旭天鵬さん、翔天狼さんと飲んだ同級生達。
子供の頃の遊びといえば校庭に円を書いて相撲を取ることが一番だった。
早生まれだった為四月生まれの子とは約一年のハンデが有り、男子とは遊んだ事がなく小学校3年の時、男の子と初めて遊んで相撲をやってもキャッチボールをやっても強く、上手く急に世界が広がった感じがした。
初めて相撲を見に行った時は照国が土俵入りをしたが取り組みはしなかったのを憶えている。
街頭テレビを毎日見にいくほど相撲は見るのも、するのも盛んだった。大人は取り組みのガリ版印刷をした簡易な賭けごとをしていた。大人の中に結びの一番を千秋楽といい最後の取り組みになると今日の千秋楽と言うのを半ばからかいながら聞いていた。
その後小学校の先輩の松登が強くなり三役大関になる頃には身体を取り組みにあわせ揺らせながら街頭テレビを見たものだ。
四本柱が無くなり吊天井になり四房になったのも知っている。
松登が小学校に2度巡業に来たのも見に行った。一度は前の晩小学校に行き潜り込んで巡業の土俵で相撲をとった事が有る。コチンコチンに固められていてビックリした。
高砂一門の大山部屋の巡業の為結びの一番は奄美大島出身の高砂部屋朝潮太郎横綱と大山部屋大関松登の対戦だが攻防の末地元松登が吊り出しで勝つ筋書きだった。
羽黒山、東富士、千代の山、吉葉山、鏡里、大内山、栃錦、若乃花、名寄岩、琴ヶ浜、不動岩、出羽錦、北の洋、清水川、国登、潮錦、大起、鳴門海、若瀬川、羽島山、時津山、信夫山等いくらでも名前が浮かぶ。
中学で同級だった池田君が江戸響の四股名で十両筆頭まで行ったが怪我で入幕はならなかった。彼は太って上背もあったが中学では卓球部だった。
二級下の相川君は池田君より大きくテニスをやっていたが義ノ花の四股名で関脇まで行った。
高島部屋は美男の横綱吉葉山さらに男前の関脇輝昇がいた。大関三根山もいた。旭天鵬さんはその流れを引く友綱部屋という。20数年前に今日の会場の近くの大島部屋に入門し部屋の閉鎖で友綱部屋に移籍した。
旭天鵬関が大島部屋に入門した時からの付き合いという関取が「おかあさん」と呼ぶ同級生の音頭で去年優勝した時の祝勝会が延び延びになったが開かれた。とうの昔に引退した旭鷲山と一緒に来日したと聞いた。日本語は我々と遜色なく冗談も的確に喋るし、数字にも強く頭の良い人だ。四股名は大鵬さんと似た雰囲気が有るので鵬の字を貰ったという。
先場所も序盤の勝ち方では2度目の優勝を思わせたが勝ち越し相撲を何番か逸した。そのうちの一番遠藤関との対戦は新たな闘志をもやしたことも面白おかしくはなした。
優勝は一回でよい、白鵬関は優勝に飽きているのではないかという冗談は優勝の大変さと優勝したという満足感があり聞いていて面白かった。
勝負にこだわらず相撲が好きで何時までも楽しみたいというこだわりを乗り越えた心境のようだ。勝負士の39歳の心は悟っている。
小生の長女が相撲通でハンサムな旭豊を応援していた。旭豊は旭天鵬関の兄弟子で立浪親方(元安念山)の娘さんと結婚していた。立浪部屋の継承のとき現役を止めて違う部屋である立浪部屋を引き継いだ。旭天鵬関も大島部屋の存続か否かの時は引退して親方になる選択もあったようだ。
ゴルフが好きでワンハーフ歩くという。若いときの基礎固めと現在歩く事が長いこと幕内で活躍している根源だろう。ゴルフの手袋は打つ時だけして直ぐ外すのだそうだ。左手の甲が白いのは言い訳にならないと言う。
同級生の こはん師匠も来て根堀聞いていた。
昔の力士を思い起こさせる翔天狼関は旭天鵬関の義弟にあたる。部屋は違うが対戦は無い。狼の字について質問した所本人からは説明は無かったが隣の友が「青き狼」からだろうと言うので一人納得した。若き日のジンギスカンだ。
座を持たす話術といいすっかり二人に接待された感じだ。
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懐かしい名前がたくさん出てきて嬉しいです。
松登、渋かったような気がします。
私はもっぱらラジオで、それも終わりの方しか聞けなかったのですが。
投稿: 佐平次 | 2013年10月10日 (木) 10時56分
佐平次さん 野球と相撲しか無かったです。好きな力士は心から応援しました。
松登のブチカマシは威力満々で壷にはまれば栃錦等を立会い一気に土俵際までふっ飛ばしました。
投稿: 江戸川風景4 | 2013年10月10日 (木) 12時06分