2019年10月 4日 (金)

宗像大社みあれ祭2019

世界遺産になった宗像大社の中津宮と辺津宮や新原奴山古墳群等を10月1日の「みあれ祭」をメインに見学した。

台風と競走するような格好でかろうじて雨を避けて見られて良かった。

沖ノ島は縄文時代はニホンアシカが群生していて玄界灘沿岸にすむ人々がアシカの♀、子どもを撲殺して食料としていた。島には大きな岩が沢山あり、岩上祭祀し後年は岩陰祭祀と形態を移し祭祀をし感謝を表した。祭祀の形態は露天祭祀等もある。沖ノ島に丸木舟で行くのも大変だったが其処に住む人々は海人として航海術に長け認められ海部の姓を賜った。宗像大社に関連の祭祀は4世紀後半からになる。

繁栄する集落が出来る条件は良好な港と共に広大な平野を有することという。奥は海。広大な米作耕地と左は権力者の古墳。
新原・奴山古墳
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古事記に誓(うけい)がある。高天原から須佐能の命が葦原の中つ国に派遣され大海原を管理しなさいと言われるが母のいる根の国行きたいと騒動を起こす。が心を入れ替え葦原の中つ国に降臨する前に天照大神に会いに行く。須佐能の命の剣を天照大神が三つ折りにし、かみ砕き水と口に含み噴き出すと三女神が生まれ須佐能の命の剣から生まれたので親権を持つ須佐能の命は天照大神に逆らうことは無いと証明された。この三女神が田心媛神(たごりひめのかみ)湍津媛神(たぎつひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の宗像三女神である。須佐能の命が航海の神様なら子の三女神も航海の神様だ。宗像氏により地方で祭られていたが遣隋使、遣唐使の時代になると事業は国家的なものになり大和王権が積極的に後援し航海の安全を祈った。多くの高貴品が供えられた。国宝重要文化財として発見されている。

宗像大社は沖から沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮と宗像の辺津宮からなる。沖津宮には田切姫、中津宮は湍津姫、辺津宮に市杵島姫が祭られる。

辺津宮に参る。
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手前の拝殿と赤色の本殿
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神湊港からフェリーで大島に渡り海上から見る中津宮。上陸し参拝する。
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中津宮には沖ノ島から田心姫が到着していた。
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大島の遥拝所から沖ノ島を望むが年に数回しか見られないとのこと。曇天では無理だった。
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10月1日大島から100隻超の漁船が警護して田心姫、湍津媛の御魂を神湊港に渡御をするのを海上神幸という。曇りで多少もやっていたのである程度近づいてから一挙に船が現れた感じで迫力があった。

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中央のブルーの船は御座船のようだ。黄色直垂の神輿を担ぐ人が見える。
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先導船に白い衣装の神職が乗り風、波を切る。
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神湊に上陸した神輿は辺津宮までトラックで運ばれ一の鳥居から担がれる。お迎えに上がった市杵島姫神と共に三基の神輿が連なる。3姉妹の神様が3日間一緒に過ごし神威の永久を誓う。

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神輿の後は男子中学生の持つ御幣が、そのあとは女子中学生の巫女と赤い神旗が続く。
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拝殿に神輿が鎮座し御魂が取り出され本殿に厳かに運ばれる。エンジ色の衣装の神主さんが御魂の入った入れ物をささげる。中央左右に神主と肌色の長方形の御魂入れが見える。
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神官が発する「お~」という声以外は聞こえない静かな厳かな渡御であった。奈良の巻向が栄えた同じ時代同じように栄えた集落が九州に有ったとは驚きだが先進文化圏に近い当地の方が進んでいたかもしれない。

平清盛が日宋交易で富を得それにより権力も手に入れた。厳島神社を改修し海路の安全を祈願したが祭神は市杵島姫神で厳島の名の由来でもある。

最後に回った宗像市の隣の福津市の宮地嶽神社を紹介する。階段を上り振り返ると
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参道上に夕日が重なることが有るという。TVcmでも有名になった。注連縄も日本一という。

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2019年9月15日 (日)

