると痛みを増す。リハビリのつもりで歩いてみた。

久々に散歩すると留鳥としていつもいる鳥が懐かしい。

スズメ 小グループになったが健在。
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ホオジロ 昔は10羽くらいの群れを作りスズメと同じく地面の餌を漁り近づくとススキのなかに逃げたが飛び方が鋭角的だ。
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ジョウビタキ ナンキンハゼの実を食べている。実は鳥たちに食べ尽くされる。
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同オス
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メス 目が可愛いが時には怒った目をする。
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我が家にも初めての女子の孫が生まれた。小さな子には目が行く。
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ツグミ冬鳥 ケケケ…と鳴き飛び回る。
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メジロ 寒くなると増えてくる。
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モズ 秋から5月ごろまで目立つ。
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ケリ 夏が繁殖だが冬によく見かける。
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ベニマシコ♀ ひときわ大きな声で鳴いていた。オスを求めて人が集まる。
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ネコヤナギの芽を食べる。
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キジ
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アトリ。冬鳥
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タヒバリ冬のお馴染み
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ナンキンハゼの実を食べるムクドリ。
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シジュウカラ
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オオバンやカモもいるが松戸川の橋が1ヶ無くなり、その分水辺に寄れないので今回は省略。

2016年12月13日 (火)

愚治験

市の検診の結果要大腸検査と出た。時間が掛かるので現役の時は避けていた。隠居して時間があるので意を決して検査を受けた。

下剤と腸の洗浄液を服用し20数回の水様便を便が澄明になるまで強いられた。これが覚悟のいることだ。

ポリープが6ヶ見つかり3ヶは小さいので検査のついでに焼き取った。残りは1,5cmの大きさなので入院で後日という。早速予約となり最短でということで二週間後一泊で実施した。患部の下に生理食塩水を注入しポリープを浮き上がらせ輪になった機器でポリープの付け根を絞めて通電し焼き切る切除術を受けた。きれいに取れたと結果を聞き安心した。一泊し下血がないかを確認し退院になった。

しかし入院の晩に熱感を覚え寝汗をかいた。大腸壁を高熱で刺激したのが原因であろうと薄々感じた。翌朝37.1度と微熱があった。

漢方では太陰経を考えており臓は肺、その腑は大腸となる。大腸の血管壁に熱を加え若ければ血が陰で熱を吸収するのだろうが老年で体にその力がなく微熱になったのだろうと太陰病の代表的な薬「桂枝加芍薬湯」を服用した。一服し一時間後には平熱になった。この薬は桂枝湯という暖かい時期の風邪薬の芍薬を3g増やした薬だ。芍薬が3g増えると体表の熱の籠りばかりでなく消化管にも熱が籠るようになった症状に効くようになる。

芍薬 苦平 苦味は血に働く、苦味は平といえども血は熱を持ちやすいので冷やす働きを持つものが多い。

体表で風邪をひき皮下の血管に影響が出たのを芍薬で調節するわけですがこれが3g増えると腸管に熱が籠った症状に効くことになる。芍薬の働きで大腸壁に熱が残ったのを治めたのだろう。

2回のポリープ摘出後1週間ずつ計2週間の禁酒していたら酒が飲めなくなった。短期間に無理やり激しい下痢を人為的にも起こすことは老人には無理なのかもしれない。

それと下痢で大腸内の水分が減ると腸内に熱を持つするとその臓である肺にも熱を持つ。特に燗酒を飲むと胸がムカーとした。原典では快薬で下痢を被りその結果肺に熱が籠り治らない咳つまり肺痿という病気になる。とある。

朴庵塾で習った考え方だ。

2016年11月30日 (水)

岡山城&後楽園

昨夜から雨、時に激しく降る。

春はモット酷い降りの中、葛城古道を歩いた。今日は3日目だし気温も低いのでホテルでゆっくりしているうちに腹が減ってきた。ホテルの朝食を摂ることにした。バイキングで割安だった。

10時半頃宿を出て路面電車で城下まで行く。ICカードの接触面にsuicaを付けたらピッっと言ったので安心していたらsuicaは使えませんとアナウンスが有った。

運賃は100円とのことで小銭は間に合った。

一桁の温度で雨の中岡山城に行く。中々大きくて立派な城だ。太平洋戦争中に空襲で焼けたのが残念だ。

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各階の展示の説明をゆっくり読んで時間をつぶしたが頭には入っていない。
江戸時代になると姫路城を作った池田輝政の次男忠継が城主となる。次いで忠雄(ただかつ)が継承する。次の代になると姫路から鳥取に国替えになっていた池田光政(輝政の孫)が城主となる。忠雄の子の光仲は鳥取城主となる。親戚とはいえ互いの国替えは大変だったろう。

