2018年11月 6日 (火)

孫が送ってくれた写真

孫は3月迄3年間神戸に住んでいた。父の転勤で東京のマイホームに帰ってきた。

小学校に上がる前から電車好きで関西に行っている間に益々知識を益したようだ。西日本の電車も大いに乗った。

春に中学生となり行動範囲は広まった。試験が終わり満を持したように鳴子峡のトンネルから列車が出てくる有名なシーンを撮りに行った。土曜の朝早く出て日曜の24時近くに帰ったらしい。翌月曜の朝は珍しい電車を見に6時に家を出で目的達成後学校に行く。若さに任せ徹底している。

鳴子温泉駅で下車しビューポイントに向かう途中で撮り鉄の皆さんを写す。時刻表を調べ橋迄小走りで行き少々待機し通る電車を写す。体の細い孫は隙間に潜り込んで写せた。撮影後、潮が引くように観客は駅へ向かうと云う。
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渾身の一枚。満足だろう。
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面白いものに興味を持ったものだ。

2018年11月 4日 (日)

袋田の滝紅葉

天候不順が続いた秋だがこの何日かは晴天らしい。一応ネットで調べ計画を立てたが行く行かないは起きてから決めようと切符は買っていない。

起床時は晴天で暖かいので出かけることにした。みどりの窓口で特急券を買おうとしたら袋田は小さな駅でicは使えないから乗車券も買った方が良いですよ忠告されそれでと頼んだがお金が足りない。特急券だけを買って出発する。

柏で乗り換え水戸迄特急となる。これが揺れも少なく音も静かで快適である。水戸で水郡線に乗り換えるが時間が押していて駆け足でやっと間に合った。

水郡線は空いていて好天で明るく暖かい。車掌さんが居て降客の切符を手渡しで受け取る。私達もスイカで乗ったので車掌さんに精算してもらった。人の良い車掌さんで楽しかった。

袋田で降りるとバスが待っていた。歩いても40分の道のりだが乗った。滝に近づくにつれ山が色付いてくる。青空に映え輝いて思い切って行動してよかった。
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入場券を買いトンネルを歩き第一観瀑台へ豪快な滝が見える。
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続いて第二観瀑台に 水が有ると感激が増す。エレベーターが有り3階のテラスに成っていてそれぞれの階で写す。
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第二観瀑台を後にトンネンルを下ると吊り橋を渡り対岸へ、月居山への登山道に通じる階段がある。
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橋から滝を見る。
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橋の下流は大岩がゴロゴロする。
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駅まで歩くと所々で交差する流れも緩やかになりダイサギが餌を漁っている。暖かく長閑なり。
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関鉄之助 桜田門外の変で指揮をしていた志士だ。事変の後、日本国中を逃げ回りこの川の近くに潜伏していたことも有った。碑がある。吉村昭の小説に詳細が書かれている。

8時に家を出てゆっくり行動し6時には帰宅できる楽しいコースだ。

2018年10月28日 (日)

記憶に留めるだけか

先月予定していた旅が台風で中止になり急遽組んだ旅に行ってきた。これも一日目は良いが2日目は寒冷前線の通過で天気は大荒れの予報だ。

一日目は青空が広まりガイドさんが言うには新潟でこの天気は珍しいと褒め明日の荒天は知って居ながら明後日は天気が崩れるのに運が良いと煽る。ベテランの上手さだ。

奥只見湖の絶景に早速カメラを取り出し構えたらerrが表示され焦った。知識が無いのに彼方此方のボタンを押したが改善されない。エイとリックの奥にしまい込みすっかり諦めた。

景色は紅葉が湖面と空に映え見事な出来栄えだ。此方は写真を潔く諦め景色に見入った。そしたらTVA(テネシー河谷開発公社)なる語が突然思い浮かんだ。小学校の頃電力を増やすため只見地方の川をせき止め巨大な人造湖とダムを建設し発電をする計画を着工すると言うニュースを聞いた。それがテネシー渓谷開発に例えられた事だ。それ以来聞くことは有ってもそれほど考えもなかった地方だがこの景色は絶景で来た甲斐が有った。

