旅行・地域

2010年11月24日 (水)

寸又峡日陰の紅葉&SL.

好天の谷あいの道は午後一時を過ぎると日陰が多くなる。

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陽が当たらないと流石に気温は下がる。温泉に入ってゆっくりしてと思ったがそれだと一時間の電車待ちになると確実に湯冷めをするからと行き当たりのバスで千頭まで行った。

SLに珍しさも感じて無かったので乗る気もなかったが10分待ちで発車と言う。割増料金が860円で座席はないという。一時間当てもなく待つならと乗車する事にした。汽車を知らない次女へのサービスもある。

高校までは通学に汽車に乗ることもあったが大学の時は汽車が走っていたかハッキリしない。昭和45年に宮崎に行った時に機関車を見て関東ではもう走ってないと報道された後だったと写真を写した。鉄道で汽車が使用されたのは何時までだったのかは解らない。

小学校は駅の近くで線路際にあり駅には貨物のホームが有ったのでD51にも馴染んでいたし旅客用のC51には良く乗った。

小学生の頃は線路内にも入れたので待機中の貨車に乗ったり車輪の下を見たり触って楽しんでいた。朝鮮動乱の折にはナパーム弾と想像される物も見た(一般の軌道で運搬すると思えないが多分思い違いだろう)。

線路際で遊んでいると列車から米の入った袋が沢山投げ出され直ぐに顔を青くした多数の人々が其の米を取りに来た。闇米を輸送している最中に検問に合った人たちだ。食糧不足も人々の生活もそれほど逼迫していた。

大井鉄道で使用されている機関車はC10でタンク車だ。タンク車は機関車と石炭、水を積むところが一体となった小型の機関車をいう。小生達に馴染みのあるのはテンダー車といい機関車と燃料と水は車両は分かれている物だ。近距離、長距離や小回りの必要とするところで使い分けをしていた。

客車も昭和16年17年製のものが使われている。荷物棚も網状で懐かしい。私たちが乗った車両は昭和17年製で小生と同い年だ。流石に学生時代に乗った客車よりも更に古めかしい。トイレ手洗いは使うのに二の足を踏む。

発車時に機関車が動き出すとガッタンと大変なショックで客車が引っ張られるのも懐かしい。

汽笛の音と線路に吹き付ける蒸気を懐かしく思いながら1時間の汽車の旅を楽しんだ。

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2010年11月23日 (火)

雄大な寸又峡の紅葉。

大井川、島田、川渡しと子供の頃は其の地方に興味はあった。

新幹線が通ると新横浜の次は名古屋なのですっかり忘れていた。

静岡から各駅停車で東海道線に乗ると安倍川、焼津、島田、金谷と知った名前の駅が現われる。

時代劇で舞台になる大井川の川渡しは島田、金谷の間で行われていたのだと思い出した。

金谷からの大井川鉄道はチョットびっくりした。オレンジ色の車両が到着すると塗装が古く、くすんでいた。屋根の塗装はひび割れしささくれ立った所もあるが車内は4人掛の回転する椅子で他の鉄道と遜色ないので落ち着いた。

車窓の景色は川幅の広い大井川が川原一面、白い砂利の姿が珍しい。雄大な川原を左右に見ながら終点千頭センズに着く。

此処からは細い一車線の山道をバスで行く。バスは電車のように古くは無く安心して乗った。所々で上下の一方通行の待ち合わせをしながら時間に遅れることなく目的地に着いた。

バス停から人の流れに任せ歩くとネットで調べたコースにたどり着きコンベアーに乗ったようにコースを歩く。しかし雄大な景色に満足しながら歩いた。

最高の天気なので紅葉がこれ以上ない美しさを見せてくれる。

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夢の吊橋を渡ると304段の段を登るから自信の無い方は回り道をしてくださいと掲示がある。歩いてみると果たして304段もあったかと思える楽な坂だった。登り終わると展望台があり山々を一望できる。ここからなだらかな道を下ると後に渡るアーチ型飛龍橋が見える。深い谷に風情を添える。

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色彩の豊な日の当たる山々を見て夢気分で歩く。

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中には早くも枯葉を落とす木も多く日に光りながら舞い落ちる黄金の葉も一興だ。

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半信半疑で来たところもあったが想像を上回る景色に大いに満足した。

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