姫路城主の2代目は利隆で岡山城主池田の初代忠継の兄で後見人。その子が光政。利隆は光政誕生に感謝して吉備津彦神社に子安神社を寄進した。

橋を渡り後楽園へ行くが外周を半周して正門から入る。時間を消費するのに懸命だ。

三大公園の内、兼六園は行ったが偕楽園は行ったことは無い。広大な庭園を一目で見渡せる造りの後楽園は素晴らしいと思う。
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一昨日吉備津神社で道を聞き長い回廊を話をしながら歩いた夫人が後楽園は行ってくださいと勧めてくれただけのことはある。

長く園に滞在するため抹茶と黍団子などを頂く。
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日傘の置物も風情を添える。
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更に東屋で無駄話などして時間を過ごし遅い昼飯とろうと名所を後にした。せかせか歩く旅も一か所でゆっくりするのも悪くないと思った。

観光案内で聞いた名店を探したが時間外で駅の地下での昼食となった。

土産なんてと思っているが妻は必ず甘いものを買う。長い間に慣らされて小生にも朝食後の楽しみになりつつある。10kg以上の減量を三度も経験した小生には困った習慣だ。

帰りが16時49分の新幹線と早かったので上手く時間を過ごせて良かった。

2016年11月29日 (火)

吉備 国分寺コース&備中松山城

今夜から雨の予報で明日は一日中降る。となると予定をタクシーを使って時間を短縮し明日の分を消化しようかと思う。

孝謙天皇は譲位していたが天皇家の血筋にない一僧侶の道鏡を天皇にしようとする事件がありこれに反旗を翻した藤原仲麻呂が総理大臣兼防衛大臣の立場で負ける戦でないのに敗れたのは天皇側の吉備真備の戦略よる。孝謙天皇は重祚し称徳天皇となる。朝廷も大混乱だが宇佐神宮から皇位継承の御託宣を全権大使とし運んだのが和気清麻呂だ。称徳天皇が病没し一件落着したが和気は吉備の一地区の名で清麻呂はここの出身だ。重大なところで活躍した吉備の人々だ。

8時37分の桃太郎線に乗る。できれば12時ごろまでに東総社駅に行きたい。好天の下遺跡を見ながらのんびりと歩きたい。

備中高松から歩くが造山古墳まではタクシーとする。3kmで約一時間の短縮と大まかに思う。

全国4位の大きさというがこれだけの物を人力で作った古代人は凄い。

古墳後円に向かう。
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古墳上から高松城址方面を望む。
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古墳前方部にある現役の荒神様
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陪塚 小型の古墳が並ぶ。
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サイクリングコースを自転車を気にせず歩く。枯葉の焚火煙があちこちで上がる。懐かしい風景だ。
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偶にサイクリング者や散歩の人が通る。
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国分尼寺跡この先に蝙蝠塚古墳の標識がある。

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蝙蝠塚古墳は仁徳天皇の愛妾で吉備の美女黒姫の墓という説もある。
貴重品が多数出土した為そう言われる。
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林を抜けると突如五重塔が現れる。絶景かな!国分寺。国分寺の中の茶屋で総社宮までどのくらい掛かりますか?と聞くと歩けない距離ではないが自転車のほうが良いのではと言われた。造山古墳から9kmの予定で歩いている。此処の1kmは江戸川の1kmの五割増の気がする。
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作山古墳は全国九位と巨大だ。造山古墳は木は少なかったがこちらは里山状態だ。
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この辺から何回も道を聞きながら歩く。古墳の登り口。散歩の途中花摘みをしてきたという主婦が500m伴歩してくれ総社宮までの一本道に出られた。
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総社宮 新任の国司が赴任すると先ず領内の神社をすべて回るのが初仕事という。それを簡略するため総社を作り、つまりすべての神社を祭る総社を作りお参りすればすべてを参拝したことになるとした。毎月朔日に総社で祭りをすると全ての各神社で祭りをしたことになる。此処の総社は国中の304社を祭る。総社は総社市だけでなく全国にある。

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総社宮本殿 12時5分の到着。
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くたくただが明日雨なら備中松山城にぜひ行かなければと気合を入れなおす。東総社駅に出たが適当な電車がないので総社までタクシーにする。

