石清水八幡宮。
熊野から帰って古い本棚を整理したら「熊野詣」五来重著が出てきたので読んだ。行ってきて地理が少し頭にあるので行く前に読むよりは解った。
その人の本をと「日本人の死生観」読み出したら初めのほうに
日本人の場合、霊魂と肉体と二つに分けて、死というものは霊魂と肉体の分離と考えます。その霊魂と言うものは、生きているものにとっては意外に恐ろしいものであるということから出発しなければならないと思うのです。略。 古代、あるいは庶民の場合には集団の中の一人の死というようにとらえます。そうしますと、集団にとってあるひとりの死というものは、単なる懐かしさとか感情的なものではなくて、恐ろしい災害のもとになる、いわゆる荒魂(あらみたま)ということばで呼ばれる存在になるわけです。略。死んで未だ十分熟さない魂であり、その新魂はすなわち荒々しい御魂であると解釈されています。
そういう荒魂はいつまでもそのままあるのではなくて、自然と浄化され、あるいは昇華していく。
風葬と殯と結合して、死体を最初地上に置いた場合に、その周りに常盤木を立てて其れを隠すという葬法ができる。略。 青い柴で垣根を作って、その中に封鎖するという意味で青柴垣とか、あるいは青山などとよばれている・・
この荒魂を封鎖する青山を現在いちばんよく見る事ができるのは、京都石清水八幡宮です。石清水八幡宮は怨恨を鎮める社だったのですが・・・・・
と言う事で祇園祭の宵々々山見学の前にと石清水八幡に行ってみた。
熊野では同じような形式から朝廷絡みで天台宗と民衆からは一遍上人が関係し行者様は役行者からの修験道の人たちの関与で独特の信仰が産まれた。神仏混交が自然と出来ていた。其れを分け貴重な文化財を失う事は無かったのに。
青山祭が今年は1月18日に行われた。
仁和寺の和尚にならぬようにケーブルで上まで行ってしまったが暑くて麓は見てこなかった。
やっぱり先達が居ないと何も解らない。
エジソンが電球を発明した時石清水の竹からフィラメントを造った。記念碑。
参道
南総門
本殿
本殿裏
本殿後 住吉社
本殿左
本殿左 信長塀
正面を左から見る。
坂を下り高良神社 仁和寺の和尚は此処と極楽寺を参拝し山頂には行かず感激した。
1月18日に青山祭が行われる屯宮。青山祭を石清水八幡宮のHPから引用しますとhttp://www.iwashimizu.or.jp/event/schedule_more.php?seq=93&y=2013
二の鳥居.手前頼朝公由来の松。
一の鳥居
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盛んにJR東海のCMで流していますね。
行きたいなあ、と思いつつ。
投稿: 佐平次 | 2013年7月18日 (木) 10時39分
佐平次さん 昼間はライトアップのライトが目障りでした。
投稿: 江戸川風景4 | 2013年7月18日 (木) 12時09分