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2016年11月15日 (火)

飛鳥を歩く2

飛鳥時代118年間で推古天皇、皇極天皇=斉明天皇(重祚)、持統天皇と元明天皇と四人五代の女帝が即位している。女性も皇位継承を出来、譲位も行わている。

蘇我稲目の二人の娘は欽明天皇に嫁いでいる。蛇足だが長子は馬子。

姉の小姉君は崇峻天皇と穴穂部間人皇女を産んでいる。
妹の堅塩姫(きたしひめ)は用明天皇と推古天皇を産んでいる。
異母兄妹同士の用明天皇と穴穂部間人皇女の結婚で聖徳太子が産まれている。遺伝的に問題が無くて良い結果で良かった。

稲目は吉備の国の東西に屯倉を運営し吉備の力を徐々に削ぎ朝廷の信用を得る。蘇我氏は権力を握り、天皇家と姻戚関係となり益々強力となる。

今日は亀形石造物、酒船石、飛鳥板葺宮、飛鳥京苑池、岡寺、石舞台、橘寺と川原寺に行き時間と足に余裕が有ったら稲渕に行こうと予定した。良い天気で気持ちが良い。

亀形石造物。湧水が絶え間なく出るように地面を掘り、盛り土をして膨大な石垣を積んだ建造物だ。用途は不明だ。
地下に湧水口があり狭い石室に水がたまり上昇する。木樋を通り小判型容器に伝え亀の口に伝える。
亀は北を守る聖獣。甲羅は現存しないが天を表し中心に天皇様を敬った。円天方地、天は丸く陽気の多い聖なるもの地面は四角い陰なるもの。亀は四つ足を踏ん張り天を支えるというボランティアの説明を尤もと聞いた。右側の崖も石積みだったという。天理砂岩といい石上神社近くからモッコや舟運で運んだと気の遠くなる話だ。

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右の道を登ると酒船石がありこれも使途不明とのこと。養老の滝伝説の様に甘露の湧水が存在したのではの説もあるという。

この場所は多武峰の一部で両槻宮(天宮)の有った所という。
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坂を下ると田園風景が続く。多くの遺跡がうずもれた都跡を直前に読んで得たわずかの知識を下に想像するのも楽しい。右奥は耳成山。

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飛鳥板葺宮跡にでる。蘇我入鹿が中大兄王子と鎌足に討たれたところ。後に天武天皇が飛鳥浄御原宮を開いたところ。
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写真右奥に飛鳥京苑池を訪ね岡寺に向かう。飛鳥時代末期から続く古刹だ。正式には龍蓋寺という。参道は長くしかも坂が続く。
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石舞台に向かう。途中商店が点在するただ一つの街にでた。立派な薬局が有ったので一枚。
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石舞台。蘇我馬子の方墳が土が亡くなり大きな岩がむき出しになる。蘇我氏は当時朝鮮半島から渡来した先進の人々の元締めをしていて進んだ文化を吸収し勢力を増していった。
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一時間を掛けより山間部の稲渕に行く予定だが足が痛いというので広場で昼食とし様子を見た。

稲渕には中大兄皇子と中臣鎌足が指導を受けた倭漢人の南淵請安の墓がある。棚田と民家の白壁が美しいというが断念した。

橘寺天武天皇の時には建立されていたが現在の建物は江戸時代のもの。聖徳太子が産まれたところというが?という。馬は厩戸王子の愛馬。
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二面石 善面と悪面を表す石造物。石造物が多数発掘された吉備姫王墓の近くで発掘されたと考えられる。
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近くに川原寺跡がある。飛鳥の四大寺の一つだった。手前の土台跡がそう。
中金堂跡に弘福寺が建つ。
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橿原神宮前から西大寺経由で近鉄奈良に帰るのでここらで打ち止めとする。

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