総社からは伯備線が20分間隔にあり12時47分高梁行きに乗れた。高梁からもタクシーで「ふいご峠」まで行く。そこから天守まで700mとあるがこれが急坂で堪えた。登りも下りも昨日吉備津彦神社でお借りし使用し続けてきた竹の杖が役立ち感謝一杯だ。
天然の岩も石垣とした備中松山城。十二ある現存天守の一つだ。どの部分が大河ドラマ真田丸で使われているかわからない。
意識して回ったわけではないが十城目だ。
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狭間 
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天守が見えてきた。
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天守閣
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天守の裏側。
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天守の後ろに二重櫓がある。岩盤と石垣の上に立つ堅固な城だ。山の中腹に高梁高校がありそこに本丸御殿があった。日常の仕事は本丸御殿であり城に武士はあまり居なかった。
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天守の神棚。
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天守から外を望む。
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木造の建物は暖かさと安心感を与えてくれた。

帰りはシャトルバスと乗り合いバスで十分の一の値段で済んだのはうれしい。
時は4時を過ぎ暗くなってきた。疲れもあり其の儘岡山に戻ろうとしたが総社まで来たとき桃太郎線に乗り換え備前一宮に行き杖を吉備津彦神社に返さなければと決断し乗り換えた。

備前一宮駅から7,8分の吉備津彦神社に杖をお返しできた。神様に不義理をしないで済んでホットした。
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明日は一日雨だがどうしよう。

2016年11月28日 (月)

吉備の中山を歩く。

欽明天皇の孫で皇極天皇の母、天智天皇の祖母は吉備姫王という。吉備との関係は解らないと言う。飛鳥に吉備の地名もあり吉備国との繋がりは有るはずだ。

吉備の資料を新橋のアンテナショップでもらい吉備中山とサイクリングコースの国分寺コースそして備中松山城を歩くことにした。

肥沃な平野で穀高も豊富で塩の生産と鉄器を製造し強力な国家だった。大和朝廷が豪族の連合隊だったのに比して強力な単独国家だった。

朝廷側の記紀の記述が残るだけだが第七代孝霊天皇の皇子の吉備津彦命が第十代崇神天皇の四道将軍の一人で西街道を治めた。桃太郎のおとぎ話は温羅伝説を易しく説いたものだ。鬼や温羅が原住民で桃太郎は吉備津彦命で大和朝廷なのだろう。吉備の古代人には悲劇だ。

応神天皇の后は吉備の兄媛という人で天皇が吉備に行幸の折、兄媛の兄の御友別一家が精一杯の膳夫をし応神天皇が感激し吉備を御友別親子に分け与えたとある。

仁徳天皇の時代吉備は大虬(みずち)に苦しめられていたが大和朝廷が徹底的に退治した。しぶとく生き残った二匹の大虬がいつまでも抵抗した。良くある住民の抵抗の例え話だ。

造山古墳があり全国四位の大きさで大和朝廷が作りその威力を誇示し続けた証拠だという。あれだけの盛土をするのは相当の権力者だ。

律令制の完成とともに国造や屯倉の配置で監視を厳しくし大和朝廷の力が勝っていった。姻戚関係にあった葛城家の没落と一族の朝鮮出兵命令が重荷となり徐々に力を落とした。

岡山に十時十八分につきコインロッカーに余分な荷物を入れ四十八分の吉備線に乗り三つ先の備前一宮に行く。吉備は備前、備中、備後、美作その他に分割されたがそれぞれの地方に一宮が作られたが備前一宮が吉備津彦神社で各地の一宮は吉備津彦命を祭神とする。
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右の杉の大木が平安杉と言われる御神木だ。昭和5年火災で左半分が焼けてしまったが手入れのおかげで残り右側に緑が健在。
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日本一の石灯籠
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岡山城城主後見人池田利隆が子宝祈願をし実を結び左に見える朱色の子安神社を寄進した。
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吉備津彦神社本殿
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神社の裏山が中山という神奈備山の入り口になる。その最も神聖なものが三輪山だ。
神様が鎮座する特定の神奈備山が決められていた。神様が鎮座する場所は神奈備山中の神籬、磐座、森林、滝等だ。