ホテルで未練がましくカメラを彼方此方動かしていたらerrが表示されたシャッタースピードと絞りが表示される場所に数字が表れ撮れるようになった。明日は悪天だが写すことができると安堵した。

2日目は5時には起き外を見たが地面は濡れていないが空は灰色である。旅に出て雨にたたられることは有るので諦めていたが降られないかもしれないと希望的な根拠のない予想をした。

目的地は秋山郷で平家の落人が隠れ住んだと伝説の処という。昭和の初め
観測隊が部落に入った所村民が「未だ源氏の天下か」と聞いたという逸話がある位の僻地だった。

新潟の津南町から長野の栄町に至地域で中津川の渓谷沿いを往復する。道路が狭く大型バスは通れずマイクロバスになる。

魚沼展望台に行く車窓から 未だ青空が見える。コシヒカリで有名な魚沼は山間部の盆地で広くない高地で旨いコメを生産したものだと感心した。
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展望台から 周りの山も山全体が紅葉している。
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予報通り雲が多くなってきた。岩に張り付くように根を張った木が色付いている。紅葉が雲で切れる。
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前藏橋
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蛇淵の滝到着したが2台のマイクバスが止まったばかりで往復30分の滝見学に他車の観光客が歩き出した。2台分のマイクロバス駐車場しかなく我々はその先の切明集落に予定を変更した。
切明集落 秋山郷観光の最深部となる。
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来た道を戻る。
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紅葉に抱えらる様に集落がある。
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蛇淵の滝。 満車で止まれなかった所に戻った。
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いよいよ雲が下りてきた。傘を差さずに通過できラッキーだった。
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秘境100選に選ばれる処だが紅葉は特別綺麗だ。
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不出来だが記録に残せたのは嬉しい。

2018年10月14日 (日)

2018年松戸神社連合渡御

10月14日松戸神社の祭りが有った。今年は連合渡御の年だ。

何年ぶりかで神輿を追った。

本町の神酒所前で。渡御に力を貸してくれる神輿会の方々が酒をもって助っ人に来てくれる。長時間渡御をした後神輿会にお返しをする。
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神輿渡御に当たり自治会長の挨拶。
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渡御の責任者の拍子木で渡御の始まり。
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集合場所に各町会の神輿が集まる。伊勢丹が閉店した為近くの歩道に集合する。
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神輿が待機する。
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宮司を先頭に神社に向かう。
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先頭は2丁目山下町会。
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2丁目町会 常磐線が出来た時線路で分断した町会。
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3丁目東町会
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3丁目町会 ここも線路で別れた。
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角町 昔は材木屋さんや職人が多く威勢の良い町会。
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我が本町。
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郵便局、証券会社と銀行が並ぶ松戸のウォール街を神輿が行く。

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デッキの上から写すが警備の人が神様を跨がないようにと神輿の真上に立つのを注意して回る。
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外人さんも担ぐ。
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各町会の女性が張り切る。
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男も頑張る。
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夕方から神輿に火が点る。神輿の進行を制御する人が花棒を抑える。
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最後に差して最高潮に達する。
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木の音で終了。チョンチョンチョンチョチョン ノ チョン。
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自治会が神輿会の面々にお礼を述べ挨拶に持参した清酒を、お返しお弁当をお礼とし手締めで終了となる。

昔は神輿会の人がどんぶりを貸してくださいと言って酒をなみなみと注いでサセサセと音頭を取りながらグビグビやり5分位で2升をその場で回し呑んでいった。


過去の連合渡御

2018年10月 7日 (日)

秋の日暮れ前

季節外れの真夏日に3時45分頃散歩に出た。日差しが強かったが土手を降りススキの蔭で西日を避けた。

モズの声が頻繁に聞こえる。

松戸川の対岸の梢に飛んでいくのが見えた。ススキの穂越しに
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鳴きながら此岸に・・。ベビー猛禽の面影が見える。
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土手外の田圃で沢山見たイナゴは彼方此方で単独行動をする。
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縁遠くなったチョウゲンボウが遠くに飛んでいる。しなやかな羽が懐かしい。
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川岸近くのススキ。西日に輝く。
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土手外の農家の柿。ムクドリ、オナガ、カラスに食べられる。子供の頃は土手外は一面の田圃だった。農家は2mくらい土盛をし水屋造りの建て方をした。米どころは水害を受けやすかった。
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夏前の半分の距離を足慣らしに歩く。軽く汗するのが気持ちよい。土手の降り際でビルの避雷針にチョウゲンボウが止まる。昔チョウゲンボウvsカラスを1ヶ月に渡り撮ったビルの近くだ。
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モズの狩り

