見舞いの余禄。
幼馴染でないが町会の仕事を熱心にやってくれる同年輩の人が居る。
山好きと時事問題の意見を交わしたり宗教についても話をすることもある人だ。
この度大腸を手術する事になったと電話をしてきた。
子供の頃は雑木林で人も行かなかった所で近くに駐留していた米軍がピストルを撃った跡が木についていると話が聞こえると直ぐに見に行った。
夏休みなどは早朝にカブトムシを取に行った。
其処が昭和24年ごろから開発され今では消防署や団地になっている。その一角に病院が出来先述の彼が入院するという。子供の頃の記憶をたどる趣向で歩いて見舞いに行って見た。
駅を超えると直ぐ丘になっており相模台と呼ばれ太古からの高台だ。伊藤左千夫も野菊の墓で其処の続きの矢切の高台から上野の森も見えるほどだと書いている。文献によると相模台と上野の山の間は何千メートルという渓谷で渡良瀬川が流れていた。何億年の時を経て土砂が堆積して現代の地形になったという。
家から駅を超え坂を上り休まず歩いて1時間ちょっとだから4km位だろう。
見舞いを程々に切り上げ帰りの散歩を始める。病院の隣はクリーンセンターと温水プール他スポーツ設備になっている。クリーンセンターの前のT字路を直角に曲がり直進すると開発された20世紀の丘と呼ばれる広大な地区にでる。数区画を歩くとレッドロブスターからくら寿司に変わった建物のある交差点に出、其処を中山競馬場の方に700m位坂を下って上った所にシャトレーゼがあり食感の軽いケーキを買おうとわざわざ尋ねたらシャッターが閉まっている。子供が小さいころは随分流行っていてケーキやアイスクリームを買いに車で難なく行った所だ。女房はそろそろ足が痛いと言い出す頃だが我慢して付いてきたが相当がっかりしたようだ。手前の幼稚園もドラックストアーと他の店になっていた。
丘陵地だった処の小さなアップダウンを繰り返し昭和20年代に我が家の前を通っていた水戸街道を山の中に移した道路に出、子供の頃は広場で良く野球をやった所も大きなマンションにになって久しい処を通り越2時間半を歩いて帰宅した。
景色は変わっていたが子供の頃野球をやったり、雑木林の急坂の上下でドングリをパチンコで打ち合う戦争ごっこしたのを思い出し、フランス映画の「腕白戦争」に似た遊びだったと回想しながら普段歩こうとは思わない道を楽しく歩いた。
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コメント
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好い散歩でしたね。
小はんの会には行けそうです。
その内案内がくると思います。
投稿: 佐平次 | 2015年10月 5日 (月) 11時15分
佐平次さん ずーっと同じ場所に住んでいると思わぬところで昔に帰れます。小はんの会で会えると良いですね。
投稿: 江戸川風景4 | 2015年10月 5日 (月) 11時58分