2018年1月 2日 (火)

凧揚げ

今年は長男の家族は妻と長男がそして長女一家が都合で来られなかった。次女一家が歩けるようになった長女を連れてきた。普段ちょくちょく来てその時は膝に乗ったり慣れているのに長男と長男の次男が馴染みが無いからかママとパパにしがみついて婆ちゃんが抱っこしても直ぐに両親の方に手を延ばす。

雑煮を食べた後墓参りをして恒例の江戸川に行った。例年は男の子3人でソリ滑りと凧揚げに興ずるが動き回れる男児一名なので凧を上げ風も強いから短時間で引き上げるとした。
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去年凧の糸を以前の三倍に増やし醍醐味を楽しませようとしたが風が無く凧揚げは出来なかった。

小生は小学6年までコーラ瓶の太さ位に糸を竹の棒に巻き誰よりも遠くに上げ得意だった。

今年は風が強かったので瞬く間に凧は上がり強く引っ張られた。強く引かれ糸が切れるといけないので程々で糸を止め維持していたが孫はあまり興味が無いらしく寄ってこなかった。代わりに例年の如く長男が興じていた。
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いざ糸を巻こうと思ったらぴんと張った糸の摩擦に指が切られるような刺激が有り小学生の時は巻き取るのに小一時間は掛かった思い出が有るが如何してたのだろうと思ったが思い出せなかった。小生は久しぶりに楽しかったが孫はそれほどではなかったみたい。

歩き始めの次女の方の孫は大声を上げて歩いていた。

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凧の間を羽田を離陸した飛行機が頻繁に飛ぶ。凧と凧の間の点は飛行機。
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竹の棒を握った手を手背・手掌が交互に見えるように回し糸を紡錘形に巻いたので二の腕が痛む。こんなところでも年齢を自覚させられる。

2017年12月31日 (日)

明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

本年も宜しくお願いします。

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天岩戸神楽で手力雄命は最初、白い面で踊るが愈々岩戸を開ける舞では力を込めるため赤い面になる。岩戸を放り投げると信濃迄飛び戸隠の切り立った山になった。
天照大神が岩屋からお出ましになり国の隅々まで明るくなった。

天鈿女命の舞。
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手力雄命の静かな舞。
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2017年12月17日 (日)

ラテン

2ヶ月に一回のローグスのコンサートに行った。出がけに京浜東北線の架線事故で京浜東北線が不通とのニュースにどうしようか迷った。前回一緒した小はん師匠の奥方に連絡したら行ってみるというので私も出かけることにした。

集合時間に5分遅れたがコーヒー店で落ち合った。今日の幹事がワインとつまみを買いに行って席をはずして他の二名はコーヒーを飲み終わっていて冷めたコーヒーが残っていた。勧められるまま飲んだところにリーダーが帰ってきた。ごっつぁんです。ですました。

分かりやすい道を通り次回集合時間に遅れてもと場所を確認した。

ザ・ビッグバンド・オブ・ローグスと云うラテン系の50周年を迎えるセミプロのバンドだ。roguesは悪党・いたずらっ子の意。

鑑賞者は80歳を超えている人も多く酸素吸入をしているもいる。引き籠りがちな私もこうありたいとその上多くの事に興味を持ちたいと思った。

ゲストのコンガ・ドラム・カウベルの伊波淑さん、ピアノの伊賀拓郎さん、マリンバ・ビブラフォンの鈴木チエさんを中心に管楽器のハーモニーが灼熱の太陽の下の波のうねりを感じさせピアノの叩きつけるようなメロディーとマリンバの弾むメロディーがパーカッションの躍動感が生命力を揺り動かせてくれた。

マンボno5では伊波淑さんのリードで全員で「うー」と掛け声を掛け楽しんだ。

伊波淑さんと伊賀拓郎さんのデュオは素晴らしかった。

伊波淑さんはローグスの指揮者の倅さんでオルケスタ・フローレスのマスターでパーカッション奏者として活躍している。伊賀拓郎さんは高島ちさ子さんの編曲を手掛け一緒に演奏する、新進気鋭のピアニスト。
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クリスマスも近いので受付番号がくじに成っていて私は伊波淑さんが使用していたスティックとカウベル(家畜の牛の首にかけるベル=打楽器とする)が当たった。景品を貰いに行くと当事者も老人にはと戸惑っている感じがした。

