趣味

2019年6月30日 (日)

令和元年松戸秋葉神社の祭り

本年は土日と本来の祭りの日が一致し当日に祭礼が行われた。梅雨時なのでションベン祭りと呼ばれ雨が多い。小学生の頃は子供神輿を興奮をもって担いでいた。子供も多く町内の子供達で50人位は集まった。大人も神輿通が沢山いて各町会の神輿が夜遅く迄行きかった。

その後交通事情の為神輿の渡御は中断していたが昭和50年頃から商店街活動の一環として神輿渡御の復活を試みるようになった。同年代の者が十人近くいて皆が子供の頃の祭りの思い出が懐かしく懸命に努力して復活をした。近隣の神輿会に参加している者もいて伝手を頼り複数の神輿会に来てもらったりお囃子の会に参加してもらったり立派に祭りが復活した。

その年代の者たちも80歳近くなり3,4年前までは神輿について回っていたが神酒所に居座るようになった。4、5歳下の町会の役員さんが神輿を先導してくれる。
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宮入の為神社に向かう。夏は松戸神社の同じ境内にある秋葉神社の祭礼で氏子は8ヶ町であるが最近は本町しか神輿を出さない。
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宮入り  かつては両側に屋台が並んびカーバイトのにおいが満ちた。
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松戸神社の社を通り越し秋葉神社前で威勢よく差し お祓いを受ける。バックは数年前に新築した神楽殿。

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子供の頃の楽しみは境内の射的、金魚すくい、ボール掬い、お面売り、イカ焼き、綿あめの屋台だったが最近は屋台が出ない、寂しいことだ。

京都八坂神社の渡御を見物した時神輿を担ぐことをご奉仕と言っているのを知り流石、都は違うと感心したものだが神主さんが皆さんご奉仕ご苦労さまですとあいさつしたので吃驚した。盃を頂き休憩をした。

一休みの後裏口から渡御を再開する。
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町内に戻り五穀豊穣、家内安全、商売繁盛を各家に届けに渡御する。私たちが子供のころ担いでいた神輿を40年ぶりに出した。小さいが細かな細工がしっかり施されている。軽い神輿を足を高く上げ踊るように担ぐ。
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雨は落ちそうで降らなく有難い。元気にご利益を届けよう。

2019年6月19日 (水)

床屋騒動

妻が嫁に来た時から髪結いさんをどこにするかに気を使っていた。

可も無し不可も無しと通っていても係の人が転職するとどうしようかと悩みだすのを見ながら女性は大変だと悩みを理解せず冷笑していた。

私は近所の床屋に定期的に通っていて同じ年代の主人が止めるまでは大丈夫と高をくくっていた。

その床屋さんが突然シャッターが閉まったままになった。街の床屋さんもあそこもあそこもと随分廃業している。幸い近くに二軒やっている店があるが行ったことがない処に行くのも二の足を踏む。どうしようと迷った一週間は情報もなく閉まった儘だったが18日まで休みますと張り紙がでてそれならと開店を待つことにした。一安心だ。

夫婦で営業していたが夫人は実母の介護で住まいの方に掛かりきりで主人が一人でやっている。一番を外すと待つ人が居なければ最良だけど最大一時間は待つのでそれを避けるためと以前の散髪しながらの会話で今日は予約が有って7時半からやっていると聞いたことが有り7時半に家を出る様行動した。木戸をくぐり一軒先の床屋さんを見るとシャッターは締まっている。早かったかと見直すと包帯をイメージしたくるくる回る看板が回転しないで出ているのを見つけダメもとで店内を覗いた。主の背後から声をかけたので何処から声がしたのかきょろきょろしたが未だ準備中ですが待ってもらえますかと対応してくれた。早すぎたことを謝しながら待つこと数分でやってくれた。

