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2013年11月18日 (月)

今年の復習。

17日は子供達がプレサファイア婚式の食事会を開いてくれた。うれしい事だ。

同じ上野だから興福寺仏頭展を見てから会場に行くことにした。

晴れて日差しの強い中、桜の紅葉が透けて美しい谷中の墓地に入る。

何時もの道をクランクに曲がると天王寺に出る。昔は電車から毘の字が見えた。毘沙門堂がある。

今年読んだ「雲奔る」の主人公「雲井龍雄」の墓のあるところという。偉人を称えた西田幾太郎の碑も有るという。200回を越えこの前を通っているが初めて門を潜った。綺麗な境内だ。墓地は谷中霊園の方のようだ。高2の頃まであった五重塔も天王寺のものだった。

恒例の花見の時の道筋だ、言問い通りを昔は蕎麦屋だったがその造りのまま調剤薬局になった所で渡り細い道をタクシーを避けながら和菓子屋桃林堂に出て道路を渡ると仏頭展の会場の芸大美術館だ。

芸大美術館は美術部の方の校門を入った直ぐ右側で近くの高校に通っていた頃は芸大の食堂の在ったところだ。3回ばかり行った事がある。アイノコライスというカツカレーが美味かった。部外者の高校生が頻繁に食べに通ったので出入り禁止になり寂しい思いをした。

開館間もないのに混雑している。

興福寺の仏頭は蘇我一族でありながら中大兄皇子に味方し大化改新を成し遂げた蘇我石川麻呂が建立していた山田寺の本尊だった。石川麻呂は右大臣になるが同族の讒言を信じた中大兄皇子に滅ぼさられる。

山田寺は中大兄皇子(天智天皇)の異父弟大海人皇子が天武天皇になった御世に完成するという。
天智天皇と天武天皇の母は2度帝位に付くが天武天皇は天智天皇の異父弟であるという。大海人皇子の甥つまり天智天皇の子である大友皇子が皇位を継ぐが大海人皇子に滅ぼされる。この辺の所は詳しく読みたい。

額田王は初めは大海人皇子の妻だったが後に天智天皇の大奥の一人になった。

石川麻呂の孫が天武天皇の后で後の持統天皇。持統天皇は伊勢神宮の遷宮を始めて行った人物という。今年の旅は繋がっている。

治承4年(1180年)清盛の南都焼き討ちに合い東大寺興福寺は灰燼に帰す。復興は儘ならず興福寺堂衆は1187年山田寺の薬師三尊を興福寺の東金堂運び込んだ。この薬師三尊を守る眷族として木造の十二神将が運慶の慶派の仏師により作られた。

新薬師寺の塑像の国宝十二神将は近くまで行きながら見ていない。こちらも近々見なくては・・・。

1412年本尊の薬師如来は東金堂の火災で失われたがそれから500年以上経た1937年(昭和12年)現在の東金堂の本尊の台座内部から仏頭のみが発見されたという。この仏頭が薬師三尊の本尊のものだという。

仏頭の優しい顔と薬師如来をお守りしていた十二神将の必死の形相は見ごたえのある展示だ。

1時間半ゆっくりと見学し多いに満足して広小路の会場に歩を進めたが何時もはやっと付いて来る女房に早く歩きましょうと言われた。

上野、清水さんの通りの花壇には花模様の施した灯篭を配置してあった。点灯されると郷愁を誘うだろう。

食事会は孫の元気さに圧倒された。

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コメント

仏頭展に銀婚式の宴、席を譲られるだけの功を積んできたのでしょう。

江戸川風景4 一つの事を繰り返しやっても効果が上らず世間を狭め鬱々と暮らしています。しかし自分には是しか出来ないので是で良いと思います。

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