花見をしながら買い物。
2日は気温が低いが陽が差すので花見をしながら食料品の買い出しに出た。
駅から江戸川の土手に突き当たると常夜灯がある。相模湾の魚だけでは江戸町民の胃袋を賄えなくなって九十九里の魚を江戸に届けることになった。船で銚子から利根川を上り布佐迄運び布佐から松戸を陸路振り分けにした荷を馬の背に左右に乗せ早や駆けで松戸納屋川岸に集めまた船で日本橋に運んだ。布佐から松戸の街道では夜中でも馬は走らせた。街道に備え付けられた常夜灯は夜通し点った。藤ヶ谷ゴルフ場の近くに黒い木製の常夜灯が残されている。鮮魚街道(なまかいどう)の名残りである。
河原に降り鳥を追った道を歩く。風が止んで暖かい。桜、菜の花、ホトケノザ、イヌノフグリ、土筆がのびのび顔を出す。赤入り水門から土手に上がる。来た道を振り返る。サクラ、柳の若葉、菜の花が輝く。
富士山も見えるが桜との位置でスカイツリーを写そう。以前オオタカに出会ったのはこの辺だった。
土手を降り松戸神社に向かう。安政の大地震の時は御岳神社を名乗り倒壊した記録がある。現在は日本武尊がご祭神だ。
近くの松龍寺。吉宗等将軍が鹿狩りに来た時休憩所として使われ葵の御紋の使用を許された。写真中央の金色の紋は葵の紋。
鹿狩りは小金原で行われ江戸の町民も何千人と見物に来た。松戸宿は神社の近くで小金原は3里以上はある。見物人の中には狩りを見て宿場で10人以下しかいない女郎と順番を待って遊び翌日も見物に出かける者もいたと読んだことが有る。
扁額は知恩院七十八世の揮毫による。
県道と突き当たる処に眼鏡橋がありレンガ造りのアーチ型水路になっている。明治31年にできた。
徳川慶喜の弟昭武の住まいの戸定邸に向かう。慶喜も度々訪れた。兄弟とも写真が趣味の一つだった。
枝垂桜とミツバツツジ。
紅葉の若芽とジョウビタキ♂。ジョウビタキは太い幹のやや左にいる野鳥の名だ。
写真の下の方に見える戸定邸と桜。
隣の山を登り中央公園へ。この坂道は日本陸軍工兵学校の兵隊さんは演習の後上る苦しさに地獄坂と呼んでいたという。
松戸一中の校舎を望むサクラ。
上の写真の手前からスーパーに入りやっと買い物だ。
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根岸森林公園の花見、昼過ぎまで、風は冷たかったが日差しには恵まれ、賑わい昼食を楽しんできました。肝心の群生の桜は満開にはいたらず、7分咲きといったところで、例年に比べ大迫力の「大盛り、てんこ盛り」というわけにはいきませんでした。またご一緒できるのを楽しみにしています。
投稿: 井上 | 2019年4月 2日 (火) 20時10分
井上さん 昨日は申し訳ありませんでした。これからも宜しくお願いします。引きこもりにならない様声かけお願いします。
投稿: 江戸川風景4 | 2019年4月 3日 (水) 06時52分