差し当たっては仏壇にお経を上げるときスティックにガーゼを巻きカウベルを木魚代わりにとしか思い当たらない。年を重ねて上手い利用法を考えるから勘弁のほどを。

2017年12月16日 (土)

魚料理

店をやっていた時は店を閉めてから食料の買い出しをしていた。女房に任せっきりだった。魚は毎日買いに行かなくてはならないのでおかずには出来ないと良く言っていた。

退職してからは週二回は魚屋に行くようにしている。肉に比べ短時間で胃が軽くなるからだ。最初は切り身を買ってきて煮たり焼いたりしていたが尾頭付きを買って鱗と内臓を取り直ぐ煮たり焼いたりできるよう捌いてもらう。

金目は大きいので半身を刺身で昼に食べ、残りは煮て夜食べたり、スズキも同様に刺身と焼き魚で、イサキも刺身と焼き魚にして八角の刺身やソイを鍋にしたり楽しんでいる。アンコウ鍋もゼラチンたっぷりで美味しい。

今週はメバルとカサゴを煮付けて食べた。ほくほくして美味しかった。

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小生は魚屋に運転するだけで料理を覚えなくてはと3年前から思いながら一切手を出さない状態が続いている。これを機に行動に移さなければと反省する。クックパッドのおかげで買ってきた後からでも料理方法を検索できるので有難い。

2017年11月30日 (木)

楷の木

例のメンバーから又誘いが有った。嬉しいことだ。29日は夜ヤクルトホールで柳家小はんの恒例の会がある、その前に湯島聖堂の楷の木の紅葉を是非見てもらいたいとの事だ。楷の木は中国の孔子の墓地にも植わっていて聖堂の楷の木は正子である。右の黄葉が楷の木。色合いもきれいな品格がある木だ。
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孔子像
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40年前漢方を学び始めたころ聖堂の斯文館で11月23日に行われる神農祭に参加し神農様に感謝したことが有る。神農様は紀元前4000年?に皇位に着いた初代皇帝といわれ百草を舐め薬効を確立し医薬の祖と云われる。古典を学び東洋医学を志す人は祭りを知っている。聖堂には孔子廟と共に神農廟もある。今日は柵に囲われた廟には行けなかった。
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傷寒論が出来たのは紀元0年頃と言われ序文には神農の名も孔子の名も出てくる。神農様から下ること4000年?、孔子様からは460年下ることだ。

上古有神農黄帝岐伯伯高雷公少愈少師仲文
(名医と言われる人は)上古と言われる数千年には神農他7人しかいない。

夫欲視死別生実為難矣孔子云生而知之者上学則亞之多聞博識知之次也余宿尚方術請事斯語。
診の精を尽しても死生を見分けると言うことは実に容易ならぬことである、孔子の語に生れ乍らにして之が解る者を上となし学に依って之を得た者を其の次となし多聞博識の者は其の又次とすると云うのがあるが自分は以前から方術を尚んで居るが基から此語を奉じて常に之を服膺し飽くまで学の道に進もうとする次第であるからこの書を読んだ諸君も同じく孔子の語を奉じて此の道に進んで貰いたい。

陰陽五行説が常識の学問を現代人が今の常識をなくし理解するのは大変だったが薬方が現代でも著効を顕すのは驚異的だ。正確な読みが出来ればの話(漢方の病因を判断し、処方の生薬が五行説のどの部位のどの深さに効くかを読めれば)だが、それがなさなければ見当違いの治療をすることになる。

