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2012年10月 9日 (火)

比叡山峰道を歩く。

ペースが速かったのかもしれない。女房は常に10m後をゆっくり着いてくる。5歳違うので近い将来小生が後を追う段階が来ると思うと寂しい。出来るだけバスを使おうと今回はシャトルバスのフリーキップを買った。一番近い東塔のバス停から峰道に行った。

峰道駐車場には大きな伝教大師像がある。本人は建ててもらいたくなかったろう。

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先日歩いた青龍寺への道と十字に交わる道を右に行く。元三大師の道三十丁とあり横川へ行くほど数字は少なくなる。始まりと終りの数字を知りたい。(昔子供を連れて大山を登った時も山は十合で終りだと思っていたが急坂であえぎあえぎ登ったが此処も二十丁近くあった。合と丁は違うと体感した。) 峰道でスタンプを貰うのを忘れた。スタンプを5個貰うと結構な絵皿をもらえるというので日頃は消費者の気持ちは考えられないが景品を貰ってみようと思っていたが失敗だ。帰りに寄ろう。

今回は昭和52年に葉上照澄阿闍梨の話を聞いたのを忽然と思い出し師の著書「道心 回峰行の体験」を日本の古本屋から求め読んだので興味は多い。

六道輪廻、六根清浄頭で考えるより体験が生み出す事の大切さ等々。また千日回峰行は十代で小僧となった相応和尚が6年間毎日根本中道に新しい花を飾った事に始まるという。他人に喜びを別つ心を具現した行いだ。この方が無動寺を開き回峰行は始めたという。

横川を目指す。

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このような道をアップダウンを繰り返すと賑やかな人の声が聞こえてきた。国体杉だ。回峰行者が午前二時から30kmの行程を7時間位でしかも三百数十ヶ所を拝みながら歩く時、唯一ヶ所腰を下ろせるところといい石のベンチに真ん中に菊の丸い台座が付いている。誰も座ろうとしないのが良い。

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立派な杉の前は眺望が開け正面に御所の森が見える。国家安泰と天皇陛下の息災を祈祷する。 ここで昼飯にし、珍しく木の根に座って食べた。大勢の年配のハイカーは横川の方はキツイからと西塔のほうに帰っていった。

思いの他下りで楽な道だった。お地蔵様を右折するとハイウェイを狭いトンネルで抜けると直に横川だった。此処にも元三大師道00丁の道標が有る。

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こんな道を軽々では無いが歩く。今まで買い物や洗濯物干しで足を使っているから良く付いてきた女房は今日は初めの急坂でペースが狂ったらしい。小生は毎朝の散歩のお蔭で苦しくはない。

思いの他短時間で横川に着いた。横川中堂の舞台づくりが見えてきた。

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中堂でスタンプを押した。二個目だ。

何十というお堂跡に小さな仏像が安置して有るが修行僧が4畳半くらいの小屋の中で一年中修行していた跡なのだろう。00寺と名づけられている。

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日蓮上人が修行した定光院の表示に従って谷を下ったら結構な道程だった。

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日蓮さんも島流しで渡った佐渡でそのような小さな小屋で暮らし寒さから癪聚病を病み晩年は下痢が止まらず寒い身延山から房総に帰る途中で池上本門寺で亡くなったと言う。

浄土教を考えた恵心僧都は往生要集を書き法然、親鸞と続き、道元は曹洞宗を唱え、日蓮は法華経を広め比叡山からは多士済々のお坊さんが出ている。

恵心、道元、日蓮は開けた東塔から遠い奥地の横川で修行した。

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コメント

良いですね、長年連れ添った伴侶との寺巡り、羨ましさ半分でしみじみと読んでいます。

佐平次さん やっと時間が出来たので楽しんでいます。歩くと印象深いです。

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