2017年11月15日 (水)

六道山ハイク。

老人の健康維持の為に誘い合って歩いている女子2人、男子1人がいる。男子は奥さんに先立たれお子さんは結婚し独居している。緑内障を患い目も不自由である。面倒見の良い下町の女子が何かにつけて行動を伴にしている。

もう一人NPOで河川の浄化で活躍している女子が居て先の女子2人と仲が良い。この人達に誘ってもらい立川の里山を歩いて来た。
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ハイキングというとチョイと遠くで名の知れたところを思いがちだが近郊の里山で良い処が有るのを思い知らされた。立川駅からバスで30分位で行けた。企画者も降車停留所をはっきり認知してなく停車中に運転手に確かめていた。教えられた停留所の告知に気が付かない我々は運転手に促され岸停留所で降りた。里山民家入口と表示が有り安心する。

手前が土間で見る通り囲炉裏が有り部屋は10畳はある広さで中学まで行ったことが有る母の実家と同じ造りで懐かしかった。
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農家の畑の周りに秋には菊が満開の花を付けるがその菊花をあふれる程花瓶に生けた土間と花瓶の右は竈になっている。
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茅葺の大きな民家の前で竹馬で遊ぶ仲間。小生も子供の頃は道路を高い竹馬で闊歩した。
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NPOで活躍の女子と竹馬の男子は夫婦で昨日の雨の影響で山道がぬかるんでいないか心配したようだがその心遣いのおかげで山道は甲子園のように水はけが良く快適に歩けた。

フェンスの左は狭山湖に通じる水源となる為しっかりと隔離されている。近所の人もウォーキングに精を出す遊歩道のようだ。何組かのウォーカーとすれ違った。
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六道山広場で昼食となる。女子はいつものことだが得意の料理を持参してくれ舌ずつみを打ちながら会話がはずむ。
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展望台が有り丹沢、秩父が望める。今日は富士山は見えないが見えれば更に色を添える。

見られる10種ほどの猛禽の描かれた看板があり水源地林の豊かな自然を感じる。富士山と猛禽が見られれば最上の喜びだった。

案内の地図を見ながら主催者の二人が道を検討する。野次馬が囲む。
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前もって何回かアップダウンを繰り返すと聞いてたので楽に乗り切った。
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目的地の瑞穂ビューパークを前に荷物を腹に収める。小はん師匠の年送りの三本締めではないが今日来なかった人の不幸を祈りシャンシャンシャンと。今日来なかった常連が肴になった。おお怖い。
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最終地の瑞穂ビューパーク展望塔の100段の階段を上り横田基地を望んだ。広域な上空を米軍が占有する横田基地は不気味に地味だった。
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なだらかな道だが宮崎の疲れが取れておらず草臥れた。

2017年11月13日 (月)

記紀の道・青島神社

神話に関係する処を巡ろうと計画した。瓊瓊杵尊と木花開耶媛の出会い場所から二人の古墳まで伝説の場所を具現化した記紀の道を歩くことにした。

宮崎発8時6分大分行で佐土原に行き佐土原から西都バスセンターに行く。佐土原到着後直ぐにバスが来て程なく発車する。30分位で西都バスセンター着。体制を整え歩き出す。最初の目的地、都万(つま)神社をセンターで聞くと左手に進み道々聞いてくださいとのこと。最初の交差点で聞くとずーっと先に見える陸橋の処だと教えて貰った。往復9kmを歩き始める。

都万神社 木花開耶媛を主祭する。
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木花開耶媛にちなんで神社の紋が桜の花だ。
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ここの狛犬も出雲と同じく腰を立てている。
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境内には楠の大木が多くある。
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神社の案内図、手持ちの地図を見ても解らない。洗濯物を干していた婦人に聞くと御船塚迄30mくらいを案内してくれその先の道も教えてくれた。

