昭和34年高1の時兄に連れられて銀座4丁目三越裏のジャズ喫茶美松で初めてクレージーキャッツを見た。
白の上下での演奏とギャグ 金桶で頭を叩いたり、スティックで蝿を追いかけドラムからはみ出し舞台の板を細かに叩いてマイクを下から上り詰たりスピーディで面白かった。
TVウィークデイ昼の「大人の漫画」、映画の「無責任シリーズ」、馬鹿が「戦車でやってくる」等も見た。
日劇でアートブレーキーの前座で出たのを見たときは演奏のウスペラッサを目の当たりにした。
後年ドリフに押され動きも鈍くなった頃某ホテルの地下の喫茶店で女房と見合いをした時犬塚弘が隣のテーブルで御婦人と語っていた。
安田伸は東京芸大出で一人演技は素人だった。妻の体操のおばさん竹腰美代子は安田の事を東京六大学野球の東大の存在だと評した。
石橋エイタローは子供の頃愛聴した笛吹童子の音楽担当「福田蘭童」の子で画家の青木繁の孫?という話しもあった。
ハナ肇、植木等、石橋エイタロー、安田伸、谷敬皆亡くなってしまった。
NHKの朝の連ドラで犬塚弘を見て一世を風靡したクレイジーキャッツを思いだした。