神農様の像は徳川三代将軍家光の命により作られ五代将軍綱吉が聖堂に安置したと言われ戦前一時同級生の祖父の浅田宗伯先生の処に置かれ昭和18年に聖堂に再遷された。

炎帝神農像(湯島聖堂)からお借りした神農像です。
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神農様の子孫が日本に来て初めて露店を開き商業の初めとしたとして露天商の守り神として香具師、的屋にも敬われている。

I君の発案で小石川後楽園で紅葉を見水道橋の駅近くで一杯やって時間をつぶし汐留イルミネーションに行き後新橋のヤクルトホールに行く。

後楽園は見頃で混んでいた。
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水道橋駅前のたこ焼き屋で1時間を過ごしたがウエイトレスの名札からはベトナムの人か?全員外人さんで営業している。滞りなく回転している。

汐留イルミネーション 若い人のペアーで混んでいた。おじさんおばさんには不似合いだった。
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明治149年記念「柳家小はん」の会では師匠の元気な姿をみてお互いに来年も元気に過ごそうと思った。高校生の時小はん師匠に落語全集を借り1ヶ落語を覚えようとしたことが有るが無駄なことだった。

初めて聞く「馬のす」前の席の婦人は枝豆を食べる仕草に大喜び。十八番の「船徳」キセル煙草に火を付ける場面が圧巻だ。中入り後は落ち着いた色合いの衣装で「品川心中」落語の中には残酷な話もある。
恒例の三本締めの二番目は相撲協会の安泰を祈って、忘年会ではビールは飲まないようにお銚子でやりましょう。巧みに最新ネタを入れる。
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T君とI君の合作の散歩会だったが刻々と場面が変わる年寄りには目まぐるしい散歩で楽しかった。

2017年11月23日 (木)

上総国分寺を歩く

19日夕方15日に六道山を歩いた一人で五井に住む友から22日に五井近辺を歩くが出席するかと電話が有った。彼は3人で何かにつけ行動している人達の一人と家族ぐるみで付き合っている。彼の長男とその人は商売の付き合いもあり働きぶりを見に行こうか?と話していたのを耳にしていた。

彼が歩くコースを下見してきたところだが散歩の後倅さんの店で反省会をし六道山のメンバープラスその時欠席の2名が参加だが如何だという。皆が行くのなら喜んで参加しますと返事をした。

市原へは一時期ゴルフに熱中して月に2回は行っていたが上手くならないので止めて20年以上になる。ゴルフを止めたので名所めぐりが出来ている。

五井駅から丘陵地の国分寺跡を目指す。碁盤の目のように区画整理され田圃の点在する平地を歩き出す。
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道は更級通りと名付けられ更級日記の著者菅原孝標の娘の像が有る。写真は市原市のHPからお借りしました。孝標が上総介の任務が終わり京に帰る旅姿の娘像。
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国分僧寺に到着。仁王門と薬師堂が残るが江戸時代の物。
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国司と国分僧寺の住職と行政上如何係わっていたか興味のあるところだがその説明は無かった。行基や空海の行動は農業から関連する天文学から医薬や土木工事まで何でもやっている。

市役所に寄り14階建ての市庁舎が6年前の東北地震で上層部が危険と判定され9階以上は使用禁止になり免震工事の新庁舎が落成まじかと工事をしていた。今日の企画者が免震の専門家なので工事現場を見ながら免震の説明を受ける。

道々国分寺は何経なのか仏教の宗派を問う疑問が出てきた。国分尼寺跡には資料館が有り学芸員の解説を受ける。企画者が予約をしていてくれた。

本山東大寺は金光明四天王護国寺という。各国分寺も金光明四天王護国寺を名乗っている。華厳宗と言われている。国分尼寺の方は本拠は奈良の法華寺で法華宗の寺だ。

国分寺の出来た8世紀初め日本は68ヶ国に分かれ68の国分寺、国分尼寺が建てられ護国を祈ったという。千葉県には安房、上総、下総の3国分寺が有った。細かなところまで本拠と同じ仕様で出来ている。情報の伝達もしっかりできていたようだ。

