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2016年4月 7日 (木)

山の辺の道 桜散歩

二日間も雨模様で宿ではTVの天気予報の時間を気にかけていた。

低気圧も移動し天気は回復し春の日を浴びながらのんびり歩けると嬉しくなる。

 

8時34分の電車を予定していたが早めに出たら8時のに乗れた。巻向から箸墓古墳を見て駅へ戻り景行天皇陵に行き山の辺の道を歩く予定だ。本には2時間半の行程とあるが冗談半分に6時間用意したのは正解だった。たっぷり6時間は歩いた。一の谷の時は娘がいたので迷わなかったが老人と老婆の珍道中は時間が掛かる。

近年邪馬台国はこの地の田原本町に有ったとの説が有力になり箸墓古墳も卑弥呼の墓だろうと言われている。

箸墓古墳と三輪山
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倭迹迹日百襲比売の墓とある。5代天皇の皇女で三輪山の神「大物主命」と夫婦であるが神が夜のうちに帰ってしまって明るいところで見たことがなくぜひ朝までいてくださいと頼むと貴女の化粧箱を明朝見てくださいという。朝化粧箱を開けてみると小さな美しい蛇が入っていたので驚き卒倒し倒れたところに箸が立っていて陰部に刺さって死んでしまった言い伝えが有る。箸墓の名が付いたという。墓の大きさや造られた年代から卑弥呼の墓ではないかと注目されている。
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駅に戻り直進すると交通の多い道を通り越二つ目の信号を曲がるとナビゲーターの妻がいうからどんどん進むと上り坂になり山を上る様になってきた。段々人家もまばらになり信号など現れる様子もなくやっと人を見つけ道を聞くと右側にミラーのある道を右に折れてくださいという。礼を言って歩き出すと小さな交差点の全てに左右にミラーが付いている。また聞き右折し細い道を直進すると先ほどの交通量の多い道に出、道沿いに景行天皇陵はあった。

景行天皇は息子の日本尊命とともに九州から東北まで戦いを多くした天皇と言う。
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迷ったため日も高くなり良い天気だ。暖かく鳥も囀りのどかでよい気持ちだ。
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道標が頼りだ。
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人家が立て込んだ道ではどこを曲がるか判断が難しい。又間違ってスクターに乗った矍鑠とした老婆にはっきりした言葉で道を聞き上った坂道を分岐まで戻り少し細い登りを登った。

垂仁天皇の宮跡に出、安心する。さらに進むと景行天皇宮跡がある。
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此処から巻向方面を一望でき素晴らしい。仁徳天皇でないが民の竈の煙も見える。
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先には相撲神社があり野見宿祢と当麻蹶速の天覧相撲の有った所という。当麻寺の参道に当麻蹶速の塚と当時の相撲は相手が死ぬまで戦ったと解説があった。負けた蹶速は大変な人格者で怪力の持ち主だったので惜しまれて塚が残されているとあった。
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また登ると穴師坐兵主神社ある。穴師という盆地の住民とは違った文化を持つ穴師一族の神社だ。
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田園風景を堪能しウグイスの声に導かれ檜原神社に向かう。
日の沈む二上山と日の上る三輪山に挟まれた大和盆地は穏やかで美しい。

二上山の遠望。
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桧原神社は元伊勢と言われる。十代崇神天皇の御所には地主神日本大国魂大神と天照大神と一緒に祭っていたのを宮中から外に出し長柄に大和神社を造り、檜原神社に天照大神を祭った。十一代垂仁天皇の皇女倭姫が関西と美濃を巡り天照大神を祭る場所を伊勢の五十鈴川の畔と決めた。
次の写真中央下に見える三つ鳥居はここを含め大神神社の特徴。

檜原神社。   境内のベンチで持参のパンを食す。
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杉の大木の道を通り玄寶庵傍の石塔。
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思ったより小さな狭井川を渡り狭井神社に到着。正式には狭井坐大神荒魂神社と言う。大神の荒魂を祭る。三輪山への参拝の登り道がある。巨岩が折り重なる急な道と言う。
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大神神社までは直ぐらしい。巫女さんや青い袴の神主さんが行きかう。
一の鳥居
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大神神社 大物主命を祭る。古事記、日本書紀の一部を急いで読んだが大物主命については簡単にはまとまらなかった。
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隣に祈祷所がありお宮参りの祈祷が行われていた。巫女さんが出てきた。
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境内を横切り進むと大神神社の神宮寺の平等寺は直ぐだ。明治初期の廃仏毀釈で徹底的に破壊されたが昭和62年に再建された。
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もう五時間は歩き相当に疲れてきた。
崇神天皇が政務を行った磯城瑞籬宮跡
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金谷,海柘榴市(つばいち)と古代に街道の集合場所であり大和川の舟運で難波津と繋がり大変に栄えた。現在の街並み、往時の賑わいを思い浮かべる。
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金谷の石仏。平等寺に有った、平安時代のものと伝わる。
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海柘榴市観音 商業で賑わい人が集まり恋の万葉歌も多く詠まれた。写真の左に観音堂が有る。
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大和川の土手上に大きな仏教伝来の地碑が有る。海を渡り瀬戸内を通り難波から川伝いに賑わった海柘榴市に百済から仏像と経数巻が伝えられた。
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土手の桜並木を見納めて道を聞き聞き重い足を引きずり桜井駅に着いた。古代の道を歩き草臥れたけど楽しかった。
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葦原中国を治めていた大物主命が瓊瓊杵尊に国を譲り出雲に蟄居した。そのお方が大和の国の大事に太田多根子に呼び出され大和国の平穏化に力を貸す。大和王朝が出雲大社の維持に援助しまた大和の乱れに大物主命に力を借りたのは天下った天子一族はもともとの葦原中国の主に力を借りなければならなかったと云う事だろう。神武天皇が大物主命の皇女と結婚し血を確保し、祭りごとの司が政治イコール呪術を受け継いだが人の世の事、全てに対応するには強力なお告げが必要だった。

 

山の辺の道(柳本から天理)


本町クリニック循環器内科・内科5月10日より火曜日15時より19時まで診察します。

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