2018年10月 3日 (水)

久しぶりの散歩

毎日歩いていた川も猛暑で休んだらすっかり行かなくなった。

2ヶ月半ぶりにそろそろノビタキが来る頃だと花畑に行ってみた。ノビタキはいなかったがカメラマンは沢山いた。根気の良いことで一日中いる人もいる。
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チョット先のグランドゴルフ場では老人達が腕を競っている。鍬をクラブに持ち替えても丈夫な足腰でナイススウィング。
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梢ではモズがキィキィ鳴き縄張りを主張する。
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日当たりに飛ぶ羽虫。
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止まっては飛び上がり羽虫を食べるアキアカネ。
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トノサマバッタ
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何時もの植物たち。ウンラン。
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メドハギ
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彼岸花 盛りは過ぎた。
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何時もと変わらぬ鳥、昆虫と植物だがカメラが重くノビタキを待てなかった短気さに年齢を感じ取った。

2018/09/28




2018年9月19日 (水)

ちゃんこ鍋

友綱親方が来日以来お母さんと慕っている友から相撲部屋での食事に誘われた。滅多に経験できない事なので二つ返事で参加の返事をした。

数年前1年遅れの旭天鵬関の優勝祝いをその友の仕事場であった時も呼んでもらった。今年の1月にも友綱親方との飲み会に誘ってもらったが所用で参加できなかった。

 

錦糸町北口に18時集合で待ち合わせた。総武線しか知らなかったが7月に国立演芸場に行く途中スカイツリーラインで北千住から3つ目の駅が錦糸町であることを知り早速利用した。30分で行ける。この国立演芸場は小はん師匠からの招待だった。今日のメンバーはその時の二人を含め高校入学以来60年強の付き合いだ。

友綱部屋と云えば昭和時代夜の銀座で陸奥嵐を見かけたことがあった。荒業で相手を投げ飛ばした派手な力士だったが男の色気を感じさた。青森から中卒で入門し勝負の世界で心身を磨き肉体の特に肌の美しさと目の美しさが魅力だった。



最初は親方が隣に来てくれた。

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今日は時計係を務め帰宅したばかりで疲れたと言っていた。18時2分前に取り組みを終了できるとグッドタイミングでそうなる様に算段に気を使って疲れたということだ。部屋を独立し仕事が多く忙しいがやりがいがあり楽しいと言っていた。

稽古場に接し親方が腰かけて指導する部屋に脚を畳んだテーブルを並べ車座でちゃんこを囲む。

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鍋、スパゲティー、トンカツ、ステーキ、もつ煮込みとキムチだが老人9人は美味しいのだけど意気地がなかった。ちゃんこ鍋は特別美味しかった。力士達も同時に隣のテーブルで番付け順に食事をし終わるとファンの接待をしてくれる。

 

旭秀鵬関が隣に来てくれ真近で見ると美しい肌と涼しげな眼もとに惚れ惚れするほどだった。

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長女が相撲取りの魅力は鬢付け油の匂いだと言っていたがそれは嗅ぎ取れなかった。贅肉の無い弾力のある四肢分厚く固い足の裏、肉の着いた逞しい母指球と丈夫な体に羨望の眼を送る。左膝の靭帯を損傷し十両にいるが場所数が多く巡業も忙しく怪我を完治する暇がないと言っていた。現在も膝は痛いと言っている。TV観戦でも膝にサポーターをし痛々しい力士は多い。解説で土俵の怪我は土俵で治すと言っているからその風習が受け継がれるのだろう。完治することは無いがより良い状態を維持する方法を見出すと云う事だろう。