御船塚。古代はこの辺まで入り江だったと云う。瓊瓊杵尊は高千穂より広い耕作地を求め海路、場所を探し着いたのであろう。上陸地は笠沙御前(かささのみさき)と呼ばれるがその場所の比定が論争のあるところだ。
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尊は逢初川(あいぞめかわ)の辺で木花開耶媛に逢い結婚を申し込む。
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この杜の右際に逢初川碑があり左に八尋殿跡が有ったらしいが見逃してしまった。八尋殿は瓊瓊杵尊と木花開耶媛の御殿。
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無戸室(うつむろ)見染めて一夜を共にし妊娠が分かると瓊瓊杵尊は自分の子か解らいという。木花開耶媛は身の潔白を証明するため戸の無い産屋を建て火を付けお産をし3人の男児が母子ともに元気に産まれる潔白を証明する。
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児湯
産まれた海幸彦、山幸彦等三人が産湯を使った池。
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瓊瓊杵尊と結ばれる前に木花開耶媛との結婚を申し込んだ鬼がいて父の大山祇が一夜で岩屋を建てたら娘をやると言ったところ一夜で岩屋を完成してしまう。不本意な大山祇は岩屋の石の一つを外して放り投げて未完成だと破談にしてしまう。石の落ちた処が石貫神社だ。参道にその石と言われる物が有る。
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西都原古墳群に通じる石段が有る。昭和初期に熱心な信者が寄付したという。この登りが堪えた。
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上は平らな台地で目の前に大山祇塚と言われる古墳が有る。大和、吉備に並んで大規模古墳が多く有るが遠方に離れている故、謎だ。埴輪や馬具も大和地方の物と良く似ており深い交流が考えられる。
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鬼の窟 古墳の周りに土塁が有るのは鬼の怨霊を封じ込めるためという。大山祇を酷く恨んだことだろう。
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道路を回り奥に行くと瓊瓊杵尊と木花開耶媛の墓と言われる男狭稲塚、女狭稲塚が有る。鬱蒼とした森で見えないが手前に女狭稲塚、奥が男狭稲塚になる。
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天気が良く暑く大いに汗をかき気持ち良かった。フラウが足の痛みを訴えだしたのでゆっくり歩きバスセンターに無事到着する。
宮崎にバスで戻り青島に行く。新婚旅行が宮崎、鹿児島だったので青島神社にお礼参りをした。
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青島神社は山幸彦が兄の釣り針をなくし小戸からワニに乗りワダツミの神に逢いに行く。楽しく3年を過ごし目的を思い出しワダツミの神に伝えると元気をなくしている鯛の口から釣を見つけてもらう。ワダツミ神の子トヨタマヒメと結婚しヒメは子を身ごもっていた。青島神社の地に海から帰りウカヤフキアエズ命を産む。お産は鵜戸神宮でする。

ウカヤフキアエズ命の四男がカムヤマトイワレヒコ神武天皇と言われる。ワダツミの神の血を受けたカムヤマトイワレヒコは海を渡り大和に東征する。

簡単に纏めた。

江田神社・宮崎神宮・皇宮屋

5月に女房が腰を打ち2ヶ月は動けなかったが軽快してきた。かねてより日向を旅したいと思っていて宮崎県のアンテナショップに行った。随分参考になった。

2日目は高千穂から宮崎駅に出てバスで江田神社に行き其処から育成牧場南に戻り宮崎神宮から皇宮屋に行くことにした。

高千穂bcを8時15分に出、宮崎駅着が11時37分江田神社へ行くバスが12時11分だが渋滞で10分遅れ出発。昼飯は延岡からの列車の中でお握りで済ます。何時もの通り時間の節約だ。

古事記に江田神社は竺紫日向之橘小門之阿波岐原にあると記載されている。阿波岐原が本居宣長以来特定されず又この地方が地震で水没したことが有り日向の四大神社だが此処だけが往時の栄がないという。フェニックスカントリーを含むシーガイヤと呼ばれる中にある。

伊弉諾命を祭り、禊池が近くにある。禊池は黄泉の国から這う這うの体で逃げ帰った伊弉諾が禊をし最後に左目を洗ったら天照大神が生まれ右目を洗うと月読命が生まれ鼻を洗うと須佐能命が誕生した処だという。今春島根で黄泉比良坂を見た。黄泉比良坂から命がけで逃げ帰りすぐ禊をしたわけだがその地が宮崎とは?各地で同じ話が伝わっていたのか?

