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2017年11月30日 (木)

楷の木

例のメンバーから又誘いが有った。嬉しいことだ。29日は夜ヤクルトホールで柳家小はんの恒例の会がある、その前に湯島聖堂の楷の木の紅葉を是非見てもらいたいとの事だ。楷の木は中国の孔子の墓地にも植わっていて聖堂の楷の木は正子である。右の黄葉が楷の木。色合いもきれいな品格がある木だ。
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孔子像
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40年前漢方を学び始めたころ聖堂の斯文館で11月23日に行われる神農祭に参加し神農様に感謝したことが有る。神農様は紀元前4000年?に皇位に着いた初代皇帝といわれ百草を舐め薬効を確立し医薬の祖と云われる。古典を学び東洋医学を志す人は祭りを知っている。聖堂には孔子廟と共に神農廟もある。今日は柵に囲われた廟には行けなかった。
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傷寒論が出来たのは紀元0年頃と言われ序文には神農の名も孔子の名も出てくる。神農様から下ること4000年?、孔子様からは460年下ることだ。

上古有神農黄帝岐伯伯高雷公少愈少師仲文
(名医と言われる人は)上古と言われる数千年には神農他7人しかいない。

夫欲視死別生実為難矣孔子云生而知之者上学則亞之多聞博識知之次也余宿尚方術請事斯語。
診の精を尽しても死生を見分けると言うことは実に容易ならぬことである、孔子の語に生れ乍らにして之が解る者を上となし学に依って之を得た者を其の次となし多聞博識の者は其の又次とすると云うのがあるが自分は以前から方術を尚んで居るが基から此語を奉じて常に之を服膺し飽くまで学の道に進もうとする次第であるからこの書を読んだ諸君も同じく孔子の語を奉じて此の道に進んで貰いたい。

陰陽五行説が常識の学問を現代人が今の常識をなくし理解するのは大変だったが薬方が現代でも著効を顕すのは驚異的だ。正確な読みが出来ればの話(漢方の病因を判断し、処方の生薬が五行説のどの部位のどの深さに効くかを読めれば)だが、それがなさなければ見当違いの治療をすることになる。

神農様の像は徳川三代将軍家光の命により作られ五代将軍綱吉が聖堂に安置したと言われ戦前一時同級生の祖父の浅田宗伯先生の処に置かれ昭和18年に聖堂に再遷された。

炎帝神農像(湯島聖堂)からお借りした神農像です。
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神農様の子孫が日本に来て初めて露店を開き商業の初めとしたとして露天商の守り神として香具師、的屋にも敬われている。

I君の発案で小石川後楽園で紅葉を見水道橋の駅近くで一杯やって時間をつぶし汐留イルミネーションに行き後新橋のヤクルトホールに行く。

後楽園は見頃で混んでいた。
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水道橋駅前のたこ焼き屋で1時間を過ごしたがウエイトレスの名札からはベトナムの人か?全員外人さんで営業している。滞りなく回転している。

汐留イルミネーション 若い人のペアーで混んでいた。おじさんおばさんには不似合いだった。
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明治149年記念「柳家小はん」の会では師匠の元気な姿をみてお互いに来年も元気に過ごそうと思った。高校生の時小はん師匠に落語全集を借り1ヶ落語を覚えようとしたことが有るが無駄なことだった。

初めて聞く「馬のす」前の席の婦人は枝豆を食べる仕草に大喜び。十八番の「船徳」キセル煙草に火を付ける場面が圧巻だ。中入り後は落ち着いた色合いの衣装で「品川心中」落語の中には残酷な話もある。
恒例の三本締めの二番目は相撲協会の安泰を祈って、忘年会ではビールは飲まないようにお銚子でやりましょう。巧みに最新ネタを入れる。
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T君とI君の合作の散歩会だったが刻々と場面が変わる年寄りには目まぐるしい散歩で楽しかった。

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コメント

おやまあ、お株をとられたような盛りだくさんの散歩、いっぱい飲んでからの落語いい気持でしょう。
私だったら居眠りしそうだ。

佐平次さん 一杯やって夢ごごちで落語聞くのはやってみたいです。手術の後遺症の防御でその考えは無かったです。

おや、水道橋駅近くで一杯やったんじゃなかったですか。

佐平次さん ご推察の通りコーヒーと一杯二者択一でしたが一杯に軍配が上がり皆ははそうしましたが小生はウーロン茶のホットが無いのでウーロン茶にしました。

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