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2015年9月21日 (月)

野火止平林寺

今年になってリノベーションの為ゴミをすて備品をすて蔵書を捨て老体を酷使したため体のあちこちが痛くなった。続いて工事が始まり常在して居なければならないため蟄居状態で朝の散歩も雨と暑さと気疲れでしなくなり太りだし9月になって土手散歩を再開した。この連休は近場でどっかと探していたら平林寺が手軽なコースとして浮かんだ。

 

もう60年近く前になる。

高校入学後一月もしないうち埼玉に有る学校の施設に全学年かクラスだけだったか覚えはないが西武鉄道の朝霞で降り一時間歩き体育園と呼んでいた処に行き4時間過ごし東武線の成増まで歩いて帰った。ニラ畑の中を歩いたのをおぼろげに思い出す。
No1

 

宿泊施設がありその年の秋に5,6人で行きウイスキーを飲み過ぎ人生初めての二日酔いを経験した。留まって酒盛りをするのが恒例行事だった。

 

名刹平林寺が近くにあると知っていたが深夜に肝試しをしたクラスも有るようだ。

 

その平林寺に武蔵野線新座から3.5kmで行ける。平林寺は広大な雑木林を残した大伽藍である。4辺を回ったがどの辺の近くに体育園が有ったのかは皆目わからなかった。墓地で肝試しをしたのだから墓地に近い陣屋通り辺に有ったのだと思える。

野火止用水が平林寺に沿って流れている。水気のない関東ローム層に玉川上水を流したのは知恵伊豆と言われた松平信綱という。その開通を喜んだ家光が玉川上水の3割の水を野火止用水として分けてくれた。農耕がし易くなった。名前からして野火を遮断する意もあるのだろう。

 

信綱は大河内家に生まれる。信綱の父は東京湾に流れていた利根川を銚子に流した東遷を指揮した伊奈忠次に代官として仕えていた。信綱は治水土木工事に活躍し松平家の養子になる。後川越藩初代藩主となる。川越藩の藩主は代々幕府の老中になる徳川幕府の登竜門と言われていた。平林寺は信綱が某所より移築しこの地にあると言う。
No2

一部は遊歩道があり左側の杭の外が用水だ、森は平林寺境内。安心して気持ちよく歩ける。散歩の人と行きかい江戸川土手を歩いているようで地元の人におはようと挨拶する。時間は未だ9時前で地元の散歩人も多い。
No3

栗も用水のお蔭だろう。栗園がある。お袋の姉の家には家の前に広い栗園が有り季節には大量の栗を送ってくれ美味しく頂いた。この栗園を左に見て進んだら関越自動車道の上に出た。グーグルアースで見る用水神社の南、左下の出っ張りの楕円形の緑地が体育園跡の様だ。
No4

道順で3辺を回り4辺目に入り程なく立派な総門に出、境内の入り口になる。

総門
No5

境内案内図 大伽藍で歩くところはモミジが多く紅葉は素晴らしいと思う。
No6

宗門、山門、仏殿と本堂が直線に並ぶ。

仁王さまが見張る山門の額は詩仙堂を作った名だたる武将から文人になり90歳まで生きた石川丈山の書という。詩仙堂の名の由来は堂内に36歌仙の詩が飾られているからだ。
No7

高野山特産の高野槇の大木。松戸戸定館にもある。
No8

さざれ石 国歌にも謳われる石だが改めて意味を考えた。
No9

 

半僧坊
No11

仏殿
No13

仏殿の中の釈迦三尊さま。
No14

鐘楼 此処ももみじが一杯。
No16

本堂  前庭の手入れの行き届いた松が美しい。
No18

片割れ地蔵さま
No19

松平家の墓地
No21

野火の見張りをした塚。野火止塚。
No22

陣屋通りを挟んで茶室があり睡足軒という。紅葉の時は鷹の峯の源光庵に匹敵しそう。
No23

妙心寺派禅寺だが貴重な資料も多くあり大変な名刹の様だ。紅葉の12月の初めにはまた来よう。

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コメント

久しぶりの散歩にしてはよく歩かれましたね。
平林寺は紅葉の頃は混雑するのでしょうか。がんばって行ってみたいような気もします。

佐平次さん 親しみが有り午前中で帰ってこられて良い処でした。紅葉の時は行きたいと思いました。

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