江田神社
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禊池
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天照大神誕生の地だからかどの祝詞も最初は小戸の阿波岐原の文句から始まるという。

そうそうにバスの時間が有るので失礼した。バス停育成牧場南から地図を頼りに宮崎神宮に行く。10分くらいで神武天皇を祭る宮崎神宮につく。立派な神社である。ウィークデイの夕方なので人は少なかった。七五三の受付のテントが目立った。
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神武天皇が大和に上る時に軍を整えたところと伝わる皇宮屋に地図を頼りに行くが行当たった人に聞くと歩いていくのですか遠いですよと言われたが25分位あったか?来る前に江戸川を10km7kmと5kmを数回歩いて来たので何とか耐えた。明日は9km歩く。

皇宮屋
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皇軍発祥の地の石碑。
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皇宮神社
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1週間禁酒していたがあまりにものどが渇いたので夕食時ビールの中瓶を一本二人で飲んだ。思いのほか酩酊した。

2017年11月12日 (日)

高千穂神話

出雲神話に次いで有名な日向神話の里を歩いて来た。長い名の神様が出てくると名前が分からなくなり物語がこんがらかるので簡単に書くと瓊瓊杵尊のひ孫が神武天皇という話だ。
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神様は地上では人間だが天に上ると神様になる。古代では神様は天降りする話が東シナ海沿岸インドネシア、中国、日本に幾つも有る。高千穂では神楽としても残る。
天皇様が田植えをしたり稲を刈り取る姿が放映されるが瓊瓊杵尊が籾を真綿に包んで天下ったと言われ皇室と稲作は密接な関係が有る。

天岩戸神社の説明では神武天皇は稲作を広く広め飢える人をそれまでに比べ格段に少なくした功績は大きいと言う。

伊勢神宮に御神田が有り太郎坊の神田も見学した。稲作は天皇家のおかげで国中に広まった。瓊瓊杵尊の子の山幸彦はワダツミの神の子と結婚し海洋進出を果たし神武天皇は大和に東征するようになり稲作も西日本に一気に広まった。

学者さんは狩猟を食物を得る方法としていた縄文民族に稲作文化を持った弥生民族が渡来し安定した生活ができるように成ったことだと言う。鉄器を持っていたり集団で作業したりと文化も進んでた。天孫降臨は新文化を持った民族の移入という。

熊本空港からバスで高千穂に入る。13時近くから予約してあったタクシーで天岩戸神社から見学を始める。狭いが高低差のある地域を熱心に説明して案内してくれる。岩戸神社は岩戸川を挟んで東西の宮に分かれる。川の対岸に木に覆われた天の岩戸と称す洞窟がある。
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神楽殿には洞窟を象った背景がありなるほどと思った。
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1km位先に天の安河原がある。浅い洞窟中に小石を積んだ仏塔が多数ある。
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洞窟側から川の方を見る。
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高千穂は斜面の町で棚田で米を作る。決して稲作に恵まれた土地ではないが斜面をフルに活用している。そのうえ瓊瓊杵尊が天下った時は水が無く天に水種を取りに行った。
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天孫降臨は二上山であり槵觸神社に落ち着いたのか。中央が二上山。
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水種が天眞名井となり欅の大木の下からこんこんと水が湧き灌漑に適した。
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槵觸神社 この地に天孫降臨があったと伝えられる。祭りでは階段を神輿が下りる。
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槵觸神社見事な彫刻が有る。
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峰伝いに高天原遥拝所がある。天孫降臨した神々が此処から高天原を遥拝したと伝えられる。
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さらに先に四皇子峰(神武天皇の四兄弟)が有る。深い森が続き神秘的だ。
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荒立神社に回る。天孫降臨の際、天からの道に立ちふさがる地祇がいた。天照大神が天鈿女命にお前の色香で道を開けさせろと命じた。やがて道を塞いでいた猿田彦と交渉をした天鈿女の二人は結婚した。あまりに急だったので製材も荒く粗粗しく神社を作ったので荒立神社という。荒魂と和魂と中間の魂6体の二人の像が有るという。雨鈿女は天岩戸で熱演し芸能の神様とされ芸能人の参拝が多い。
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神武天皇は四人兄弟の末で長兄は大和の戦いで戦死し神武軍は熊野に迂回し大和に入った。次兄は常世の国に行き三兄(ミケヌノミコト)は高千穂に帰り大和遠征で留守の間勢力を奮っていた鬼八を退治した。神武天皇はワカミケヌノミコトといった。
高千穂神社本殿脇のミケヌノミコトが鬼八を退治する像。
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高千穂神社 七五三で忙しそう。
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阿蘇山噴火の溶岩で覆われたが長い間の浸食で高千穂峡が出来たのだという。柱状の岩が縦並んだりその上に横に積まれたり感嘆する。
定番の真名井の滝
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夜8時から神楽殿で夜神楽が一時間あったが11月中旬から2月まで夜っぴて演じられると云う。
手力雄の舞、鈿女の舞と戸取の舞が演じられた。太鼓だけの力強い伴奏も迫力がある。
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手力雄が岩戸を取り長野の戸隠迄投げた。
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伊弉諾と伊弉冉が酒を造り夫婦円満で飲む。羽目を外し観客に抱き着いたり
素朴な舞。
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神話の里で昼夜浮世を離れた気持ちになった。

