飛鳥を歩く3
昨日の電話で神戸に住む長女が急遽散歩に付き合うことになった。
大和西大寺で9時43分に待ち合わせする。神戸からの電車が2番線到着で橿原神宮前行は1番線発なので都合がよい。9時49分発の急行で橿原神宮前に到着すると5分後に発車する吉野行きで飛鳥に行けた。ラッキーだ。
今日は娘のスマホを頼りに地図は見ないで済み時間も短縮できるだろう。
観光資料の多い方と反対側に岩屋山古墳がある。岩が方形に成型された古墳だ。
踏切を渡り返し行き先を娘に指示し、言う通りに歩くと欽明天皇陵と隣の吉備姫王陵に着く。この近辺からは石像が幾つも見つかっている。
欽明天皇陵
吉備姫王陵 皇極天皇=斉明天皇、孝徳天皇の母だ。
陵内の石像
好天の下迷いなく歩は進む。女同士は良くしゃべる。高松塚古墳到着。
壁画館を探すが解らず文武天皇陵に出る。丘の上で斜面はミカン畑、柿畑段々畑と懐かしい景色だ。戻りで檜前寺の標識を見る。キトラ古墳の帰り路に寄る計画なので「へぇ~ここからも行けるのだ」との感慨だ。
古墳の麓の壁画館はハイキング客で満員だった。美しい色彩の美人図が素晴らしい。
案内本には中尾山古墳を通り越した方が次に近道になると書いてあるというのでその方向に歩いたが標識は一本もない。
中尾山古墳 小さく八角形をしている。文武天皇は火葬されたと言い小型で八角形は珍しいので天皇の墓かも知れないと言われている。
道は自動車道に出、右手に天武天皇陵が望める。天武天皇陵の尾根続きの鬼の雪隠、鬼の俎は通り越したことになった。
天武天皇、持統天皇陵。持統天皇は火葬され夫婦一緒に埋葬されている。乙己の乱、壬申の乱と動乱を経て古事記、日本書紀と天皇家の由来をまとめた天皇様達だ。
好天の好季節なのでハイカーが多い。
亀石に行く。川原寺の境の石という。昨日の道と繋がると分かり馴染みを憶え嬉しくなった。
いったんバスで駅に戻りキトラ古墳に行く。
古墳の壁画が損なわれないようファイバースコープで観察したという。こんな風だった。天上の星座と東西南北の四神が美しい。石室内部の模型。
朱雀図 四神の東西南北に中央を加え五行説とし実際に投薬に応用した。
白虎図
玄武図
青龍図は劣化が激しいので省略する。
倭漢人と言われる渡来人の複数の民族をまとめていた阿智使主(あちのおみ)を祭った神社で於美阿志神社、昔はこの地方の名を取った檜隈寺があった。韓国から渡来した人々が標高の高い処にまとまって住んでいた。U字型鉄器や優れた土木工事で高所でも稲作ができるようになった。
当時から柱と柱の間に竹を交差し泥を貼り壁を作る技術を持っていた。現在も漆喰の白壁の家が多い。
近鉄奈良駅の近くで長女と夕食をする、女どもは一日中しゃべくっていたが気分転換になったらしく上機嫌で帰って行った。
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楽しかったね~。
お天気良くて歩くのによかったよね。
勉強になった旅でした。
投稿: ひろちん | 2016年11月16日 (水) 16時38分
ひろちんへ 狭い盆地に固まって遺跡が有って歩いて回れるのが良かった。
投稿: 江戸川風景4 | 2016年11月16日 (水) 17時00分
親子そろって飛鳥を歩くなんて羨ましいです。
高校の修学旅行を思い出しました。キトラはなかったなあ。
投稿: 佐平次 | 2016年11月17日 (木) 09時55分
佐平次さん 相変わらず修学旅行を楽しんでいます。店をやっているときは日帰りしかできませんでした。
投稿: 江戸川風景4 | 2016年11月17日 (木) 10時03分