自分を見つめる常照皇寺
少年時代は戦記物を好んだ。
面白かったのは源平盛衰記だ。
次いで知っている武者の多いのは太平記だがこれは少年向けには本は無かった。だから詳しくは知らない。
常照皇寺は光厳天皇が開いたお寺という。光厳天皇は北朝の一世という。その時代は南北朝時代と言われた。後醍醐天皇と足利尊氏の関係が上手くいっている時は後醍醐天皇が天皇として威厳を保つが尊氏と上手くいかなくなると失脚する。2度失脚している。その隙間に皇位を継いたとされるのが光厳天皇で数年後弟の光明天皇のときも上皇として政務を行ったという。しかし歴代天皇の順位にはカウントされていない。後醍醐天皇が隠岐に流された僅かの期間、北条幕府に擁立されたが御所で暮らす事は少なく六波羅探題近くで暮らす。建武の中興で皇位を追われる。
天皇家の歴史は中世まではまさに権力闘争で花山天皇は10才台で即位し20才で譲位するが謀略で院政を行えなかったという。崇徳院も子の重仁親王を皇位に着けられず保元平治の乱に巻き込まれ讃岐に流される。
40歳前半で夢想国師に禅を学びお供一人と長いこと修行に出、京都の奥、山国で常照皇寺を開いたという。
白洲正子の本には里人が光厳天皇を身近に思い庭に咲く桜も同様、何百年に渡り昨日の事の様大切にしている様子を書いてあった。
新幹線では途中で雨が降り、京都駅を降りたら厚い雲に覆われ寒かったがバスに1時間30分乗り周山に着いた頃は薄日が差してきて気温も上がった。
皇室と絡め土地の人が大切に守った3本の桜を権力争いから若くして身を引き一生を考え抜いた上皇様のことを想いながら温暖な気候の元ゆっくりと見られたのは幸運だった。
周山街道は小浜に抜ける街道と言い山深く京都市内よりは寒く雪も多い。北山杉で有名で梢近くまで枝を落とされた杉が真っ直ぐに天に育つ。仏門に入ることを叢林に入ると言うが周りが真っ直ぐに育っていれば自ずと真っ直ぐに大きくなる気がする。長いトンネルが3本もあり交通は楽になった。そんな山奥に昔から集落はあった。人家は纏まってある。
バス停兼車庫からふるさと交通の小型バスに乗り換え15分で山国御陵バス停で参道がなだらかに上る。
桜が歓迎してくれる。
禅寺らしい山門。
勅使門と御車返しの桜。後水尾天皇が余りの美しさに何度も牛車を返して見惚れた桜という。
来た道。
方丈内からの御車返しの桜。
方丈裏の枯山水。
庭からの御車返しの桜。
目当ての九重さくら。遅かった。花と緑の葉同時に出るという。
同じ敷地に若木がある。天皇様の至った境地のよう。
御所の左近の桜を分けて貰ったという桜。
隣は光厳天皇の御陵。
参拝者も少なく落ち着いた情緒のある寺で何時までも座っていたかった。
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