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2013年3月13日 (水)

時間との競争 聖護院 霊鑑寺。

バスは熊野神社には行かない。

さぁ~如何するか?運転手さんに聞いた。

熊野神社までは方向は直進、距離は2kmだと云う。決断「歩こう」とバスを降りた。

歩き出したら女房が其の侭乗っていけば錦林車庫から真如堂前まで行けたのでは疑問を出した。降りたのは間違いではないかと。霊鑑寺を先に見て聖護院を最後にする方が上手く行くかも知れないという事だ。

でもこの時間なら程無く交通規制も解除され聖護院見学の後は上手く行くと高を括った。

15分くらいで熊野神社前に到着。道路には赤いコーンが無数に置かれているがランナーの姿は無い。係りの人に聞いて見ると規制解除は未だ未定だという。

ここで熊野神社と聖護院の建物をもう一度紹介しよう。
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聖護院門跡の宗派は本山修験宗(山伏)という。
役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた宗派で日本古来の山岳信仰、自然崇拝に源を発し、民俗信仰に密教、道鏡、神道が融合した物と云う。

吉野の金峰山寺も役行者の思想だが修験本宗という。

聖護院は天台大僧正増誉僧正の開基で白河上皇の熊野本宮参拝に先達として案内し、その功によりこの地に一寺を頂き聖護院とされたという。又上皇より熊野三山検校職と全国の修験者の統括を命ぜられたと有る。

それで熊野神社と隣りあわせでおわす。

やんごとなきお方の熊野詣は二万人の行列になったと言う。統率は法螺貝吹いて合図して行った。聖護院の紋所は「菊に法螺貝」を重ねて描いている。

当時使われた駕籠、法螺貝、幟多数の展示があり興味を引いた。禁撮影で紹介は出来ない。

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天明(1788)と安政(1854)の大火の折御所が炎上し仮御所が置かれたという。

貴重な文化財が失われたのは応仁の乱、大火と廃仏毀釈による事が大半だ。

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馬酔木が見事な中庭。
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複数の不動明王の像があり素晴らしいものだ。お不動様の火炎は加楼羅という神格化された鳥の発するもので煩悩を焼き尽くすという。

金峰山寺の巨大な蔵王権現像を思い浮かべ山伏の修行をテレビの画像で思い出していた。あの人たちの歩き方は鳥人だ。飛ぶような速歩だ。

良く聞く宗派の寺とは多少雰囲気の違ったお寺だ。


名残を惜しみ退散しバス停に着くとバスは運行され目的のバスは15時45分と言う。最後の霊鑑寺の受付け終了は16時である。

真如堂前で降り自転車に乗った若者に道を聞き急いだ。結構な坂を登ると哲学の道に出て橋の袂には標識が銀閣、法然院、と伴に霊鑑寺のものもあった。

急いで門を潜り無事中に入れた。この辺りは鹿ケ谷と呼ばれる。打倒平家の俊寛を思い浮かべる。

恵心僧都作の如意輪観音像が御本尊という。この寺の復興も後水尾天皇さまという。江戸時代初期の天皇様だが寺社の復興、修学院離宮の建設等度々耳にするお方だが関連する本を読んで見たい。

椿が沢山植わった綺麗な寺だ。尼門跡寺院と言うことで現在では門跡寺院、尼門跡寺院あわせて13有るという。

此処に着いた頃は雨も上がり、混乱した交通も正常に戻り何事も無かったようだった。前庭の紅梅。メジロとヒヨドリが花を啄ばんでいた。
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辞す時は門は閉まっていた。見学出来てよかった。
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後は京都駅に帰るだけなので哲学の道もそれらしく見られた。余裕が大切だ。
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京都駅行きのバスは歩いている内に錦林車庫前の停留所に来てしまい其処から乗った。先程の女房の意見を立てるようになった。

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コメント

小浜で仁和寺系の明通寺に参ってきました。
彼の地は高野山系が多いのです。
聖護院の馬酔木、すごいですね。

佐平次さん 高野聖が布教に熱心に訪れたのでしょう。箱根の関所近くの屏風山も馬酔木の大木の山ですが美しさは聖護院です。小浜は佐平次さんのブログを見て行ってみたくなりました。

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