ミニ同期会

 去年桜の時節桜の上野で東京薬大の同期会が有った。自己紹介で会場精養軒近くも通る私の桜散歩を紹介した。皆びっくりしていた。コースの中盤に当たる伝通院から善光寺を下ってきた所で営業しているi君に挨拶し名刺を貰った。それ以来メールをやり取りしている。去年9月にs君が上野の美術館で純展という伝統ある絵画展で度々受賞していて毎年会期中の一日同級生7,8人が集うがどうですかと誘いを受けた。現役中は一切遠慮していた誘いも隠居して時間が出来たので参加した。楽しく時を過ごした。

 今年はs君から案内のはがきを貰った。右が作者のs君、左は美術通のi君 挟まれたs君の「近江八幡堀を歩く」。 皆の評は去年までと作風が変わり色が明るくなった。だった。

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 s君は定年後絵を習いメキメキ上達し認められているという。才能が指導と合い一挙に開花したのだろう。学生時代は顔を知っている程度の友で話し合ったことは無い。広島出身と聞いていた。大学を出て55年が達つ。去年同期会の時広島に行ったと話題を作った所こっちの生活の方が長くて広島はあまり知らないとの事だった。製作に入ると一か月は缶詰という。元気で根気のいることだ。見習いたい。

 近江八幡は行ったことは無いが京都中書島の川沿いの月桂冠酒造の景色を思い浮かべ又は栃木の巴波川沿いの倉庫群を思った。美しい処と聞くが描写も細かく上手く書かれていて流石だ。s君が云うには水面の表情が多様で描写が難しいということだ。

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 s君の絵を中心に見、西郷さんの近くのイタ飯屋に会場を移し歓談する。同級生の動向、薬関係の話は多くなる。

 s君の人徳というか所属していた植物研究会の仲間は別の日に集合する。今日の仲間は7名だが病欠や自治会の重鎮で秋祭りで来られない人達がいるらしい。

 o君は母校の名誉教授で退官後コーヒーの本を出し多くの文献から有用性を紹介している。台湾で出版された本も有り講演も多い。店の手伝いもしているようだ。ひょうひょうとした脱力感が良い。78歳でも大手ドラグストアーの正社員で接客に精を出しているという元気者もいた。働いていると年金はもらえないと言っていたが贅沢な話しだ。給料と年金両方貰えると安心した老後になる。

 s君には特別な情報網があるのだろうか5,6人の近況が紹介された。

 i君は文京区育ちで絵画に詳しくs君に美術館とそれぞれの特徴を話していた。我が家の長女も結婚したての頃旦那さんの影響で美術館巡りをしていて我々夫婦は後を追った時期も有った。有名画家の展覧会は長時間待ち入場し薄暗い所でのろのろ進むのに抵抗があり止めた。

 思ったことは時間に余裕ができたが、歩き回るには体力が落ちたこれからは音楽、絵画に徐々に接することもしてみたい。

2019年8月10日 (土)

2019年 五所川原立佞武多見物

ねぶたの熱気をもう一度と五所川原の立佞武多を見物した。

活気が落ちようとしていた立佞武多も平成になって盛んな時代の設計図が祭りに多大な協力していた豪商に出入りの大工さん方から見つかり見事に復活した。行政も地下電線にしたり環境整備を積極的にした。

予約の旅は天気が気になる。今回も台風8号がその日付に直撃しそうだったが温低に変わり勢力は弱まり影響は札幌、秋田に多少は有るが青森は逃れた。ラッキーである。

17時半に五所川原の立佞武多の館から出陣する。17時に館に着き土産店を覗きながら待った。女房と子供達との土産の交換が出かける度に忙しい。

立佞武多の館の外には青森ねぶたと同型のねぶたが多数待機している。立佞武多とほぼ同数位の行列となる。
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時間になると7階建ての建物位の巨大一枚ドアーが開き展示されていた20mの高さがあるという立佞武多がそろりと出てくる。