照ノ富士の話が出、順調だったのに稀勢の里に浴びせられ膝をやってから可哀そうですねと云ったら詳しいですねと持ち上げられた。今場所も幕下で全休とのことだ。復活を祈る。



写真を撮ったり用を足すにも胡坐からやっとの思いで立ち上がり足踏みをして足元を安定しそろそろ歩き出す老人達は転んだり手を着くと負けになる相撲には似つかわしくない団体だ。全員がそのしぐさをして動き出すのを見て小生だけが弱っているのではないと安心した。

稽古場の屋根を打つゲリラ雷雨の雨音が響いたが60年前のヒット「悲しき雨音」を思い出した。60年間誰かの号令にその都度良く集合したものだ、Rhythm of the Rain(悲しき雨音)も未だ折に触れ耳にする。

友綱親方断髪式

2018年9月 5日 (水)

偲ぶ会

昭和年代皮膚病治療は医療の隙間で薬局は勉強すれば皮膚病で評判を取れた。平成に入ると皮膚科医が街にあふれるようになった。

薬局の講習会に皮膚科の名医が講演してくださり、レベルに合わせ豊富なスライドを見せてくれながらやさしく解説してくれた。薬剤師でも懸命に勉強し豊富な治験から講師の皮膚科のドクターも認める程知識と経験を積んだ人もいた。

我々を指導してくれた薬剤師(以後先生と呼ぶ)の学んでいた「皮膚科診療の実際」という学術書を見た時に本はこんなにすり減るものかと思った。厚紙の固い表紙にクロス張りをして有るのだがクロスは薄くなりささくれ立ち良く指の当たる個所は厚紙が穿れていた。この熱中具合だ、人知れず努力をしていなければ知識知恵は生まれない。皮膚科のドクターと数年寝食を共にし基礎を学んだと聞いたことも有る。

私たちが所属した組織は当時、少数の明治生まれと大半の大正生まれが指導していたが私たちの心酔した先生は規律の基本を守ればうるさいことは言わなかった。執行部の先輩は学力よりは規律遵守を強いしっくりいかなかった。

その先生の学術に対する努力の過程で頭脳は柔軟でなければならい、万が一失敗してもリカバリーできる多様性も持たなければならない。基本は初見の確かさを一番に磨かなければならないという厳しい勉学と実践の積み重ねからくる人格が権威主義の執行部の感覚より許容範囲は広く心を開いて学べた。

程度の低い質問にも丁寧に教えてくれ偶には礼儀を失した行為にも腹を立てずに応対してくれ知らず知らずに尊敬していた。

勉強は五時迄で五時を過ぎるとドリンクタイムで滅茶苦茶飲んだ。金が足りなくなったこともしばしばあった。全力で学び全力で遊んだ時期だった。生徒の親たちは五時以降の事しか目に着かず苦々しく見ていた。

生徒たちも年齢を重ねると皮膚病薬の販売にも他の病気に対する考察でもしっかりした理論を持ち楽しく接客した。先生からは勉強はエンドレスの繰り返しだと云われながら10年もたつとそれぞれの興味に歩き出した。我々の他にも生徒は先生の学問を慕って二期生三期生と区切りを付けて増えてきた。

それに反し一期生は心ならずもそれぞれ歩みだした。多店化する者、地方議員になる者、在宅医療に打ち込む者調剤を先取りする者漢方に打ち込む者とバラバラになったが理由を作っては先生の下に集まった。私は最後まで組織の委員として先生をサポートしていた。組織の皮膚病部会を存続させるのに責任者にならなければならい状況になったが私の興味は漢方に移り古代の東洋思想に弄ばれ全力で打ち込まなければならなかった。60歳を過ぎ二股は掛けられない体力になって責任者として部会をリードすることは出来ないと断ってしまった。これが何時までも申し訳なさとして残る。

体調不良を理由に先生に断った。先生は寂しそうだったが許してくれた。それまでも無理強いは決してなかっただけに先生の寛容さに手を合わせた。三期生が熱心に学び先生を盛り上げてくれた。ありがとう。

