熊野古道さわり
語り部と歩く熊野古道のキャッチコピーに釣られ参加したツアーだ。
午前8時と早い出発である。熊野古道館で熊野詣の説明を受ける。
道すがら一昨年の大雨の被害が未だ復旧していない現状を眼にした。ガイドの去年は災害現場を写さないようにお願いした程悲惨な災害だったと言っていた。
熊野詣のルート 上皇さまが通ったルートは左の黄色い線だ。京都桃山の城南宮で厄払いをし船で大阪に出て大阪湾沿いに下った。田辺市から中辺路ルートを通り山に入る。
熊野詣を有名にしたのは白河上皇からの上皇が盛んに熊野に御参りをしたことだ。平安末期に末法思想が仏教徒を覆い厳しい修行をしている熊野に苦労して参ることで新たなご利益があると感じて競って参拝した。
鎌倉時代には法然、親鸞、道元、日蓮等により宗教改革が行われるが宗教界の過渡期だったのかもしれない。
参拝者も深山幽谷をあえぎあえぎ歩き其の先には有り難いご利益を期待し、熊野の行者様も日頃の鍛錬で人をひきつける超能力をを持っていたのだろう。
滝尻王子が近くにあり此処から霊界に入る。
王子は大阪から熊野那智大社までに九十九王子有る。道筋の御子社で此処に到達すると幣帛を供え般若心経を奉じたと言う。正に神仏混淆である。
此処から歩くと近露王子まで6時間という。
長い間に根本の土砂が流された。
又バスで「道の駅中辺路」まで来てツアー売りの語り部と歩く1kmとなる。箸折峠の牛馬童子像をめざす。
花山上皇は17歳で天皇となり19歳で譲位したと言う。この方も上皇に成ってから熊野詣をしているが権力を巡って確執があるのは明らかだ。上皇がこの峠で昼飯にしようとすると箸が無い。お付のものが萱の木の枝を折り箸の代わりに渡した所枝から赤い滴が落ちた上皇が「血か露か」と聞いたと言う。そこで此処を降りた所に近露王子という王子がある。
この山の中に空中を通る水路が有ったり棚田跡がある。勤勉に良く働いたものだ。
牛馬童子 馬と牛に跨る僧像。一段下には花山上皇が経と僧衣を収めた宝篋印塔も在る。
後ろにはお不動様 長い道中石造は途切れなく置かれているのだろう。
古道は続く
語り部と言うのは二十歳を越えたばかりのギャルで言葉使いも其のままでアンバランスが面白かったが故事は伝わった。近露王子に下る。
道すがら500mおきにこうゆう杭がある。
街に降りると良い声でイソヒヨドリが鳴く。
近露王子跡
滝尻王子も近露王子も九十九王子の中でも五大王子と言われる。此処では神楽や歌会が開かれている。
後鳥羽上皇に従い定家がお供をし日記を残している。
近くを流れる日置川で水垢離をしてから近露王子に参ったと言う。
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紀州には3泊ほどしましたが、熊野古道は入り口で帰ってきました。
ドライブでした。上皇は駕籠だったのかな。
投稿: 佐平次 | 2013年5月 9日 (木) 10時21分
佐平次さん いずれ伊勢路、大辺路、中辺路それぞれを4時間ぐらい歩きに行きたいと思いました。上皇は白装束の山伏姿だったと言いますが細い道なので歩いたのでしょう。
投稿: 江戸川風景4 | 2013年5月 9日 (木) 11時15分