宮島急ぎ周り
瀬戸内海は神武天皇もその前は航海の神様須佐能の命も通り、防人も往復し清盛も尊氏も通ったろう。古代から水運の幹線だった。
米どころで有名でその昔鑑真も聖武天皇から広島に領地を賜った。
清盛が安芸守に任ぜられ厳島神社を作ったという。
ネットでホテルを予約するにツインが当たり前だと思っていた。翌日確認したらセミダブルとある。取り消して予約を取り直そうとしたらキャンセル料が掛かる。それならと其の儘にした。
女房が20日前に洗濯物を採ろうとして30cmの高さから落ち腰を強打し痛みは前面の股関節から腿にかけ残り歩くに難儀している。年寄りは十分気を付けなければ何が起こるかわからない。
骨折は無い、筋肉痛だから1週間薬を飲んで痛みが取れたら来なくてよいと言われた。だが痛みは軽くなったが治らない。再診したが薬は飲んでもらうがもう来なくてよいとの診断だった。楽にはなった様だが痛い痛いと言いながら付いてきた。
今回も友に予備知識を貰い予定を組んだ。
6時30分東京駅発の新幹線で広島に行き先ずは宮島に行くことにした。山陽本線は満員で外人さんが多い。宮島口からフェリーで向かう。
大鳥居と本殿を正面から見る。
千畳閣と五重塔をフェリーから望む。
お土産屋と飲食店の並んだ通りを抜け大鳥居の横を通り厳島神社の見学となる。祭神は航海の神様宗像三女神だ。
海風に御幣が吹かれる。客神社入口で自分でお祓いして参拝する。
客神社 拝殿と本殿
枡形 干潮からやや満ちてきた。
回廊
鏡の池
客神社
大国主神社
厳島神社拝殿では結婚式が行われていた。
厳島神社払殿(人々は結婚式を見ている)
高舞台
能舞台 学校の近くの大黒天に大きく松の描かれた舞台が有ったのを思い出す。
反橋
外に出て清盛神社へ。清盛は大陸と交易し富を蓄えていたのだろう。虐げられた身分から海中にこれだけのものを作るとは才能が凄い。
丘を登り大巌寺の多宝塔
丘続きに歩くと大聖寺に行く。こちらは山間部に大伽藍が並んでいる。本堂
境内から海、千畳閣を見る。島全体が神聖な場所として崇められていた貴重な処だ。
魔尼殿 弥山の守護神・三鬼大権現の本坊御祈祷所。三鬼大権現は大小の天狗を従え、強大な神通力で衆生を救うとされる全国唯一の鬼神です。
遍照屈 国八十八ヶ所の本尊を安置していて本尊前には各四国八十八ヶ所霊場の砂が埋めてあり、お砂踏みをすると四国霊場巡りと同じだけのご利益があると言われます。
仁王門 大聖院を上から降りてきた。立派なお寺だ。
千畳閣 秀吉が豊国神社を建立するが途中で亡くなり千畳閣として残る。
臥龍の松 枝が低い位置を這う。今回は弥山を歩こうと思っていたがこれだけでもやっとの思いで回れて良かった。
広電の4つ広島駅寄り「地御前駅」近くに海を隔てて厳島神社の外宮が鎮座してると言うので見に行く。女房は歩きとおした。拝殿の前にサリーを頭に巻いた外人さんが写っているが彼女が電車を降りるとき車掌さんと私の会話を聞き案内してくれた。「ありがとう」
広大な領地が有ったのだろうが今は山陽本線と広電の間の狭いところに鎮座している。
JRで広島に戻り路面電車で八丁堀下車歩いて8分で宿へ。暑くて疲れた。
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コメント
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だいぶ前ですが、ここで能をみました。
月がかかり、潮がひたひたと満ちてくるとう能舞台の灯りと装束が映り込んでなんとも言えない世界をつくりだしました。
投稿: 佐平次 | 2017年5月23日 (火) 09時29分
佐平次さん 幅広く芸能を鑑賞する佐平次さんならではの巡りあわせですね。薪の光も趣を添えたことでしょう。火気厳禁かもしれませんね。
投稿: 江戸川風景4 | 2017年5月23日 (火) 09時44分