有学
凡両感病倶作治有先後發表攻裏本自不同而執迷妄意者乃云神丹甘遂合而飲之且解其表又除其裏言巧似是其理實違夫智者之擧錯也常審以慎愚者之動作也必果而速安危之変豈可詭哉世上之士但努彼翕習之榮而莫見此傾危之敗惟明者居然能護其本近取諸身夫何遠之有焉
凡そ両感の病倶に治を為すに先後有り、表を発し裏を攻めるは本同じからず。而るに妄意を執迷する者は乃ち云、神丹甘遂を合せ之を飲めば且づ表を解し又其の裏を除くと、言は巧みにして是なるに似たれども其の理は實と違う。夫れ智者の擧錯するや常に審らかにして以って慎み愚者の動作するや必ず果にして速やかなり安危の変、豈に詭る可けんや、世上の士はただ彼の翕習の栄を努めて傾危の敗を見ることなきも惟り明者は居然として能くその本を護り近く諸を身に取る。夫れ何ぞ遠ざくること之れ有らん。
意訳すると発汗と吐下は決して同時には行ってはいけない。病に表裏の證を伴う場合、この両證を同時に除いてやりたいと思うのは人情の常であるが実際は人間の都合通りには行くものでなく反って思わぬ大害を生ずるものである。然るに世の勢利を逐ふの徒はともすると栄勢の為めこの危険を忘れて安直の法を撰びたがるもだが真実救人の道を志す者は世利に惑わされることなくひたすら其の道に向かって進むべきである。
読み粗解は方術説話による。
現在1人に2つ、3つ、4つの処方をされる事が有る。古典を学ばず安易に使用しているが之が主流となって行くのだろうと思う。
実際は幾つもの確認事項を怠ると効かない。その場その場が新たな試練だ。紀元前後に完成してしまった理論なので基本を知って異を唱うる無かれ。
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