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2013年10月28日 (月)

近江路観光。

以前近江の寺めぐりをしようと思い立ったが交通の連絡がなく計画を立てられず断念していた。

その後白洲正子の近江山河抄やかくれ里を読んでから又行って見たいと思い出したところに「白洲正子のかくれ里を行く」との副題の付いたツアーがあったので参加した。

米原からバスになる。

油日神社から始まる。車中では通り道の湖東三山といわれる紅葉の名所のガイドを聞きながらである。百済寺(ひゃくさいじ)は大伽藍であるが叡山と同様、信長の焼き討ちに有ったところ。西明寺は百済寺と同じく火災の最中と情報を流したのでそれなら放っておけの命令で焼き討ちにあわなっかたという。小1時間かかって油日神社に到着。

本では「福太夫」というお面を称え其れと一連のズズイコ様(人形)の神楽を紹介している。全五幕から成る台本も衣装も残されているが神楽は明治の初期から後継されてないという。ズズイコ様は己の巨大な陽物で田圃を耕すおおらかな物語のようだ。

そのようなお宝は見られなかったが大変に趣のある神社だ。
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槙の木か?大木が神々しい。
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火災よけの懸魚の代わりか蝙蝠の彫刻がある。ツアー客に物知り坊さんが居り蝙蝠の蝠が福に通じる縁起かつぎだという。

 

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猿田彦様も祭られているというがどの社だか解らなかった。
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白洲は油日神社の宮司に進められ櫟野寺の仏像を見にいくがそのコースをバスで移動する。かくれ里は昭和44年の作品だが住職が本堂を火災で焼失したのを詫びている。新しく見える現在の本堂はその後のものだ。本にも周りの寺の仏像を含めて収蔵庫に保管して無事だったことを喜んでいる。本堂の裏に立派に展示されていた。
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甲賀三大仏と言われる薬師如来坐像 立派なものだ。十一面観音像には撮影はご遠慮下さいとあったが他は注意が無かったので失礼します。
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このような像が幾体もあり懐かしさとありがたさが満ちている。
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比叡山建立の材木を集める為に木を探しに来た最澄が立ち木に観音様を彫ったという。

曇りだった空も晴れてきた。
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バスで大池寺に移動する。ここでは小堀遠州作による蓬莱庭園と行基作による釈迦如来坐像(甲賀三大佛の一つ)を見学する。

海原の宝船と大波小波を現すという。遠州は長浜に生まれ浅井に仕え、浅井滅亡後は豊臣秀長、秀吉、家康と仕えた大名で造園師、茶人で華人であったという。こころ和む庭園だ。
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行基作の1300年たった仏像としていたが当時の仏像は内臓を持っているがこの仏像は内臓が収まって無いので900年から1000年以前のものといわれていると言う。眼など大切な部位を彫るときは一刀三礼といい一彫すると三回礼拝をして彫られたという。
安土城建設の為寺の本堂の材木を供出をした為90年間雨ざらしだったが釈迦如来坐像は残った。材木を提供しないと焼き打ちにされた。写真は住職さんの許可を得た。
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行基様が掘ったかんがい用の池が四つあり「心」の字になっているという。
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琵琶湖を模したという前庭。

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太郎坊宮 阿賀神社 瓊瓊杵尊の父で天照大神の長男、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祭る。岩山の高い所にありバスで中腹まで行ったが更に259段の石段を登る。
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夫婦岩 日頃の行いが悪いと通行中に岩が閉じるという。

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蒲生野 朝鮮半島では百済が滅び百済と同盟を結んでいた朝廷は白村江に兵を出すが大敗し都を難波京から大津京に遷す。太郎坊から一望できる平野を蒲生野と呼び大津京の天皇、后をはじめ総出で薬狩りをしたという。薬狩りとは薬草採集のことでハイキングのようなものと言う。大海人皇子と額田王の因縁話の相聞歌は有名だ。
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この後石の寺と白洲に紹介されている教林坊に行く。此処は観音正寺という本山が山頂にあり30ヶ所あった塔頭の一つという。ここも信長の焼き討ちにあっている。比叡山ばかりでなく滋賀の寺を焼いている。狂気だ。聖徳太子の開基による寺といい、巨岩を組み合わせた此処も小堀遠州による庭という。苔むした風情のあるお寺だった。写真は失敗した。残念。

何処も観光客が少なくゆっくり出来た。油日神社の年季の入った建物の好印象が一日中持続した。

朝8時58分に米原を出発し5ヵ所周り予定通り18時に米原に帰着。路線バスは無いが有っても観光バスの様にスムースにはいかない。

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コメント

日ごろの行い良かったんですね、当然^^。
もっとも悪い人たちもここに参ろうとするその気持ちにすべては許されるのかもしれない。

佐平次さん 大化の改新続いて壬申の乱でも壮絶な権力争いですが庶民は分を知って情けが有って穏やかな人が多かったのかもしれません。

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