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2013年3月11日 (月)

京都散歩 慈照院、大聖寺。

暖かくなったので遠出をしようと京都に出かけた。

例年の「京の冬の旅」で普段は公開されていないお寺を拝観する事にした。

計画では仁和寺から始まり妙心寺塔頭「東海庵」「庫裏」見学の後花園会館で昼食それから午後の見学に移るとしていた。

京都駅で市バスの一日券500円也を買う時に今日は京都マラソンでバスの時間は当てになりませんが良いですかと聞かれたが実感は無いので購入しバス停に急いだ。

バス停には制服の案内人が居り先ずは仁和寺方面はバスは行きませんとのこと。どの方面も9時半から15時くらいまでは規制されるという。

最後に見学する予定の聖護院から霊鑑寺方面ならバスが未だ動いているというのでその方面に行った。バスは順調に目的地のバス停熊野神社前に着いた。

バスからも大勢の京都マラソンスタッフポンチョを着た人が降り聖護院の場所を聞いたが解らず交差点で巡査に聞きやっと解った。普段公開していないだけに知られていない。

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勇んで見学に門を潜ると公開は10時からですと言う。未だ9時一寸過ぎだ。平安神宮が近いの其処で時間を潰すか今出川方面へ行けたら其方を先にするか焦りながら熊野神社前のバス停でマラソンスタッフの若い女子に相談した。

熊野三山信仰の京都社だ。
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女子に丁寧に教えてもらい程無く普段は通らない今出川 方面のバスが来て乗れた。お礼を言ったところ可愛い笑顔で送ってくれた。同志社前で降りたがバス停はもう一つ先の方が良かった。

同志社大学。御所と相国寺に挟まれた広大な地域に建つ大学だ。
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地図で感ずるよりは遠く道を聞いて慈照院にたどり着いた。
慈照院は足利8代義政の菩提寺と言う事だ。義政は応仁の乱後疲弊した財力の中で慈照寺銀閣寺を建立するが銀箔は貼られていなかったという。しかし東山の月を夜もすがら見る工夫は大規模なものであった。相国寺の塔頭は足利将軍の代々の位牌所が多いという。
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この日は予報でも午前中は晴れ午後から一時雨で午前の温度15度から午後は7度と風が南西から北西に真反対になる目まぐるしい変化の予報で有ったが朝から日は差さず11時位から雨になり急激に温度が下がってきた。交通の混乱と暗い空に先行きに暗雲が降りた。

時代は下って1700年代に桂宮家が書院を造り桂離宮と造り方は同じだという。
杉や竹を薄く割って「へギ板」とし之を網代細工して天井や障子の腰板にする。手の込んだ美しい物だ。筬欄間も格調高い。

又住職が千利休の孫の宗旦と仲が良く首が利休のそれと取り替えられる布袋像などがある。
庭の「陸船松」

 

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撮影禁止なので要所は写せない。障子の中が書院。茶色の壁が茶室。
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火灯窓から見る庭。
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唯一何処の庭でも梅が見頃だった。
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雨は降り止まず烏丸通りの向かいの大聖寺門跡に行く。此処は入り口で写真はいけませんとガードが固かった。
この場所は花の御所と呼ばれた足利家の邸宅のあった所。御所と相国寺と花の御所の甍を対比した小説があった。
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狩野派の金をふんだんに使った襖、作者は聞き逃したが保存の素晴らしい二艘の源氏物語屏風を見学し、3月も下旬になると花が咲きそろい、さぞ美しいであろうと雨に煙る庭園を予想した。

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コメント

今は梅の花の時期ですが、桜の花の京都も予定をされていますか(^-^)

ユメフーセンさん 都内で20数kmを歩く花見を毎年やっているのでその結果と花の具合にもよります。

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