神武天皇と金鵄 の故事の巨大な人形。
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道路に出て 天からのしかかられる様だ。武者人形が素晴らしい。
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巨大な人形は下の台車で運ばれる。下の写真背景右の大ウインドウが開き山車が移動する。
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新調された「かぐや」武者物と違ってひときわ優雅だ。「定めで月に帰ります。」
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集合場所に移動しセレモニーが有りパレードになる。我々は観覧席で夕食の弁当を食べ16基の巨大な山車を待つ。
建物を越え見える山車、巨大さが解る。
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先頭は当市出身のスターだ、これだけの祭りだ盛り上げないわけにはいかない。自作の「♪立佞武多」を熱唱する。立佞武多の掛け声は「やってまれ、ヤッテマレ」でバスのガイドさんによると夏の邪気を追い払う事だと言っていた。盆の行事には違いない。
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青森ねぶたと同型のねぶたと立佞武多と計16基に感動する。太鼓を叩く人の大きさから像の大きさを想像して欲しい。
山中鹿之助像
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纏 粋な火消し像
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かぐや姫の別れ 
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市内にある三つの高校が出品し大太鼓を叩き笛を吹きジャンガラを鳴らし踊り発散している。五所川原高校の「国引き」像 高校時代運動会の仮想行列で弘前ねぷたを演じたクラスが有ったが「ねぶた」を意識し出した初めかも知れない。本場モンの高校生はこんな立派なものを造り大勢で演じるとは熱気がすごい。八束水臣津野命が新羅や高志から余った島を「オソロ、オソロ国来(くにこ)」と引っ張った。出雲国引き物語による。

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像と共に音色と踊りで賑やかに大勢の人が通り過ぎてゆく。行く夏を惜しみ一生懸命に演じていて見ていて気持ちよかった。
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祭りは終わり収穫だ。

2019年8月 4日 (日)

2019松戸花火

3日は松戸江戸川の花火だ。

今年は長男と男児二人の孫、次女と女児一人の孫が来た。長女一家は又サンフランシスコに2年の出張だ。

次女が2歳の時花火の音にびっくりし粗相したが3歳の誕生日が近い次女の子はすっかり楽しんでいる。

子供が小学生の頃は屋上で花火を夏休みの間、随分楽しんだ。今は防水材料の関係で花火は出来ない。

屋上に出ると新月から何日も経っていないだろう月が見えこれから始まる百花繚乱の前の静寂を感じさせ感動だ。
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大きなビルが目の前に有り視界は狭いが人ごみに出るよりはと家からの観覧になる。この電線が無いと良いのだが。
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いよいよフィナーレ
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月は移動しビルに隠れ見えなくなった。花火の後にも静かな月を見たかった。

2014年松戸花火



2019年7月 4日 (木)

おいねぇなぁ~

家を継いで初めて房総の人々と付き合うようになった。店で力を入れていたチェーンの結びつきが強かったからだ。グループ会と云い5~6人で集まる勉強会も銚子であったり館山であったり多くは千葉市であったが千葉市ですら私にとっては未開の地であった。何処へ行っても小旅行だった。

 

人物も豪快でおおらかな人が多い。商売も手広くやっていて魅力的な人が多かった。昭和40年からの50年強の歳月は商売にも多くの変化をもたらした。健在で頑張っている店は房総地区ほど多く底力を感じさせる。

 

去年大変世話になった先生の偲ぶ会も千葉市辺りでと思っていたが何事も中心になる大物とナンバー2が市原に決めてしまった。この二人は良く気を使い嫌みがないので不満を漏らさず従ってしまう人柄がある。一人東京の近隣から参加する小生も不満はない。現役の時は本部が東京にあり皆も東京に行くことが多かったので初めてその苦労を実感している。

 

昔からゴルフ、麻雀、偶にスキーおまけに勉強と深く付き合ってきたので偲ぶ会で久しぶりに会った時も偶には一杯やりましょうと分かれた。先日メールが通じないので電話したらメールより千葉で一杯如何?との話になり千葉かそれならと話がまとまった。メンバーと場所はお任せとなる。

半日おいて副幹事(no2)から場所とメンバーの知らせがメールで入った。場所は姉ケ崎であった。国分寺の出来た時代は千葉県の中心は上総(市原)だったというので諦めの気分だ。明治維新後も一時県庁が長南町に有ったと聞いたことも有る。歴史に浸りながらの一杯も楽しいと出かけた。メンバーを考えると市原はやむを得ない。

 

