流山へ
ほぼ毎日流山方面に3km行って帰ってくる。
この土手を初めて流山まで行ったのは小学6年の時放課後に川で遊んでいて流山に住んでいた担任の先生のところまで行ってみようと思った時だ。当時は流山まで1里と聞いていて1里は大変な距離と思っていた。正月に電車で先生の家に遊びに行って流山橋から家までの地理は解っていたから冒険したのだろう。
60歳代に流山市加にあるウナギ屋に土手を歩いて食べに行った時に2里あることに気が付いた。4,5人のサイクリング者も客としていた。土手を利用するものも知っている有名店なのだ。うなぎ屋の土手側あたりに担任の家は有ったと感じた。
良くは覚えていないが冒険時も途中で日が暮れ心細くなった。先生は留守で奥さんから電車賃を借りて帰れると思った時は達成感に自慢したい気持ちが強くなった。
関宿まで40kmを歩けると思って挑戦した時は流山の土手に渡し場の名が記されており官軍が新選組に気づかれないように埼玉側から渡ったところだと感慨深かった。その時は20km地点野田橋で日が暮れた。10時間かかるのだからもっと早く出なければならなかった。後日野田橋からチャレンジをし目的を達成した。川は自然が残り昔をしのばせるものが色濃くあり存在が有りがたい。コウモリもその一つだ。
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