日本武尊も横須賀の走水から姉ケ崎に船で渡ってきたが上総が房総半島の中心で市川松戸のある下総は外れということだ。更級日記に「松里」の語が出てくる。松戸の市民は松戸の地名の由来をそこに求めるが其処は松戸ではなく国衙と下総国分寺の有った市川市国分から国府台付近が有力という。上総から下総を通り武蔵に行くには市川から大日川(江戸川)を渡る方が現実的だ。
壬申の乱に関係する遺跡が大多喜町にあるというが上総が中心なら有りうるかと思う。

国分尼寺の模型 大伽藍の様だ。こちらには無いが国分僧寺の方は七重の塔が有った。
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瓦も現地で焼き窯跡も発掘されていると云う。瓦の模様も東大寺の物と同じで唐草模様という。オリエントのブドウの葉の模様という。

発掘された瓦に墨で書かれた金寺(金光明四天王護国寺の略)の文字、法花寺等の文字も読み取れる。

大工道具や釘等の鉄器も発見されている。復元された回廊が有り柱は槍鉋で仕上げられている。削り跡の解る柱と鋸山からは採石禁止なので長瀞から持ってきた礎石の復元。朱色は弁柄による。
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平城京の復元と同じ色だ。平城京の復元は地方にも影響を与えたのだろう。奈良に住んでいた他の友は彼が住んでいたころは喜光寺は朱色ではなかったというが今は平城京と同じ色をしている。上総国分尼寺の復元された回廊。
中門と金堂の間に金メッキの立派な灯篭がある。金堂は復元されていないが手前の壇は須弥壇で金堂の中心にあり仏像が飾られるところ。
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瓦の屋根を支えるため梁はアーチ状になる。
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軒に並んだ垂木の色は黄土。格子の色は緑青。壁の白は貝を微粉にした胡粉だ。
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学芸員さんの熱の入った説明に思わぬ勉強をした。

回廊の復元では山田寺の回廊を参考にした。山田寺の回廊 飛鳥資料館で写す。
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1時からの軽い散歩だったが1万歩だったと友の一人は言っていた。

バスで五井駅に戻り企画者の倅さんの店「虎徹」で反省会。個室でゆっくりできた。料理も美味しかった。ご馳走様、ありがとう。
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店主はきりりと締まった男前だった。下町の婦人が会いに行きたいと言っていたのも頷けた。

2017年11月15日 (水)

六道山ハイク。

老人の健康維持の為に誘い合って歩いている女子2人、男子1人がいる。男子は奥さんに先立たれお子さんは結婚し独居している。緑内障を患い目も不自由である。面倒見の良い下町の女子が何かにつけて行動を伴にしている。

もう一人NPOで河川の浄化で活躍している女子が居て先の女子2人と仲が良い。この人達に誘ってもらい立川の里山を歩いて来た。
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ハイキングというとチョイと遠くで名の知れたところを思いがちだが近郊の里山で良い処が有るのを思い知らされた。立川駅からバスで30分位で行けた。企画者も降車停留所をはっきり認知してなく停車中に運転手に確かめていた。教えられた停留所の告知に気が付かない我々は運転手に促され岸停留所で降りた。里山民家入口と表示が有り安心する。

手前が土間で見る通り囲炉裏が有り部屋は10畳はある広さで中学まで行ったことが有る母の実家と同じ造りで懐かしかった。
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農家の畑の周りに秋には菊が満開の花を付けるがその菊花をあふれる程花瓶に生けた土間と花瓶の右は竈になっている。
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茅葺の大きな民家の前で竹馬で遊ぶ仲間。小生も子供の頃は道路を高い竹馬で闊歩した。
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NPOで活躍の女子と竹馬の男子は夫婦で昨日の雨の影響で山道がぬかるんでいないか心配したようだがその心遣いのおかげで山道は甲子園のように水はけが良く快適に歩けた。

フェンスの左は狭山湖に通じる水源となる為しっかりと隔離されている。近所の人もウォーキングに精を出す遊歩道のようだ。何組かのウォーカーとすれ違った。
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六道山広場で昼食となる。女子はいつものことだが得意の料理を持参してくれ舌ずつみを打ちながら会話がはずむ。
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展望台が有り丹沢、秩父が望める。今日は富士山は見えないが見えれば更に色を添える。

