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2017年5月24日 (水)

江田島・呉

足の具合により岩国に行くか江田島に行くか二コース用意した。足は芳しくないので歩く距離の短い江田島にした。宇品港。
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途中潜水艦が見える。
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江田島が見えてきた。宇品から小用は高速艇で海上をバウンドするように20分の航海だ。
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旧海軍兵学校で現在海上自衛隊幹部候補学校の内覧時間を調べこの時間だと一か所で旅も終了と予定した。説明は10時から90分だが早く行って海岸でゆっくりしよう考えた。

朝6時に八丁堀から広島駅に行く。宇品から高速船で江田島小用港に行く。小用発7時40分のバスで第一術科学校(海軍兵学校跡)に行き内覧し小用に戻るバスを調べたらバスは11時50分があるが11時半に説明が終わると間に合わないだろう次はと見ると12時台はバスがない。となると内部の見学は無理だと判断した。
全国から文武両道の秀才が集まった海軍兵学校跡(現海上自衛隊・幹部候補生学校、第一術科学校)
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江田島の観光図を見ると中央が大きな入り江になっておりそこまで歩いてバスで港に帰ることにした。
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カッターを漕いたり猛訓練をしたのだろう。
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9時のフェリーに乗って呉に行く。江田島を後にする。
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呉には海上自衛隊の護衛艦が停泊している。
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呉は小学校の頃はタイガースの藤村冨美男のファンで彼の出身校の呉港中学の在るところと知っていた。シャツに炭で背番号10番を書いた。

大和ミュージアムに入る。軍港、海軍工廠の在った処として軍艦造船の歴史の街だ。それだけに空襲の被害も大きかった。
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呉市による戦艦大和潜水調査の様子が放映されている。火薬庫に引火し大爆発を起こし船は三分裂し46センチ砲の砲塔は天地逆さになり砲身は別のところにある。大和も陸に乗り上げ砲台として戦う特攻として出撃した。
海底の大和艦首の模型
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隣の部屋に特攻兵器の展示がある。写真の他に海龍が展示されていた。
人間魚雷回転
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ゼロ戦
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生還の望みの無い作戦を勝つために早い時期から検討していた海軍も子供のころに聞いたスマートさは無かったようだ。

戦争の反省と造船技術の優秀さを生かせるよう念じた。

隣に海上自衛隊呉資料館がある。
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機雷掃蕩の様子が展示されており戦後は多数の機雷が港の内外にあり除去に苦労した。朝鮮戦争の折も機雷除去に日本人の死者もあったと記憶している。

写真の退役潜水艦の艇内を見学できるが狭い段々ベットの部屋に何か月が閉じ込められ航海するのも気が晴れることもないだろう。高1の時今の浅草演芸場で見た映画「眼下の敵」で潜水艦の艦長クルト・ユルゲンスが何日も海底で爆雷攻撃に耐える水兵の士気をコントロールする巧みさを思い出した。

次は五体丈夫で歩きを主にした旅に戻そう。

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コメント

君も元気そうですね。ご夫婦で旅行できるなんて最高ですね。我が家の女房は足が痛くて1キロぐらいしか歩けません。 わたしは毎日畑です。 20年ほど前から始めたギンヤンマお増やす趣味が順調進み」この5年ぐらいは我が家の池から100匹以上羽化していきます。昔のように町中にとんぼが飛ぶように夢見て。

出口さん 家を守ってくれた代償です。ギンヤンマは現在はほとんど見ません。10年前小学校の課外活動でハグロトンボを追跡し商店街活動とリンクさせようとしたことがあります。生体研究で終わりましたが。海兵への入学者は湘南中が多かったようですね。

おお、ここも行きました。
昔働いていた会社が自衛隊の応援団みたいな会に入っていたので、特別見学会に参加したのです。
潜水艦も兵舎の前で兵器の手入れをしている少年兵たちも見ました。

佐平次さん 今の尋常でない行動力は若いころ世界中を飛び回った結果ですね。こちらは出不精を取り戻そうとしますが体が付いていきません。

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