高千穂神話
出雲神話に次いで有名な日向神話の里を歩いて来た。長い名の神様が出てくると名前が分からなくなり物語がこんがらかるので簡単に書くと瓊瓊杵尊のひ孫が神武天皇という話だ。
神様は地上では人間だが天に上ると神様になる。古代では神様は天降りする話が東シナ海沿岸インドネシア、中国、日本に幾つも有る。高千穂では神楽としても残る。
天皇様が田植えをしたり稲を刈り取る姿が放映されるが瓊瓊杵尊が籾を真綿に包んで天下ったと言われ皇室と稲作は密接な関係が有る。
天岩戸神社の説明では神武天皇は稲作を広く広め飢える人をそれまでに比べ格段に少なくした功績は大きいと言う。
伊勢神宮に御神田が有り太郎坊の神田も見学した。稲作は天皇家のおかげで国中に広まった。瓊瓊杵尊の子の山幸彦はワダツミの神の子と結婚し海洋進出を果たし神武天皇は大和に東征するようになり稲作も西日本に一気に広まった。
学者さんは狩猟を食物を得る方法としていた縄文民族に稲作文化を持った弥生民族が渡来し安定した生活ができるように成ったことだと言う。鉄器を持っていたり集団で作業したりと文化も進んでた。天孫降臨は新文化を持った民族の移入という。
熊本空港からバスで高千穂に入る。13時近くから予約してあったタクシーで天岩戸神社から見学を始める。狭いが高低差のある地域を熱心に説明して案内してくれる。岩戸神社は岩戸川を挟んで東西の宮に分かれる。川の対岸に木に覆われた天の岩戸と称す洞窟がある。
神楽殿には洞窟を象った背景がありなるほどと思った。
1km位先に天の安河原がある。浅い洞窟中に小石を積んだ仏塔が多数ある。
洞窟側から川の方を見る。
高千穂は斜面の町で棚田で米を作る。決して稲作に恵まれた土地ではないが斜面をフルに活用している。そのうえ瓊瓊杵尊が天下った時は水が無く天に水種を取りに行った。
天孫降臨は二上山であり槵觸神社に落ち着いたのか。中央が二上山。
水種が天眞名井となり欅の大木の下からこんこんと水が湧き灌漑に適した。
槵觸神社 この地に天孫降臨があったと伝えられる。祭りでは階段を神輿が下りる。
槵觸神社見事な彫刻が有る。
峰伝いに高天原遥拝所がある。天孫降臨した神々が此処から高天原を遥拝したと伝えられる。
さらに先に四皇子峰(神武天皇の四兄弟)が有る。深い森が続き神秘的だ。
荒立神社に回る。天孫降臨の際、天からの道に立ちふさがる地祇がいた。天照大神が天鈿女命にお前の色香で道を開けさせろと命じた。やがて道を塞いでいた猿田彦と交渉をした天鈿女の二人は結婚した。あまりに急だったので製材も荒く粗粗しく神社を作ったので荒立神社という。荒魂と和魂と中間の魂6体の二人の像が有るという。雨鈿女は天岩戸で熱演し芸能の神様とされ芸能人の参拝が多い。
神武天皇は四人兄弟の末で長兄は大和の戦いで戦死し神武軍は熊野に迂回し大和に入った。次兄は常世の国に行き三兄(ミケヌノミコト)は高千穂に帰り大和遠征で留守の間勢力を奮っていた鬼八を退治した。神武天皇はワカミケヌノミコトといった。
高千穂神社本殿脇のミケヌノミコトが鬼八を退治する像。
高千穂神社 七五三で忙しそう。
阿蘇山噴火の溶岩で覆われたが長い間の浸食で高千穂峡が出来たのだという。柱状の岩が縦並んだりその上に横に積まれたり感嘆する。
定番の真名井の滝
夜8時から神楽殿で夜神楽が一時間あったが11月中旬から2月まで夜っぴて演じられると云う。
手力雄の舞、鈿女の舞と戸取の舞が演じられた。太鼓だけの力強い伴奏も迫力がある。
手力雄が岩戸を取り長野の戸隠迄投げた。
伊弉諾と伊弉冉が酒を造り夫婦円満で飲む。酔いが回ると羽目を外し観客に抱き着いたり素朴な神様の夫婦。
神話の里で昼夜浮世を離れた気持ちになった。
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とてもムズカシイ。。。
投稿: ひろちん | 2017年11月14日 (火) 20時00分
ひろちんへ そうゆうものと思ってくれ。
投稿: 江戸川風景4 | 2017年11月14日 (火) 20時08分