見られる10種ほどの猛禽の描かれた看板があり水源地林の豊かな自然を感じる。富士山と猛禽が見られれば最上の喜びだった。

案内の地図を見ながら主催者の二人が道を検討する。野次馬が囲む。
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前もって何回かアップダウンを繰り返すと聞いてたので楽に乗り切った。
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目的地の瑞穂ビューパークを前に荷物を腹に収める。小はん師匠の年送りの三本締めではないが今日来なかった人の不幸を祈りシャンシャンシャンと。今日来なかった常連が肴になった。おお怖い。
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最終地の瑞穂ビューパーク展望塔の100段の階段を上り横田基地を望んだ。広域な上空を米軍が占有する横田基地は不気味に地味だった。
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なだらかな道だが宮崎の疲れが取れておらず草臥れた。

2017年11月13日 (月)

記紀の道・青島神社

神話に関係する処を巡ろうと計画した。瓊瓊杵尊と木花開耶媛の出会い場所から二人の古墳まで伝説の場所を具現化した記紀の道を歩くことにした。

宮崎発8時6分大分行で佐土原に行き佐土原から西都バスセンターに行く。佐土原到着後直ぐにバスが来て程なく発車する。30分位で西都バスセンター着。体制を整え歩き出す。最初の目的地、都万(つま)神社をセンターで聞くと左手に進み道々聞いてくださいとのこと。最初の交差点で聞くとずーっと先に見える陸橋の処だと教えて貰った。往復9kmを歩き始める。

都万神社 木花開耶媛を主祭する。
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木花開耶媛にちなんで神社の紋が桜の花だ。
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ここの狛犬も出雲と同じく腰を立てている。
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境内には楠の大木が多くある。
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神社の案内図、手持ちの地図を見ても解らない。洗濯物を干していた婦人に聞くと御船塚迄30mくらいを案内してくれその先の道も教えてくれた。

御船塚。古代はこの辺まで入り江だったと云う。瓊瓊杵尊は高千穂より広い耕作地を求め海路、場所を探し着いたのであろう。上陸地は笠沙御前(かささのみさき)と呼ばれるがその場所の比定が論争のあるところだ。
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尊は逢初川(あいぞめかわ)の辺で木花開耶媛に逢い結婚を申し込む。
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この杜の右際に逢初川碑があり左に八尋殿跡が有ったらしいが見逃してしまった。八尋殿は瓊瓊杵尊と木花開耶媛の御殿。
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無戸室(うつむろ)見染めて一夜を共にし妊娠が分かると瓊瓊杵尊は自分の子か解らいという。木花開耶媛は身の潔白を証明するため戸がなく粘土で塗りふさがれていた産屋を建て火を付けお産をし3人の男児が母子ともに元気に産まれ、潔白を証明する。
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児湯
産まれた海幸彦、山幸彦等三人が産湯を使った池。
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瓊瓊杵尊と結ばれる前に木花開耶媛との結婚を申し込んだ鬼がいて父の大山祇が一夜で岩屋を建てたら娘をやると言ったところ一夜で岩屋を完成してしまう。不本意な大山祇は岩屋の石の一つを外して放り投げて未完成だと破談にしてしまう。石の落ちた処が石貫神社だ。参道にその石と言われる物が有る。
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西都原古墳群に通じる石段が有る。昭和初期に熱心な信者が寄付したという。この登りが堪えた。
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上は平らな台地で目の前に大山祇塚と言われる古墳が有る。大和、吉備に並んで大規模古墳が多く有るが遠方に離れている故、謎だ。埴輪や馬具も大和地方の物と良く似ており深い交流が考えられる。
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鬼の窟 古墳の周りに土塁が有るのは鬼の怨霊を封じ込めるためという。大山祇を酷く恨んだことだろう。
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道路を回り奥に行くと瓊瓊杵尊と木花開耶媛の墓と言われる男狭稲塚、女狭稲塚が有る。鬱蒼とした森で見えないが手前に女狭稲塚、奥が男狭稲塚になる。
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天気が良く暑く大いに汗をかき気持ち良かった。フラウが足の痛みを訴えだしたのでゆっくり歩きバスセンターに無事到着する。
宮崎にバスで戻り青島に行く。新婚旅行が宮崎、鹿児島だったので青島神社にお礼参りをした。
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青島神社は山幸彦が兄の釣り針をなくし小戸からワニに乗りワダツミの神に逢いに行く。楽しく3年を過ごし目的を思い出しワダツミの神に伝えると元気をなくしている鯛の口から釣を見つけてもらう。ワダツミ神の子トヨタマヒメと結婚しヒメは子を身ごもっていた。青島神社の地に海から帰りウカヤフキアエズ命を産む。お産は鵜戸神宮でする。