婿入りし50年になるが立ち仕事の継続で職業病だが股関節に異常が出て10日間養生をしましたとの事だった。やっている間に電話が三回入り休んだことを詫びながらやっていますの返事をし皆さん来店するとの連絡だった。リハビリを兼ねゆっくり営業とはいかないねと慰めた。

一時間任せっぱなしなので皆さん相性があり待ちかねていたようだ。お客さんも昔近くに住んでいたり勤めが近所だったりで現在は結構遠くから来てくれる人が多いと感謝の言葉が出る。私がやっている間にも一人が来た、時間が早いので最初の電話の方だろう。私は8時半には終わったが今日は混雑で患部の負担も大きく大変だろうと同情し直した。

私も任せっきりで黙って座っておしゃべりをして仕上がり料金を払っていたがこの当たり前が出来なくなることを予感した。当たり前のことも心ならずも変えなくてはならなくなり代わりを探すには神経を使うと初めて分かった。

 

2019年5月19日 (日)

こんな利用方法が有った。

昨日何年ぶりかにカメラを持って川に行った。数年前までは雨が降らなければ毎日早朝にカメラを持って鳥撮りに行っていた。昔の習癖がうずいた様だ。

土手の上から葦の近くにキジの居るのを見つけ土手を降りた。
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徐々に近づき出来れば鶏冠の凹凸迄写したいと思ったが無理な相談だ。ここらで手を打とうと位置を決めた。
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良くオスがホロウチをする場所が5ヶ所は有る。200mの間隔でオスが5羽いる勘定だ。
オッとやっぱりそうだった。連れ合いが花畑の方から飛んできた。
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ゆっくりお楽しみと急いで退散した。花畑に目をやると年配の方が花の中で野点を楽しんでいるようだった。
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キジの若様、鶏冠が未発達だ。
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2019年5月 5日 (日)

水元公園。

小学校の頃は小合溜と言って大きな鮒が釣れると聞かされていた処が水元公園となった。何時の事かは分からない。子供たちが小学校に通うようになって1年生の新入生歓迎会は水元公園往復のハイキングだった。それを知って度々散歩に出かけた。小学1年生よりは長く往復20km位は歩いていただろう。最近は公園の奥まで行ってバスで金町駅に出る歩行で目一杯だ。

江戸川土手にはヤセウツボが目立つ。シロ(ムラサキ)ツメクサに寄生する腐生植物だ。手前の茶色の直立した植物だ。後ろの背の高いのはスカンポ。
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土手の野草も盛衰がある。最近は秋のセイダカアワダチソウがめっきり少なくなった。その結果セイタカアワダチソウの種子を食べるベニマシコも少なくなった。外来種のボスで悪名高かったアレチウリも影を潜めた。ヘラオオバコも減った。ヤセウツボは探せば見られる程度だったが目を落とせば目に付くほど多い。江戸川を渡りゴルフのショートコースを見ながら土手を下り桜並木を通り越し道路を横断すると水元公園だ。中心の溜池が現れる。

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連休だが家族連れは少ないようだ。釣り人が多い。
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釣りは「当たり」を楽しみ掛かってもリリースする。小型の鮒だがポイ。
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ガマやマコモの生える湿地の周りの水路では手長エビを釣る小さい仕掛けの人が連なる。通路にはビア樽を切ったような植木鉢に草花が植えられている。ビア樽の植木鉢に海賊船を思い浮かべる。ポプラ、ハンノキやメタセコイヤの並木が続き若葉が美しい。
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和船を植木鉢にしてるものもある。鯉のぼりも元気に泳ぐ。
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長閑に見えるけれど女房の都内の花見以来の遠出の付き添いでペースを落としての散歩だ。ここまで来られれば完歩も近く一安心だ。
最奥のカワセミの里に続く池の周りに咲く花。
アヤメ   6月には菖蒲祭がある。
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コウホネ 水質浄化に大いに力がある。
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ツツジ  ノースリーブの若者の肌がこの時期にはまぶしい。
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ノイバラ
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生物が若々しく育つ季節は目にも感覚にも好感触だ。
無事目的地に到着した。此れからは近場の散歩が主になるのだろう。