2017年11月 4日 (土)

2017年10月15日松戸神社連合渡御

今年はあいにくの雨になった。

家の窓から神様に失礼だけれど神輿を見下ろすのも最後になるので記念に収めた。

各町会あまり若くはないが元気な人が大声を上げ渡御していった。

お囃子が聞こえてくると先導のパトカーが現れた。

各町会連れだって宮入りに向かう。
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続いて神主と四神旗、各町会の高張提灯が列をなす。
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お囃子
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2丁目山下町会
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2丁目最近元気が良い。
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後継者も雨にも負けず
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3丁目山下町会
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3丁目いち早く担ぎ棒を長くし元気が有った。
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神社の近隣町会 宮前町
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角町 職人や大工さんが多く活発だった。今も健在。
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我が本町 
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カッパ姿、手拭いの姉さんかぶりが渡御を締める。
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今年も神輿が町内をお祓いしてくれ8ヶ町内安全だ。

4時間後本町の神輿が帰ってきた。8時まで町内をくまなく歩く。
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10月15日の記録。

2017年10月28日 (土)

15年前の過失

昔、給料を貰えるようになった長男が大切に720mlの瓶を抱えて帰って冷蔵庫に入れた。高いのだから大事にしてねと言った。

何日間か特に目もくれず置いておいた。それが高価な銘酒とは赤西(浅草の友達が常識のない野暮天をそう呼んだと教えてくれた)の小生は分からなかった。少しずつ飲んでしまって怒られたことが有った。

最近法事で子供たちと飲むようになって急にそのことを言われ赤面の至りだ。
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10月の初めに長女の主人が山口に出張して宅急便を送ってくれた。名物のフグ関連の品々と酒が3本入っていた。長男の物を飲んでしまった酒だ。婿殿は飲まないが気を使ってくれて嬉しい。

3種の内純米50を晩酌で頂いた。流石に美味い。口中に薫風が香。毎日猪口に2杯だけ飲んだ。倅も飲むかと誘ったが普段は飲まず土曜日にとの事だった。土曜の朝ウニ烏賊を買って肴にと差し出した。15時に仕事が終るとそれに女房が刺身と鰺のたたきを用意した。純米大吟醸磨き3割9分を開け美味い美味いと飲んだが昔の罪滅ぼしではないが小生は猪口で2杯飲んで後は息子に飲ませた。忙しいらしく飲み終わるといそいそと帰って行った。

28日(土)は小生が6年前の手術後2年前から年1回になった検診後又アジで一杯とスーパーで捌いてもらい用意していたが倅は疲れたからと愛想無く帰った。女房が鰺のタタキは夜までもつかしらというので心配ならと純米大吟醸磨き2割3分を開け昼間なので利き酒程度で猪口に3杯飲んだ。さすが米の髄まで磨き込んだ酒だ。美味そうに飲んでいたら女房はつられてタタキをおかずにしてご飯を一膳食べた。2時間前に昼飯を食べたのに認知症の初まりでないと良いと心配した。