ウカヤフキアエズ命の四男がカムヤマトイワレヒコ神武天皇と言われる。ワダツミの神の血を受けたカムヤマトイワレヒコは海を渡り大和に東征する。

簡単に纏めた。

江田神社・宮崎神宮・皇宮屋

5月に女房が腰を打ち2ヶ月は動けなかったが軽快してきた。かねてより日向を旅したいと思っていて宮崎県のアンテナショップに行った。随分参考になった。

2日目は高千穂から宮崎駅に出てバスで江田神社に行き其処から育成牧場南に戻り宮崎神宮から皇宮屋に行くことにした。

高千穂bcを8時15分に出、宮崎駅着が11時37分江田神社へ行くバスが12時11分だが渋滞で10分遅れ出発。昼飯は延岡からの列車の中でお握りで済ます。何時もの通り時間の節約だ。

古事記に江田神社は竺紫日向之橘小門之阿波岐原にあると記載されている。阿波岐原が本居宣長以来特定されず又この地方が地震で水没したことが有り日向の四大神社だが此処だけが往時の栄がないという。フェニックスカントリーを含むシーガイヤと呼ばれる中にある。

伊弉諾命を祭り、禊池が近くにある。禊池は黄泉の国から這う這うの体で逃げ帰った伊弉諾が禊をし最後に左目を洗ったら天照大神が生まれ右目を洗うと月読命が生まれ鼻を洗うと須佐能命が誕生した処だという。今春島根で黄泉比良坂を見た。黄泉比良坂から命がけで逃げ帰りすぐ禊をしたわけだがその地が宮崎とは?各地で同じ話が伝わっていたのか?

江田神社
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禊池
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天照大神誕生の地だからかどの祝詞も最初は小戸の阿波岐原の文句から始まるという。

そうそうにバスの時間が有るので失礼した。バス停育成牧場南から地図を頼りに宮崎神宮に行く。10分くらいで神武天皇を祭る宮崎神宮につく。立派な神社である。ウィークデイの夕方なので人は少なかった。七五三の受付のテントが目立った。
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神武天皇が大和に上る時に軍を整えたところと伝わる皇宮屋に地図を頼りに行くが行当たった人に聞くと歩いていくのですか遠いですよと言われたが25分位あったか?来る前に江戸川を10km7kmと5kmを数回歩いて来たので何とか耐えた。明日は9km歩く。

皇宮屋
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皇軍発祥の地の石碑。
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皇宮神社
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1週間禁酒していたがあまりにものどが渇いたので夕食時ビールの中瓶を一本二人で飲んだ。思いのほか酩酊した。

2017年11月12日 (日)

高千穂神話

出雲神話に次いで有名な日向神話の里を歩いて来た。長い名の神様が出てくると名前が分からなくなり物語がこんがらかるので簡単に書くと瓊瓊杵尊のひ孫が神武天皇という話だ。
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神様は地上では人間だが天に上ると神様になる。古代では神様は天降りする話が東シナ海沿岸インドネシア、中国、日本に幾つも有る。高千穂では神楽としても残る。
天皇様が田植えをしたり稲を刈り取る姿が放映されるが瓊瓊杵尊が籾を真綿に包んで天下ったと言われ皇室と稲作は密接な関係が有る。

