後片付けと新生。
去年店を止めた。
兼ねてから72歳停年(干支が6回れば充分働いたと)を決めていた。
3月閉店で4月から帳簿整理、商品の返品、陳列台&棚の解体と忙しく動いた。
そんな中で長男が建物を利用したいと言ってくれた。そうしてくれればベストだと考えていたので良くぞとの思いで張りが出た。学校の先輩に葉っぱを掛けられた結果だと言う。
後片付けに力が入り店舗一杯がゴミで埋まった。7月に清掃会社がキレイに運搬してくれた。
暫らく若い頃買ったエアロバイク、ボート、バーベル、鉄アレイ等を店舗におき利用していたが住まいの一部まで提供する必要がわかり又積もり積もった品物の整理が始まった。
親の持ち物、我々の物、巣立った子供達の赤ん坊時からの物の始末に明け暮れている。
またまた店はゴミで満杯になった。備品(机、箪笥、ベット等)が多く女房と二階から重量の有る物を荷って階段を下りるうちに腰をやられた。肩が痛くなった。肩は四国に現存天守見学に行った時は痛みで腕を上げることも出来なったが帰宅後肺を温める薬を煎じて飲んだら半日で痛みは薄れ3日で完治した。腰は同じ姿勢を20分もとると再発を繰り返す。之が辛い。女房も元々膝が痛い、腰が痛いと言っていたが老老二人が力をあわせているのが滑稽だが持分を生かして何時終わるか解らない整理する行為も不安よりも連帯感が強くなり不思議だ。
子供たちの写真、本、クラブ活動の道具等又店の物も営業中は始末する時間がなかったので2ヶ月に渡り分別し毎朝夫々を20袋ずつ出し、いくら出しても減る気配の無い不要物も流石に少なくなりめどがついてきた。子供たちも暇を見つけ駆けつけてくれ助かった。
簡易書類金庫の組み合わせ数字が解らなくて長いこと物入れにしていたボックスに挑戦しダイアルを回し扉の裏、三枚の凹みが重なる数字を探しだした。見事に書類金庫として復活した。試してみるものだ。
残った部分の店舗解体とゴミの運搬と改装が終わるまでゆっくりは出来ない。
思い描いた停年とは大分違った不安な立場だが先に平凡な状態が待っていると思っている。
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一足先に72になった身としてはちっとも片付けができない(やらない)のが焦りにもなります。
ほんとにパタッと逝ったら遺されたものは貯金すらおろせません。
あまり無理しないでお大事に。
投稿: 佐平次 | 2015年4月28日 (火) 09時35分
佐平次さん 無理にならないようにしています。でも期限もあるので休まずゆるりと言うところです。
投稿: 江戸川風景4 | 2015年4月28日 (火) 10時08分