左手前に登山口があり竹の杖を置いてあり借りたが返却で苦労する。
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鹿ケ谷の謀議に加わり流された藤原成親の供養塔。
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この横から落ち葉の積もった結構な斜面の坂が続く。
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竜王山に元宮磐座があるが宮の字の入った石道標。
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元宮磐座 家内安全、健康で過ごせますよう、五穀豊穣、良い鉄ができますよう大事な祈願をしたのだろう。
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八大竜王
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経塚
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竜王山から児島湾を望む。海外交易や筑紫への航路で早くから見張りがあった。吉備の都があった足守まで水路が入り組んでいた。
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次々と磐座が現れ神聖な気持ちになる。木漏れ陽に演出された道を進。
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お休み岩 神奈備山で食事は気が引けたがしめ縄のはずれたところで何時ものようにコンビニのお握りを食す。
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環状岩 磐座が環状になる。
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大坊の足跡(大男の坊さんの足跡)
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八畳岩古墳
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鏡岩 大きな磐座が並んである。見える面が鏡のように滑らか。
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穴観音 後ろは中山茶臼山古墳の頂。古墳を拝む磐座のようだ。
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吉備津彦命の陵と言われる中山茶臼山古墳。
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反対側の広場。国境石を探しぐるぐる回った。
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茶臼山古墳に職員がいたので聞いて分かった国境石、なんてことはない古墳のすぐ前にあった。「備前反対側に備中」の文字が入る。備前と備中の境界線で中山茶臼山古墳を半分に分ける。
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備中一宮の吉備津神社に長い坂を下る。滝祭神社 清水寺音羽の滝のように細い滝が落ちる。
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搦手から回廊が続く。
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独特の屋根の吉備津神社。備中一宮で吉備津彦命を祭る。備前一宮も美作一宮も吉備津彦命を祭神とする。
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吉備津彦神社から竹の杖を借りてきたが巫女さんにこちらに返してもよいか聞いたところ吉備津彦さんのものは受け取れませんとのことでどうしようか狼狽する。
尾根歩きをした中山。幹線を歩いて脇道は歩かなかったがよく歩いた。脇道は200mから300mで色々な遺跡に行けるが急坂なので自重した。
神聖な山を神聖な気持ちで歩いた。左端の吉備津彦神社から登り右端の吉備津神社に降りてきた。
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時間が早かったので沿線の備中高松に寄り清水宗治が秀吉の水攻めにあった高松城址に行く。
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「こうやぶ遺跡」宗治の家来達が互いに腹を刺し殉職した地。近くの寺の門前に清水宗治公自刃地の石碑がある。
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途中下車で杖を返しに行く気にはなれず吉備津彦命神社様には失礼をしたが明日も明後日も使わせてもらう心算だ。

2016年11月16日 (水)

飛鳥を歩く3

昨日の電話で神戸に住む長女が急遽散歩に付き合うことになった。

大和西大寺で9時43分に待ち合わせする。神戸からの電車が2番線到着で橿原神宮前行は1番線発なので都合がよい。9時49分発の急行で橿原神宮前に到着すると5分後に発車する吉野行きで飛鳥に行けた。ラッキーだ。

今日は娘のスマホを頼りに地図は見ないで済み時間も短縮できるだろう。

観光資料の多い方と反対側に岩屋山古墳がある。岩が方形に成型された古墳だ。
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踏切を渡り返し行き先を娘に指示し、言う通りに歩くと欽明天皇陵と隣の吉備姫王陵に着く。この近辺からは石像が幾つも見つかっている。

欽明天皇陵
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吉備姫王陵 皇極天皇=斉明天皇、孝徳天皇の母だ。
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陵内の石像
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好天の下迷いなく歩は進む。女同士は良くしゃべる。高松塚古墳到着。

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壁画館を探すが解らず文武天皇陵に出る。丘の上で斜面はミカン畑、柿畑段々畑と懐かしい景色だ。戻りで檜前寺の標識を見る。キトラ古墳の帰り路に寄る計画なので「へぇ~ここからも行けるのだ」との感慨だ。
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古墳の麓の壁画館はハイキング客で満員だった。美しい色彩の美人図が素晴らしい。
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案内本には中尾山古墳を通り越した方が次に近道になると書いてあるというのでその方向に歩いたが標識は一本もない。
中尾山古墳 小さく八角形をしている。文武天皇は火葬されたと言い小型で八角形は珍しいので天皇の墓かも知れないと言われている。
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道は自動車道に出、右手に天武天皇陵が望める。天武天皇陵の尾根続きの鬼の雪隠、鬼の俎は通り越したことになった。

天武天皇、持統天皇陵。持統天皇は火葬され夫婦一緒に埋葬されている。乙己の乱、壬申の乱と動乱を経て古事記、日本書紀と天皇家の由来をまとめた天皇様達だ。
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好天の好季節なのでハイカーが多い。
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亀石に行く。川原寺の境の石という。昨日の道と繋がると分かり馴染みを憶え嬉しくなった。
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いったんバスで駅に戻りキトラ古墳に行く。
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古墳の壁画が損なわれないようファイバースコープで観察したという。こんな風だった。天上の星座と東西南北の四神が美しい。石室内部の模型。
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朱雀図  四神の東西南北に中央を加え五行説とし実際に投薬に応用した。
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白虎図
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玄武図
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青龍図は劣化が激しいので省略する。