天岩戸神社の説明では神武天皇は稲作を広く広め飢える人をそれまでに比べ格段に少なくした功績は大きいと言う。

伊勢神宮に御神田が有り太郎坊の神田も見学した。稲作は天皇家のおかげで国中に広まった。瓊瓊杵尊の子の山幸彦はワダツミの神の子と結婚し海洋進出を果たし神武天皇は大和に東征するようになり稲作も西日本に一気に広まった。

学者さんは狩猟を食物を得る方法としていた縄文民族に稲作文化を持った弥生民族が渡来し安定した生活ができるように成ったことだと言う。鉄器を持っていたり集団で作業したりと文化も進んでた。天孫降臨は新文化を持った民族の移入という。

熊本空港からバスで高千穂に入る。13時近くから予約してあったタクシーで天岩戸神社から見学を始める。狭いが高低差のある地域を熱心に説明して案内してくれる。岩戸神社は岩戸川を挟んで東西の宮に分かれる。川の対岸に木に覆われた天の岩戸と称す洞窟がある。
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神楽殿には洞窟を象った背景がありなるほどと思った。
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1km位先に天の安河原がある。浅い洞窟中に小石を積んだ仏塔が多数ある。
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洞窟側から川の方を見る。
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高千穂は斜面の町で棚田で米を作る。決して稲作に恵まれた土地ではないが斜面をフルに活用している。そのうえ瓊瓊杵尊が天下った時は水が無く天に水種を取りに行った。
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天孫降臨は二上山であり槵觸神社に落ち着いたのか。中央が二上山。
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水種が天眞名井となり欅の大木の下からこんこんと水が湧き灌漑に適した。
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槵觸神社 この地に天孫降臨があったと伝えられる。祭りでは階段を神輿が下りる。
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槵觸神社見事な彫刻が有る。
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峰伝いに高天原遥拝所がある。天孫降臨した神々が此処から高天原を遥拝したと伝えられる。
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さらに先に四皇子峰(神武天皇の四兄弟)が有る。深い森が続き神秘的だ。
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荒立神社に回る。天孫降臨の際、天からの道に立ちふさがる地祇がいた。天照大神が天鈿女命にお前の色香で道を開けさせろと命じた。やがて道を塞いでいた猿田彦と交渉をした天鈿女の二人は結婚した。あまりに急だったので製材も荒く粗粗しく神社を作ったので荒立神社という。荒魂と和魂と中間の魂6体の二人の像が有るという。雨鈿女は天岩戸で熱演し芸能の神様とされ芸能人の参拝が多い。
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神武天皇は四人兄弟の末で長兄は大和の戦いで戦死し神武軍は熊野に迂回し大和に入った。次兄は常世の国に行き三兄(ミケヌノミコト)は高千穂に帰り大和遠征で留守の間勢力を奮っていた鬼八を退治した。神武天皇はワカミケヌノミコトといった。
高千穂神社本殿脇のミケヌノミコトが鬼八を退治する像。
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高千穂神社 七五三で忙しそう。
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阿蘇山噴火の溶岩で覆われたが長い間の浸食で高千穂峡が出来たのだという。柱状の岩が縦並んだりその上に横に積まれたり感嘆する。
定番の真名井の滝
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夜8時から神楽殿で夜神楽が一時間あったが11月中旬から2月まで夜っぴて演じられると云う。
手力雄の舞、鈿女の舞と戸取の舞が演じられた。太鼓だけの力強い伴奏も迫力がある。
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手力雄が岩戸を取り長野の戸隠迄投げた。
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伊弉諾と伊弉冉が酒を造り夫婦円満で飲む。酔いが回ると羽目を外し観客に抱き着いたり素朴な神様の夫婦。
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神話の里で昼夜浮世を離れた気持ちになった。

«2017年10月15日松戸神社連合渡御

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