鑑真大和上坐像参拝記念
国宝の鑑真和上坐像が公開されると読んだので早速ツアーを2ヶ月前に申し込んだ。
さて当日は西日本で入梅し大雨が降るという。当日夜からは関東でも大雨になるという。去年から雨付いている。雨を覚悟で出発するが京都駅からバス移動なので幾らか気が楽だ。
当日は鑑真坐像が公開されている事はすっかり忘れていた。今日回る法隆寺関連で蘇我氏の横暴に悩まされた聖徳太子のことや蘇我氏を討った天智天皇の弟天武天皇の后が天武天皇の快癒祈願の為建立した薬師寺の事など考えていた。
バスの中でガイドさんが鑑真和上坐像の公開が鑑真和上の命日の6月6日を挟んで5,6,7日と行われると案内があってそれが目的だと思い出した。
御影堂の庭
唐招提寺に入ると真っ直ぐに普段は入れない御影堂を目指した。入り口から大勢の人が並んでいる。並んでいる人は国宝の坐像に焼香をするので見学の人は左側を進んで下さいとのことでスムーズにしかも鑑真さん前ではゆっくりと参拝できた。東山魁夷の描く青い大海原の襖の中に渡海の苦労を感じながら参拝した。
記念のパンフレットを写す。
之だけでも充分だが金堂講堂を初め貴重な建造物と仏像を心から参拝する。中国でも高僧であられた鑑真様が我が国にお渡りになるのに11年6回の航海を要したと言う。東大寺戒壇院で戒律を講義していた。僧が集団生活をするに必要な規則の事だと言う。
金堂 本尊は東大寺と同じく瑠遮那仏。天平時代から美しい大きな屋根を支えてきたものだ。左におわす千手観音は素晴らしい。右の薬師如来は光背が薬壺の形になっており手には薬壺を持っていない。
鴟尾(しび) 平成の大修理で新しいものに成ったが先のものは奈良時代と鎌倉時代のものだという。新宝物館に展示されている。
講堂 奈良の古寺は学問をする為に作られ檀家が在るわけではなく朝廷から碌を頂戴していた。講堂は僧達が学ぶ所で当山では平城京の東朝集殿が移築されたと言う。
戒壇 僧となるための授戒をしたところ。現在のものは鎌倉時代に作られ建物は江戸時代に焼失した。規則を犯した僧の反省を促す為本人を交えて話し合いを持ったともあった。
南大門に掛かる孝謙天皇直筆の額。
三つの寺を回る為ゆっくりは出来なかったが3度目なので心に残った参拝だった。
続いて歩いても近い薬師寺に天気の都合でバスで移動する。時期的に修学旅行の生徒さんが多い。2年前に東塔、西塔、金堂の写真を撮ろうと大池まで足を伸ばしたが東塔の七年がかりの解体修理のはじまりでテントで覆われ不運を嘆いた。
国宝 東院堂 堂の外から写した聖観世音菩薩像 美しい像だ。
昭和に建てられた西塔。落ち着いた色合いになってきた。
堂外から写した薬師如来坐像。両脇に本尊様に腰を僅かに寄せた日光、月光菩薩立像が美しい。
金堂 病苦を救う薬師さまは台座に貴重な彫刻があり薬箱とする。手には薬壺はない。
講堂
次いで奈良公園で食事となる。同行者が言っていたが京都より空いていてゆっくりできるは実感だ。
法隆寺に行く。茲は流石に生徒さんで一杯だった。
南大門
金堂
講堂 金堂五重塔の奥にある。本尊の薬師如来は薬壺を持っている。
金堂には瓦の屋根の下に木の裳階(もこし)があり強度をましているという。
国宝の東室聖霊院。
大宝蔵院で百済観音、玉虫厨子等を見て又別の館で秘宝展を拝見したが数ある展示物の中で円空の大日如来像がほっとして良かった。
東大門 夢殿へ続く。
夢殿 久世観音像の御開帳が無いので参拝者は無かった。
数々の仏像を見学したが回数を重ねるほどに馴染んで有り難さを増すようだ。
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せんじつ上野の法隆寺展に行きましたが、せっかくの宝物や仏像に集中できずに帰りました。
奈良で拝観するからありがたさをもひとしおですね。
投稿: 佐平次 | 2014年6月 8日 (日) 10時56分
佐平次さん 無知と先入観と無信心と身構えと短時間で素直に見られる事は稀です。
投稿: 江戸川風景4 | 2014年6月 8日 (日) 11時28分