2019年4月28日 (日)

牛島の藤

男一人、女二人の健康の為近隣をウォーキングしているグループがある。高校の同級生で下町育ちで人情が厚く話題も豊富な人達である。

彼らが小岩の善養寺に国の天然記念物「影向の松」を見学に行った折松を診断していた樹木医から藤なら牛島と言われて計画した散歩に同行させてもらった。北千住10時集合で近くて嬉しい。東武スカイツリーラインで春日部乗り換え一駅の「藤の牛島」駅に行き徒歩10分とある。駅を降りると立て看板が有り誘導してくれる。降り出しそうな天気だが目指すグループがちらほら居る。予報では北風6m雷とあり26日の予定を1日順延したのも無になる予報であったが藤花園に着くころには青空になり風も無い。

藤は1200年前に空海お手植えの物で明治初期まで真言宗の寺であったが廃寺となり花園として存続している。大きな藤棚が3ヶ所あり見ごたえがある。十分堪能するあいだ青空も出て日差しが暖かく快適だった。
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千年以上の年輪の幹、洞があるが元気に花を咲かせる。
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女子が用意してくれた昼食を楽しんでいる内に一転俄かに曇りぽつんと来たので引き上げたが見事なものだった。

予定通り西新井大師に行く。牡丹を見るためである。ちょっと早かったが十分楽しめた。
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大師境内にも藤が今は盛りと咲いていた。

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参道で草団子で反省会をした。三風流老人は早くも次を計画していた。

 

2019年4月 2日 (火)

花見をしながら買い物。

2日は気温が低いが陽が差すので花見をしながら食料品の買い出しに出た。

駅から江戸川の土手に突き当たると常夜灯がある。相模湾の魚だけでは江戸町民の胃袋を賄えなくなって九十九里の魚を江戸に届けることになった。船で銚子から利根川を上り布佐迄運び布佐から松戸を陸路振り分けにした荷を馬の背に左右に乗せ早や駆けで松戸納屋川岸に集めまた船で日本橋に運んだ。布佐から松戸の街道では夜中でも馬は走らせた。街道に備え付けられた常夜灯は夜通し点った。藤ヶ谷ゴルフ場の近くに黒い木製の常夜灯が残されている。鮮魚街道(なまかいどう)の名残りである。

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河原に降り鳥を追った道を歩く。風が止んで暖かい。桜、菜の花、ホトケノザ、イヌノフグリ、土筆がのびのび顔を出す。赤入り水門から土手に上がる。来た道を振り返る。サクラ、柳の若葉、菜の花が輝く。
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富士山も見えるが桜との位置でスカイツリーを写そう。以前オオタカに出会ったのはこの辺だった。
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土手を降り松戸神社に向かう。安政の大地震の時は御岳神社を名乗り倒壊した記録がある。現在は日本武尊がご祭神だ。
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近くの松龍寺。吉宗等将軍が鹿狩りに来た時休憩所として使われ葵の御紋の使用を許された。写真中央の金色の紋は葵の紋。
鹿狩りは小金原で行われ江戸の町民も何千人と見物に来た。松戸宿は神社の近くで小金原は3里以上はある。見物人の中には狩りを見て宿場で10人以下しかいない女郎と順番を待って遊び翌日も見物に出かける者もいたと読んだことが有る。

扁額は知恩院七十八世の揮毫による。
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県道と突き当たる処に眼鏡橋がありレンガ造りのアーチ型水路になっている。明治31年にできた。
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徳川慶喜の弟昭武の住まいの戸定邸に向かう。慶喜も度々訪れた。兄弟とも写真が趣味の一つだった。
枝垂桜とミツバツツジ。
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紅葉の若芽とジョウビタキ♂。ジョウビタキは太い幹のやや左にいる野鳥の名だ。