倭漢人と言われる渡来人の複数の民族をまとめていた阿智使主(あちのおみ)を祭った神社で於美阿志神社、昔はこの地方の名を取った檜隈寺があった。韓国から渡来した人々が標高の高い処にまとまって住んでいた。U字型鉄器や優れた土木工事で高所でも稲作ができるようになった。
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当時から柱と柱の間に竹を交差し泥を貼り壁を作る技術を持っていた。現在も漆喰の白壁の家が多い。
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近鉄奈良駅の近くで長女と夕食をする、女どもは一日中しゃべくっていたが気分転換になったらしく上機嫌で帰って行った。

2016年11月15日 (火)

飛鳥を歩く2

飛鳥時代118年間で推古天皇、皇極天皇=斉明天皇(重祚)、持統天皇と元明天皇と四人五代の女帝が即位している。女性も皇位継承を出来、譲位も行わている。

蘇我稲目の二人の娘は欽明天皇に嫁いでいる。蛇足だが長子は馬子。

姉の小姉君は崇峻天皇と穴穂部間人皇女を産んでいる。
妹の堅塩姫(きたしひめ)は用明天皇と推古天皇を産んでいる。
異母兄妹同士の用明天皇と穴穂部間人皇女の結婚で聖徳太子が産まれている。遺伝的に問題が無くて良い結果で良かった。

稲目は吉備の国の東西に屯倉を運営し吉備の力を徐々に削ぎ朝廷の信用を得る。蘇我氏は権力を握り、天皇家と姻戚関係となり益々強力となる。

今日は亀形石造物、酒船石、飛鳥板葺宮、飛鳥京苑池、岡寺、石舞台、橘寺と川原寺に行き時間と足に余裕が有ったら稲渕に行こうと予定した。良い天気で気持ちが良い。

亀形石造物。湧水が絶え間なく出るように地面を掘り、盛り土をして膨大な石垣を積んだ建造物だ。用途は不明だ。
地下に湧水口があり狭い石室に水がたまり上昇する。木樋を通り小判型容器に伝え亀の口に伝える。
亀は北を守る聖獣。甲羅は現存しないが天を表し中心に天皇様を敬った。円天方地、天は丸く陽気の多い聖なるもの地面は四角い陰なるもの。亀は四つ足を踏ん張り天を支えるというボランティアの説明を尤もと聞いた。右側の崖も石積みだったという。天理砂岩といい石上神社近くからモッコや舟運で運んだと気の遠くなる話だ。

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右の道を登ると酒船石がありこれも使途不明とのこと。養老の滝伝説の様に甘露の湧水が存在したのではの説もあるという。

この場所は多武峰の一部で両槻宮(天宮)の有った所という。
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坂を下ると田園風景が続く。多くの遺跡がうずもれた都跡を直前に読んで得たわずかの知識を下に想像するのも楽しい。右奥は耳成山。

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飛鳥板葺宮跡にでる。蘇我入鹿が中大兄王子と鎌足に討たれたところ。後に天武天皇が飛鳥浄御原宮を開いたところ。
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写真右奥に飛鳥京苑池を訪ね岡寺に向かう。飛鳥時代末期から続く古刹だ。正式には龍蓋寺という。参道は長くしかも坂が続く。
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石舞台に向かう。途中商店が点在するただ一つの街にでた。立派な薬局が有ったので一枚。
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石舞台。蘇我馬子の方墳が土が亡くなり大きな岩がむき出しになる。蘇我氏は当時朝鮮半島から渡来した先進の人々の元締めをしていて進んだ文化を吸収し勢力を増していった。
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一時間を掛けより山間部の稲渕に行く予定だが足が痛いというので広場で昼食とし様子を見た。

稲渕には中大兄皇子と中臣鎌足が指導を受けた倭漢人の南淵請安の墓がある。棚田と民家の白壁が美しいというが断念した。

橘寺天武天皇の時には建立されていたが現在の建物は江戸時代のもの。聖徳太子が産まれたところというが?という。馬は厩戸王子の愛馬。
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二面石 善面と悪面を表す石造物。石造物が多数発掘された吉備姫王墓の近くで発掘されたと考えられる。
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近くに川原寺跡がある。飛鳥の四大寺の一つだった。手前の土台跡がそう。
中金堂跡に弘福寺が建つ。
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橿原神宮前から西大寺経由で近鉄奈良に帰るのでここらで打ち止めとする。

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