私が23歳で初めて会に出席して以来学んだ同士も最年長者は83歳、幹事(大物)さんも80歳を超えた。喋り方も話題も初対面の昭和40年代と変わらず仲間は楽しである。幹事(大物)さんは代行運転を頼んだら昼間は営業していませんと断られた、お得意様なので出来るかどうか調整してみますとの後運転手の都合がつきませんと断られたと笑い話が有った。運転手が居ねぇのじゃ「おいねぇなぁ~」。(房総方言でダメの意。昭和年代頻繁に50歳代の指導層が日常会話で使っていた。平成ではメンバーも代替わりをし聞かなくなった。)

席に着いた時から今日はゆっくり飲むぞと腰がどっかと落ち着かせている。私は最近、酒が入ると血圧が下がり眩暈を起こすので及び腰で付き合った。皆の元気具合を見ると90歳を元気で越すのも現実に思える。入会以来この仲間では最年少で50数年を過ごして今日も会計を押し付けられた75歳になる者は余裕をもって集めた会費の余剰を無理やり預からされ次回のキーマンになった。皆上総人で役割を心得ている。

 

千葉は上総で持つ感じだ。

2019年6月30日 (日)

令和元年松戸秋葉神社の祭り

本年は土日と本来の祭りの日が一致し当日に祭礼が行われた。梅雨時なのでションベン祭りと呼ばれ雨が多い。小学生の頃は子供神輿を興奮をもって担いでいた。子供も多く町内の子供達で50人位は集まった。大人も神輿通が沢山いて各町会の神輿が夜遅く迄行きかった。

その後交通事情の為神輿の渡御は中断していたが昭和50年頃から商店街活動の一環として神輿渡御の復活を試みるようになった。同年代の者が十人近くいて皆が子供の頃の祭りの思い出が懐かしく懸命に努力して復活をした。近隣の神輿会に参加している者もいて伝手を頼り複数の神輿会に来てもらったりお囃子の会に参加してもらったり立派に祭りが復活した。

その年代の者たちも80歳近くなり3,4年前までは神輿について回っていたが神酒所に居座るようになった。4、5歳下の町会の役員さんが神輿を先導してくれる。
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宮入の為神社に向かう。夏は松戸神社の同じ境内にある秋葉神社の祭礼で氏子は8ヶ町であるが最近は本町しか神輿を出さない。
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宮入り  かつては両側に屋台が並んびカーバイトのにおいが満ちた。
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松戸神社の社を通り越し秋葉神社前で威勢よく差し お祓いを受ける。バックは数年前に新築した神楽殿。

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子供の頃の楽しみは境内の射的、金魚すくい、ボール掬い、お面売り、イカ焼き、綿あめの屋台だったが最近は屋台が出ない、寂しいことだ。

京都八坂神社の渡御を見物した時神輿を担ぐことをご奉仕と言っているのを知り流石、都は違うと感心したものだが神主さんが皆さんご奉仕ご苦労さまですとあいさつしたので吃驚した。盃を頂き休憩をした。

一休みの後裏口から渡御を再開する。
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町内に戻り五穀豊穣、家内安全、商売繁盛を各家に届けに渡御する。私たちが子供のころ担いでいた神輿を40年ぶりに出した。小さいが細かな細工がしっかり施されている。軽い神輿を足を高く上げ踊るように担ぐ。
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雨は落ちそうで降らなく有難い。元気にご利益を届けよう。

2019年6月28日 (金)

体調

偶数月に開催される小はんの例会に行った。同級生4,5人が常連で集まる。小旅行やラテンを聞くメンバーでもある。

老人から中年の同窓生も多い。皆師匠を応援している。

早めに行って最後尾の椅子席を取るのが楽に聞くコツでそうしている。座椅子を持参してる人も一人二人いる。

椅子席を確保し間もなくどの会にも熱心に参加するK君がこのところ血圧は140位で変動が少ないが脈拍が100を超えるが如何したのだろうか?と質問された。先ずは無難に循環器の専門医に相談することだと云った。が直ぐに漢方ではどう考えるか考え梅雨時でもあるし十分水分の発散が出来ないで皮下に水が過剰に溜まった症状を改善する自衛の症状だろうと思え伝えたところ医者に水は2リッター取れと言われ多いほうが良いだろうと3リッターは飲んでいるとの返事が有った。何故2リッターの水を取るのか解らないが老人が呼気、汗、大小便で排泄できる量は生理的に限度があり排泄量を超す摂取水分は体に貯留する。主に血管内や肌肉部に溜まる。水が溜まれば冷えに繋がる。冷えを追い払うに心臓が活発に働き血液と衛気をふんだんに冷え部に送り続け水分の排泄に力を貸す為に頻脈になると考える。茯苓を主剤とする薬の適応症だろうと考えるが廃業をしているので全部までは言わなかった。