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写真の下の方に見える戸定邸と桜。
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隣の山を登り中央公園へ。この坂道は日本陸軍工兵学校の兵隊さんは演習の後上る苦しさに地獄坂と呼んでいたという。
松戸一中の校舎を望むサクラ。
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上の写真の手前からスーパーに入りやっと買い物だ。

2019年3月31日 (日)

大井川鉄道 家山駅でC56に乗る。

小学校の校舎は駅の近くの線路際に在った。貨物専用のホームも有り貨車は常駐し機関車もよく見かけた。

父上が園芸学校の教授で植物の繊細な絵を描いていたのを見よう見まねで精密な植物画から汽車の絵を描いていた友がいた。その友が列車の前に煙りを書くのを見て奇異に思ったが停車中は風向きにより列車の前方に煙がたなびくことが有るのを知って成程と思った。

当時は線路に自由に入れ貨車を触って遊んでいた。L字型の取っ手様の物が有り引っ張るとシューっと蒸気が抜けるような音がしてこれが一番面白かった。積んである貨物で印象に在るのは爆弾か燃料タンクではないかと思われる銀色に輝いた3mくらいの紡錘形の物体だった。確認はしていない。

線路際の原っぱで遊んでいると突然列車の車窓からコメを入れた袋が降ってくることも有った。コメは統制されていて担ぎ屋さんがヤミ米を車内検査から逃れるため放り出した物だ。列車が駅に着くと持ち主が顔色を変えて取りに来た。

金町の中川にカニを取りに行き鉄橋の下で列車の通過を待っていると水が降っていることが有りなんだかわからなかったが直ぐに汚水に違いないと推測し列車の通過時には鉄橋の下にはいかないようにした。線路にも自由に入れ鉄橋を歩いて渡ることも当たり前のようにした。etc。

通学にも電車ばかりでなく汽車も走っていたので来れば乗った。発車時にドアーが閉まらないので助走をしながら飛び乗ることも良くあった。

年を経て昭和45年新婚旅行は宮崎だったが宮崎で汽車を見かけ汽車はそろそろ廃止になるとニュースが流れていたので写真を撮った。

ごく普通に列車を見、利用していて特別好きだった訳ではない。

大井川鉄道家山駅付近では桜祭りが行われ乗降客も一杯だ。SLも割増運行の様だ。バスで家山駅に到着するとC10が止まっている。マニアではないが世間並みに汽車が目の前に在れば写したくなる。
(拡大した写真を戻すには色の付いた上のバーtyougen777 cocolog niftyの後ろのXをクリックして下さい)
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前方に出て何軒目かに家と家との隙間が有ったのでお邪魔をした。c10はやや小型だが立派だ。
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我々の乗車迄時間があり、周りを歩いたが線路わきには撮り鉄のマニアが並んでいる。

川を渡した鯉のぼり、時期尚早とは思えなく景色に溶けあっている。
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愈々乗車時間だが乗降客が多いので時間があるだろうとホームの細くなった最後尾に携帯で連絡を取り合っているベテランの不知のマニアと場所を確保した。ラッキーである。
遠くから姿は見えないが汽笛が聞こえ普通の老人も興奮をする。停電が多かった戦後昭和25,6年、夜 川に行くと列車のシルエットが前方をライトで照らし走る姿を美しいと思ったのを浮かべている。外に出ると満天の星が輝き室内ではドテラを羽織り足は豆炭アンカ一つを毛布で巻いて過ごしながら聞こえた冬の汽笛も思い出す。

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一番多く列車に乗ったのは中学時代か?少年時代が瞬く間に過ぎ去った。
客車内
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新たな旅に満を持す。千頭駅にて。
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2019年3月22日 (金)

