戸定邸見学。
戸定邸は最後の将軍徳川慶喜(幕末の水戸藩主徳川斉昭の7男)の弟 昭武(斉昭の18男)が明治になってから住んでいた。
昭武と慶喜は仲が良く慶喜も度々訪れた。慶喜は賊軍の長だったため死罪の判決を受け明治35年になってやっと無罪となり市民権を得た。その間の心境が絵画や書に向かわせた。慶喜の助命や爵位の最高位である公爵の授与は有栖川宮の尽力によると言う。有栖川宮は14代将軍の妻和宮の許嫁だった人である。公武合体の政略により和宮は家茂に嫁ぐことになる。
昭武と慶喜二人の交流の品々を展示してあると言う記事が新聞に載っていたので午後3時過ぎから行ってみた。
戸定邸は我が家からはJRの線路を挟んで南東2kmの丘の上にある。
屋敷の一部が千葉大園芸学部になり後年国道六号線が園芸学部の敷地を二分する。
戦後も一族の家臣が住んでたようだ。
子供の頃は水戸様と呼んでやんぬるお方が住んでいると周りの丘や園芸学校には良く遊びに行ったが水戸様には近づかなかった。
石段の上の門 昭武氏の子が海軍中将で戦前はこの門の前に警備兵が居て近づくと「誰か!何の用だ!」大声を掛けられたと言う。
邸の入り口には菊が並んでいる。子供の頃は隣の園芸学校学園祭に行くと菊の見事な花と菊人形などが展示されていた。最近は菊の花を見ないなと思い出していたので亭の入り口に菊が並んでいるのを見て懐かしく思った。
屋敷に入っても見事な菊が並んでいて腕自慢のコンクールが開催されているようで目の保養になった。
慶喜の甲冑
廊下からは江戸川越に富士山が見える方向だ。徳川本家の故郷だ。
花崗岩造りの倉庫が有る。
欄間の甚五郎もびっくりな「抜けスズメ」 欄間に竹を配しスズメが群れる竹藪を表す。
室外にも丹精された菊が並ぶ。
菊の気高さと美しさに満足を覚え展示館で目的の物を見る。主に慶喜の波乱万丈の一生明治35年に無罪放免され大正初期まで生存された生きざまを垣間見た。
外に出ると屋敷の周りの木に西日が当たる。
回り道して園芸学校構内に入り子供の頃異文化を見る思いで夢見心地で見ていたフランス庭園を見学した。ベルサイユ宮殿の庭を模したと言われている。
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菊の香りがしてくるようです。
小はん師匠に電話してキップを送ってもらいました。
投稿: 佐平次 | 2015年11月 8日 (日) 11時01分
佐平次さん この時期には稲の香と菊の花を懐かしく思います。小はん独演会有難うございます。極たまに鈴本に行きますが落語家は多士済々ですね。26日は出来るだけ行けるようにしますが未定です。無駄なく時間を過ごす佐平次さんのバイタリティーを見習いたいです。
投稿: 江戸川風景4 | 2015年11月 8日 (日) 12時10分
昔はつまらなそうな場所だなあって思っていたけど、今は行きたいです。暖かくなったら行ってみようかなあ。
投稿: ひろちん | 2015年11月10日 (火) 19時00分
ひろちんへ 展示会場が有って展示会によってテーマは色々です。
投稿: 江戸川風景4 | 2015年11月10日 (火) 21時55分