私は店を止め皆とは薬局のチェーンの繋がりだったので情報は少なくなり先生が90歳を過ぎる頃から音信が無くなった。連絡を取っていた仲間にも風聞も無かったようだ。

八月の下旬に突如先生が今年一月に亡くなったと連絡が入った。皮膚病の勉強は全うしなかったが夫々の方向で活躍している面々は電光石火の速さで偲ぶ会を9月2日に開いた。皮膚病の勉強は頓挫したが教えの一つである5時からの行動計画は素早い。一部分でも教えを継続していることは良いことだ。

先生の先祖は幕府の御殿医だったと云うだけあってダンディーな品のある遺影が組織から届いて皆の脳裏に先生の姿が夫々に浮かんだ。

八方破れの様で規則は守った先生に似つかわしいように般若心経の読経をプログラムに入れるから読めと年長の議員さんから至上命令(組織の金言で絶対服従の意)があり、折に触れ仏壇で上げているお経を精一杯唱えさせてもらった。カウベルの木魚も雰囲気を高めてくれた。

先生の徳を偲び皆の人生と店に恩恵を授けてくれた御恩に話は尽きなかった。

 

2018年8月19日 (日)

素人の感想

甲子園の接戦は続く。

千葉県東代表の快進撃は続いた。2回戦のホームベース上のクロスプレイを2度刺したのは興奮した。僅かでも投球がそれればセーフとなるのをホームプレートに好返球しジャストアウトは見事だった。さらなる進軍を期待した。

1,2回戦を破竹の勢いで突破し3回戦に進んだ。県予選では背番号5を付けていたが主戦投手として活躍した大黒柱が背番号1番になって勝ち上がった。しかし十分なピッチャーの地肩になっておらず休養となったと推測する。野手だったのでテークバックが小さいが球勢が強く打ちずらいピッチャーだ。3回戦に先発した11番は良い出来で2回のサード、ファーストの何でもないゴロの処理ミスがもったいなかった。

1,2回戦の終盤11番がリリーフした時は1番がファーストに入ったのだが3回戦の先発メンバーでは背番号1番は3塁に入り甲子園で初めて守るようになった。素人の小生はやや不安に思えた。イニングの二回にサードの暴投、ファーストのジャックルが出て2点を取られ致命傷になった。
トーナメントの怖さだ。

強力打線も相手のピッチャーの右打者の外角を突くスライダーと内角の直球にてこずった。さすがに強力打線良い当たりをしたが野手の正面を衝いたのが残念だった。

友人の孫が9回2死からそれまでのフォアザチームに徹した態度を認められ代打で出場しお手本の打撃を見せた。ピッチャーの足元を抜くセンター返しのナイスバッティングだった。地に足のしっかり着いた地道な努力の結果を出せたのは俄かファンには嬉しかった。力強く成長してもらいたい。

素人のめちゃくちゃなTV観戦記で失礼が有ったらお詫びします。

2018年8月17日 (金)

木魚カウベル

去年ビッグ・バンド オブ ローグスのクリスマスコンサートで当たったカウベルを使用する時が来た。

盆となり父母を仏壇に迎えた。カウベルをどう置いたら木魚に近い音が出るかズーット研究していたが床に横たえ縦に一番膨らんだ所をたたくのが良いと分かった。ポクポクポクに近い音がする。

ポクポク 我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 ・・・・・・・

ぽくぽく 弟子某甲 盡未来際 帰依佛 帰依法 帰依僧 

ポクポク おん ぼうじしった ぼだはだやみ

ぽくぽく かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー                             しょうけんごーうんかいくどーいっさいくーやくしゃーりーしきふーいーくう・・・
はらそうぎゃーてい ぼーじそわか はんにゃーしんぎょう。

ポクポク おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じん  ばら はらばりたや うん

年を経るごとに父母の恩を感じる。

声に出し斉唱するのは気持ちよい。

今年は小生より数歳年下の和尚さんが数珠を前の家に忘れ取りに行くハプニングが「命に危険をお及ぼす暑さ」のせいであったが和尚さんのお経とともに父母に感謝と子達、孫達の無病息災を念じた。

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