イチロー選手の活躍を感じた孫

イチロー選手が現役引退を表明した。

TVも新聞も関連記事が多い。45歳までよくぞレベルの高い処で戦い続けたものだ。

孫は6ヶ月の時父親の研究の関係でサンフランシスコのジャイアンツ・ホーム球場の近くに移り住んだ。翌年一歳10ヶ月でMLBオールスター戦に両親と伴に球場にいて雰囲気を味わっている。イチローが米オールスター史上初めてランニングホームランを打ったゲーム時に無料で球場にいた幸運児だ。送ってきた写真でブログを作っているので紹介する。孫は現在中一で幼少時は水泳、テニスをしていたが「乗りテツ」にはまっている。

2019年3月21日 (木)

久しぶりの鳥撮り。

暖かくなったので川に3回歩きに行った。望遠を付けたカメラマンがうろうろしているのでベニマシコを追っているのだろうと見当がついた。
聞いてみたがカメラマンの答えは声はするのだが姿は見えないし少ないという。餌となるセイタカアワダチソウが一本も見当たらない。

私も次回はカメラを持って来てみよう。

河川敷は葦原もきれいに刈られ鳥が寄り付かない環境になっていた。鳥は少ない。

出会った鳥を紹介すると

花畑ではホトケノザを栽培してるらしくムラサキの絨毯にみえる。ハクセキレイ
(拡大した写真を戻すのは上のバーtyougen777cocologのxをクリックして下さい。)
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柳は台風で倒れ随分切られた。柳の芽吹きが若々しく綺麗だ。これも鳥が少ない一因だ。ヒヨドリ
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アオジも葦原と地面を行き来しているのだが葦原がないので少ない。
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ホオジロ20年前の歩き始めの頃は20羽位の群れを作って何グループも有った。現在は1,2羽でいる。
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菜の花とツグミ。
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嬉しいことにウグイスは健在。未だ十分声は出ない。
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ヒドリガモ 以前は本流を埋めピューピュー鳴いていたが入り江に少し。
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スズメも極端に減った。
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モズは単独行が多い。
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1周しかしないのでこんなものだが随分寂しくなった。




2019年3月 5日 (火)

中距離の買い物コース

運動不足解消の為、遠回りして目的地に行くことが有る。家とスーパーは駅を挟んでほぼ等距離にある。これを最短距離で行けば往復500歩である。久しぶりに晴れたので神社から市場跡を越して小山の陸橋で常磐線を跨ぎ千葉大園芸学部を横断し駅近くのスーパーに戻るコースで買い物をした。食料品買い物コースの中距離コースで7000歩の道のりだ。その上のコースもある。

当地区は米どころであったが江戸川流域の湿地で水害に苦しめられ坂川を開削し凌いだという。川沿いに松戸神社があり3丁目、宮前町、角町違う神社の町会の小山に続く。3月2日3日にその地区で河津桜まつりが行われた。私はピンクの濃い河津桜や八重桜は好きではなく見向きもしなかったが5日午後の日に照らされた桜は美しかった。

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江戸時代は江戸川の対岸金町に関所が有り有事には撤去できるよう橋代わりに船を並べて通し、下横町に着いたので町の中心はこの地区で寺や料亭も有り賑やかだった
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色合いの合う柑橘系の木も存在する。
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補色同士は互いに引き立せる。
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小学生の頃は橋は欄干は無く丸太を並べ土を敷いてあったと思う。
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メジロが元気に蜜を吸っていた。
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小山の陸橋で駅方面を望む。
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巨木が覆う千葉大園芸学部の旧正門。左丘の中腹に竹内啓の奥城がある。
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昭和20年代は松戸の最高の憩いの場であったベルサイユ宮殿の庭園を模した園芸学部のフランス庭園。花は未だであった。
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校舎を増築している大学を通り越し食料品を求めてスーパーへ向かう。これで家へ帰りついて7000歩一日のノルマに近い。
湯島の梅と同時に松戸の桜を見られ植物も新種が加わると春を待ちわびる端唄も対比が狂う。

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