かって市の在宅の会議で1時間半の時間を貰い在宅と漢方の話をしたことが有った。メンバーは医師、薬剤師、看護師、福祉関係者なので誰にも解る季節と人体のかかわりについて例を挙げ喋った所、整形外科の医師から今の話は信じられないと質問があり私は法然上人がある偉い坊さんを訪問したところ修行僧が熱心に質問してきたが言っても解らないだろうと笑って済ました故事を思い出し笑顔で無言で過ごした。現代教育を受け常識もそれに沿ってある私も陰陽五行説を駆使した理論で出来上がってる学問を信じるまでには何十年の歳月を一日数時間の勉学を費やして信じられると感じたものを2,3分で如何説明すると理解してもらえるか今も解らない。

友は水の摂取が過剰と思われるが投薬し治らなければ証明されないが80歳に近い老人に一律に2リッターの水を摂れというのは疑問に思う。胃腸が弱ければ下痢をするであろうし痰飲が原因の喘息のある人は発作を起こすだろうし考え方の違いを思う。詳しく効能を医師に聞いた方が良いと考える。先ずは飲水が多ければ効き目が大きいと云うのも考え物で大過も新病を作ることが有る。原典にも水を少々与えれば癒えるを聞き水を大量に与え悪化させてしまうと書いてある。先ず2リッターに減らして健康状態を観察すると良いと思う。

梅雨時と盛夏とでは水の摂り方が違って当然だし夏と冬では違うだろうし体調を観察しながら加減した方が良いと思う。

噺は「青菜」でゆとりのある隠居のゆっくりした語りと粗忽だが明るい植木屋の会話がたのしい。「猫忠」は私は初めてで最後に頭を下げ猫の手つきの演技は面白かった。そこで最近は見えないがお囃子を手伝っていたY君の三線が加われば更に良かった。

師匠も一頃より元気で楽しい。

皆が反省会をするのに御徒町駅方面に行くが千代田線に乗った。車中で思いもかけない出来事が起きた。混雑した中で未だ働いでいるだろうから65歳前位の婦人に席を譲られ尾を振って座ってしまった。外見も実態も疲れが滲んでいたのだろう。気を付けなくては。

 

2019年6月19日 (水)

床屋騒動

妻が嫁に来た時から髪結いさんをどこにするかに気を使っていた。

可も無し不可も無しと通っていても係の人が転職するとどうしようかと悩みだすのを見ながら女性は大変だと悩みを理解せず冷笑していた。

私は近所の床屋に定期的に通っていて同じ年代の主人が止めるまでは大丈夫と高をくくっていた。

その床屋さんが突然シャッターが閉まったままになった。街の床屋さんもあそこもあそこもと随分廃業している。幸い近くに二軒やっている店があるが行ったことがない処に行くのも二の足を踏む。どうしようと迷った一週間は情報もなく閉まった儘だったが18日まで休みますと張り紙がでてそれならと開店を待つことにした。一安心だ。

夫婦で営業していたが夫人は実母の介護で住まいの方に掛かりきりで主人が一人でやっている。一番を外すと待つ人が居なければ最良だけど最大一時間は待つのでそれを避けるためと以前の散髪しながらの会話で今日は予約が有って7時半からやっていると聞いたことが有り7時半に家を出る様行動した。木戸をくぐり一軒先の床屋さんを見るとシャッターは締まっている。早かったかと見直すと包帯をイメージしたくるくる回る看板が回転しないで出ているのを見つけダメもとで店内を覗いた。主の背後から声をかけたので何処から声がしたのかきょろきょろしたが未だ準備中ですが待ってもらえますかと対応してくれた。早すぎたことを謝しながら待つこと数分でやってくれた。

