正暦寺から帯解寺から大和神社。
山の辺の道を調べていたら正暦寺という紅葉の名所があると言う。勅願寺で塔堂伽藍に86の僧堂が有ったが平家の焼打ちに会い衰退していった。菩提仙川という有り難い名前の渓流が流れ修行には持って来いの所だ。
日本酒を初めて作った所としても有名。良く造ってくれました。
江戸時代に建立した福寿院客殿は周りの山を借景として素晴らしい。
中央の朱色は柿の実。
山茶花と南天も庭園にも山にも豊富にある。
階段を上り本堂へ 白鳳時代の薬師如来倚像を御開帳している。
広場にある石仏。
本堂から見た鐘楼。
本堂から下った所に鎌倉期の十三重石塔と山内の石仏を集めた石仏群。
深山の趣がある。
道端に鎌倉期作の泣き笑い地蔵菩薩がある。
正暦寺を後に50分の過程の弘仁寺に向かう。今回も丘陵地の田の中を歩く。知らない道だが田園風景は懐かしさを覚え安心して楽しく歩ける。
火の見櫓を右折し向かい側の丘を登る。子供の頃は当地でも木組みの望楼が何か所か有った。
弘仁寺山門
立派な弘仁寺。静かな佇まいだが十三参りでは賑わうと言う。
イチョウの落ち葉と紅葉と本堂。
畑仕事をしていた人に徒歩で一時間先の帯解駅の道を聞く無謀なことをしたが的確に教えてくれた。有り難いことだ。畑の中に古墳らしきものがある。
道々に万葉歌の碑がある。額田王とあった。
三輪山をまあそんな風に隠すのか せめて雲だけは情けがあって欲しい 隠すなんてことはあってよいだろうか。
やっと帯解寺へ。約1000年まえ文徳天皇の后に子が出来なかった時、春日明神のお告げにより勅使を立て帯解子安地蔵菩薩にお祈りあそばされご懐妊無事に惟仁親王のちの清和天皇を御安産されました。文徳天皇は858年お喜びになり伽藍を建立し寺号を帯解寺と勅命せられたと言います。ご本尊の地蔵菩薩像は腹巻をしています。
徳川2代将軍秀忠も中々子宝に恵まれずお参りしお江様が家光を懐妊したと言います。
江戸時代初期に造られた山門。
参拝の間にも二組の家族が安産祈願を上げて貰っていた。太古からご繁盛で何よりだ。我が家は自分たちも子供達が結婚妊娠した時も水天宮に祈願をして無事子供を授かった。
大和神社が近くの長柄に有るので電車で訪れる。雨もたまに落ちる曇天で4時を過ぎると杜の中は随分暗い。崇神天皇の時に宮中に祭ってあった日本大国魂大神を宮中の外に祭ったのが始まりという。伊勢神宮に匹敵する荘厳さだったという。
拝殿
本殿
戦艦大和の最後の出撃時の戦死者の霊を合祀する祖霊社。
今日は下り道を選んで3時間山の辺の道の一部を歩いた。我々庶民とは遠い存在の話だが国の先祖の方々に敬意をもって歩かせてもらった。
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