2017年10月12日 (木)

ラテン

箱根に行ったメンバーの一人がラテンのフルバンドコンサートの常連ということで皆は何回か聞いている。

小生は8月は花火と重なったので行けなかったが今回は参加した。
大学1年の時従兄が産経新聞の医務室に勤務していたのでサンケイホールの招待券を貰ってニール・セダカ、カテリーナ・バレンテやトリオロス・パンチョス等を見聞した。パンチョスのバックバンドは見砂直照&東京キューバンボーイズだった。

ラテンは明るいリズムがもう一つしっくりしなかった。兄が聞いていたジェリー・マリガンのイパネマの娘は馴染んでいた。音楽のために好んで時間を取ろうとは思わなかった。中学高校の頃ドット入ってきたポピュラーは耳障り良く聞いていた。

隠居してクラッシックのcdを買って聞いてないのが有るのを思い出しセロファンを破りながら封を切り聞いていてゆったりと本を読みながら時間を過ごす日もある。曲の名を知らなくても聞いたことが有る曲があり抵抗なく時間を過ごす。

分類にシンフォニーだのオーケストラとかあるがどう違うか解らないが気儘に聞いている。

友からバンドの紹介もなく、ラテンの話もなく行ったがバンドマスターの話術の中に見砂先生との話が頻繁に出てラテン系だと分かった。好きなことをリーダーとして活躍している人は元気で活気が有る。演奏はバックグラウンドと思っているのでおしゃべりしながら踊りながら気楽にやってくださいと言う。

明るすぎて馴染みが薄かったラテンも英気を貰い受ける程楽しかった。

ゲストの槇みちるはブレザーを着た少女のイメージしかなかったが背の丸くなった相応の容貌だった。ナットキングコールやシナトラの持ち歌を唄い知っている曲は懐かしく良かった。凄い声量で圧倒された。

帰りの電車に男女二人ずつ4人で乗り込んだが座っていた4人が一斉に立ち席を譲ってくれた。槇みちるの歌声に20歳前後の頃の気持ちでいた我々も年の通りに見られ若返った気持ちが一気にしぼんだ。

2017年10月 5日 (木)

居たら撮ろうか。

今日も一応カメラをリュックに入れて散歩に出た。

花畑に寄ってノビタキが居たら撮ろうと思っている。相変わらずカメラマンは多い。
10分居て散歩に戻った。

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スズメは減った。前は沢山で楽しそうだった。

コスモスとセッカも狙い目だがセッカも花に留まらない。
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以前のコスセッカ

2017年9月30日 (土)

コスノビは撮れない。

今年はコスモスが早々と盛りを過ぎ虫が花に集まらないのか花畑にノビタキが入らない。

毎年ススキ叢から首を出す木に留まり餌の飛来を待つ。

初夏に東南アジアから日光方面の高原に避暑に来る。9月に避寒のため東南アジアに帰る。途中に河原による、春は目立った花がないのでカメラマンは集まらないが秋は河川敷の花畑はコスモスで埋まりコス&ノビを撮りに人が集まる。

カメラマンは三つくらいのグループが有るらしい。団体で場所を仕切る。小生は写真の腕を上げる気もなく、鳥の名も努力して覚える気もなく出会いを楽しんでいるが名人達にのんびりしたパラダイスでは無くなった。その鳥がノビタキの名と知らない20年前から写していた。
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今年も来てくれたかとホオジロが歓迎する。私がノドを披露するところだが今週は譲ろう。
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待てば花畑に降りてくるかもしれないが太公望の心境にも成れないので花を入れて撮る。
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昔はこんなだった。狩り。

2017年9月29日 (金)

コスひわ

コスノビの季節で花畑にはカメラマンが集まる。

昨日はノビタキは見られなかった。今朝は7時前に出かけた。

ノビタキを見たがコスモスの花には止まらない。

カワラヒワは頻繁に花畑に飛び込む。

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