婿入りし50年になるが立ち仕事の継続で職業病だが股関節に異常が出て10日間養生をしましたとの事だった。やっている間に電話が三回入り休んだことを詫びながらやっていますの返事をし皆さん来店するとの連絡だった。リハビリを兼ねゆっくり営業とはいかないねと慰めた。

一時間任せっぱなしなので皆さん相性があり待ちかねていたようだ。お客さんも昔近くに住んでいたり勤めが近所だったりで現在は結構遠くから来てくれる人が多いと感謝の言葉が出る。私がやっている間にも一人が来た、時間が早いので最初の電話の方だろう。私は8時半には終わったが今日は混雑で患部の負担も大きく大変だろうと同情し直した。

私も任せっきりで黙って座っておしゃべりをして仕上がり料金を払っていたがこの当たり前が出来なくなることを予感した。当たり前のことも心ならずも変えなくてはならなくなり代わりを探すには神経を使うと初めて分かった。

 

2019年6月 4日 (火)

 入れ歯を置いていった結果

一昨々年胃と大腸の内視鏡検査の結果大腸にやや大きめのポリープが見つかり一泊の入院で焼き取った。

一昨年は検査時に小さな大腸のポリープを取った。

去年は粘膜下腫瘍があると言われ来年も内視鏡検査を受けてくださいと言われた。腹部MRI検査を希望し胃粘膜下腫瘍は認められないが膵IPMNの疑いと言われた。主治医に相談したところ大学病院で検査を受けた方が良いとのことで紹介状を貰い2月に患者のあふれている病院へ行った。持参したCDを見ての判断では異常は無いが念のため超音波内視鏡検査をすることになり4月の予約を取った。

4月に老人は付き添いをお願いしますということで妻を同伴し覚悟を決めて病院に行く。口の中に管を入れるのだから入れ歯は外していっても良いだろうと現在は下の入歯しかないが家に置いていった。そこそこ待って着替えて検査台に乗り鎮静剤を打って口を開けマウスピースを入れようとしたドクターが歯がないじゃないか孤立した前歯が折れてしまう。(検査中に力が入り強くかむことが有るらしい)検査できない云われ止むなく中止となった。鎮静剤の影響が治まるまで1時間ベットで休み放免となった。入れ歯を置いていった軽率さを悔やんだが後の祭りだ。翌週の診察は予約を取り直すだけになり5月23日に検査し30日の診察を受け嚢胞は有るが心配ありませんとの診断で安心した。

膵臓癌は術後5年生存率も低いしちょっとした術後糖尿病の治療が必要になる人もいるようだし心配した。

之で有頂天になったか6月3日の歯科補綴科の予約をすっかり忘れ慌てて予約を取り直したら8月下旬という。ボケの結果だがうっかりは1ヶ月と2ヶ月の遅延を生じ気を付けなければいけない。

2019年6月 3日 (月)

秋刀魚

2017年以降秋刀魚の不漁が続いている。台湾や中国の漁船が沖合で取ってしまう所為と日本沿岸に寒流が来なくなった為という。

漁獲高を増やすため日本も一年を通して秋刀魚漁が許可になり5月下旬にも水揚げになる。ニュースでは水揚げされた物は小ぶりで美味しくなく加工用に供されるとあった。 資源の枯渇は心配ないのだろうか?

2日朝00魚類で秋刀魚が並んでいた。例年9月初めに秋刀魚が店頭に出る頃は一尾250円位で脂の乗りも今一で最盛期まで遠慮しようと決めているが一尾90円で並の大きさの物が並んでいる。カツオを買いに行ったのだが初物に惑わされ夕食用に秋刀魚も買った。

若葉が勢い良く目からも活力を貰える頃カツオの刺身を喰って勢いを付けようという時に名前にも秋の付く秋刀魚の初物が並んでいる。

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油の乗りはもう一息だが肉着きは良く美味しかった。体には旬のものが良いというが目からも舌からも季節感が無くなってくる。

CMに秋味と印刷されたビールの銘柄とバックに紅葉の中、七輪で秋刀魚を焼く画面が有ったが如何するのだろう、典型的な秋の風情だがもう使えない。

«カレイ

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