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2016年1月30日 (土)

 父も兄も飲まず吾一家は酒には縁がなかった。

父にお客さんがあると練炭火鉢に鉄瓶をかけ銚子を2本入れ燗をしていた。

銚子を取り出すとその底を中指で触り温度を確かめていた。

客として良く来ていた人は水戸様の侍従で千葉中の同級生の人だ。その頃酒屋に使いに行くと陶器の注ぎ口の付いた円形の升で酒も樽から量りで買った気がする。酒屋には醤油樽、酒樽が幾つも並んでいた。野菊の墓には正雄が民子と引き離され千葉の寄宿舎に帰る場面がある。正雄は江戸川を下って市川から列車で千葉に行くが父は徒歩で市川に出て列車に乗ったのだろうと思った。

亡き兄がやくざと喧嘩して警察沙汰になって顔を腫らして帰った翌日やくざが警察に言われ謝りに来た。まじめな父はびっくりしたことだろう。兄は飲めない酒を飲んでの武勇伝だ。

兄も姉も結婚して家が寂しくなって10年後小生が結婚するまで静かな家だった。

家に入ったころは小売業全体が元気で街もにぎやかだった。製薬会社も景気良くクリスマスケーキなども4ヶも景品としてもらった。正月には一升の薦被りを貰ったことがある。若い時は平気で冷で呑んでいた。元旦の昼飯時その薦被りを開け一人で呑んでしまったことがあり父は同じ食卓にいて苦々しく見ていた。後怒る理由を見つけてついでに酒を飲むなと叱られた。その頃は普段は酒を飲まなかったので飲まなくても苦にはならなかった。

結婚してからは主にビールを飲んでいた。50歳を過ぎるころから漢方で暖かいもの取れと洗脳されたのもあったが冷たいものを夜取ると腹が張り鼻水が
出るようになり燗酒を飲むようになった。その頃は女房が湯につけ燗していたと思うが酒を味わうことは無かった。レンジを買ってからはチンして暖かければ良しで呑んでいた。

仙介を娘から送られてから沸いた湯で銚子の口をラップで巻いて燗している。ぬるめでも多少熱くても滑らかな暖かさで気持ちもゆったりしていて酒が口中で豊かに香り五臓六腑に染み渡り体を暖かく巡り美味い。チンした酒は尖がっている。

昔母が銚子の底に指を当て温度を確認していた姿を思い出した。

ここで知った燗の方法は1カートン2リットル1200円くらいの酒が美味く飲める。

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コメント

う~む、節酒中(会合があれば呑むのです)の身にはつらい文章です。
燗酒は家でゆっくり飲むべきもの、燗がよければいうことなしです。

佐平次さん 脂肪肝は一時の我慢と運動で良くなります。お大事にしてください。でも美味いなぁ。

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